【11/25書籍発売予定】契約外溺愛 ~呪われ猫伯爵に溺愛宣言されたが、勘違いする乙女心は既にない。……いえ、取り戻さなくて結構です!~
17 二つの花言葉
「ステラ、ステラ!」
耳元で名前を呼ばれ、ステラはゆっくりと目を開ける。
目の前には薬草の絵と説明が書いてあり、自分が本の上に寝ていたのだと気付いて慌てて体を起こす。
自室で聞こえるはずのない声に横を向けば、そこには紅玉の瞳の美青年の姿があった。
次いで自身の姿を見下ろし、どうやら昨夜は本を読みながら眠ってしまったのだと思い至る。
「ステラ、大丈夫か⁉」
グレンの言葉に、ステラは事態をようやく理解して目を瞠った。
「――本!」
慌てて本を確認すると、多少皺になっている気もしたが、破れたりはしていない。
よだれの一滴でも垂らしていたら一大事だった。
ほっと息をつくと、ステラはグレンに微笑み返した。
「大丈夫です、グレン様。本は無事でした」
「そうじゃない!」
グレンは苛立った様子でステラの額に手を当てる。
大きな手はひんやりとして、気持ちが良かった。
「やっぱり、熱がある。こんなところで寝ているから……」
そう言われれば、何だか熱いしだるいが……そもそも何故グレンがここにいるのだろう。
「どいてください、旦那様。それから、ステラ様に気安く触らない!」
いつの間にか背後に立っていたシャーリーが、グレンの手をつまみ上げた。
「気安くって、俺は婚約者だぞ。それにステラは熱があって」
「はいはい、そうですね。一応は婚約者ですね。それよりもベッドでお休みいただくので、出て行ってください。邪魔です、邪魔!」
何となくぼうっと二人のやり取りを聞いていたが、休むという言葉にステラの中の何かが反応した。
「大変です。仕事に行かないと」
窓の外はもう明るいし、屋敷を出なければ遅刻してしまう。
勢いよく椅子から立ち上がると、くらりと目が回ってよろめく。
椅子の背もたれをつかみそこなって傾いだ体を、グレンが抱き止めた。
「すみません。ちょっと立ち眩みが」
謝罪しながらグレンから離れようとすると、何故か更に抱き寄せられる。
「馬鹿を言うな。こんな状態で仕事に行かせられるか。治癒院には連絡するから、今日は休め」
「でも――うわっ⁉」
大丈夫だと口にする前にステラを抱き上げたグレンは、そのままベッドまで運ぶと端にそっと座らせた。
「……昨日、俺が無理をさせたせいだな。午前中に仕事をしていたステラを、連れまわしたから。……すまない」
深々と頭を下げるグレンを見てステラは慌てて首と手を振る。
「ち、違います。私がお風呂上りに本を読んだまま寝たせいなので、グレン様は悪くありません」
あまりにも振りすぎたせいか、熱のせいか、再び目が回りそうになったステラは胸に手を当てて深呼吸をした。
顔を上げたグレンは苦笑すると、ステラに手を伸ばし……その手をシャーリーに鷲掴みにされた。
「ステラ様は着替えてお休みになります。出て行ってくださいと申し上げましたよね?」
一分の隙も無い、まったく笑っていない笑顔にグレンは無言でうなずき、そのまま扉まで押し出される。
「ステラ、ゆっくり休んでくれ」
「そう思うなら、早く出てください」
伯爵と使用人とは思えぬ力技でグレンを押し出すと、シャーリーは深いため息をついた。
「……まったく。まだスタートラインに立っていない人に接触は許しませんよ、私は」
「スタートライン……?」
よくわからない言葉に首を傾げていると、いつの間にかシャーリーがワンピースを脱がせ始めている。
「え? あの、自分でできます」
「熱があるのですから、無理はいけません。お任せいただけますよね……?」
無理も何も、着替えるだけだから問題なく一人でできる。
そう言いたいのだが、笑顔の圧力が凄い。
だるいせいで抵抗する気力もなくなってきたステラは、シャーリーにされるがままとなり、あっという間にベッドに沈んだ。
次に目が覚めた時には、既に日は傾き始めていた。
その窓辺に昨日までなかった花瓶があり、黄色い小さな花がこんもりと活けられている。
何となくそれを見ていると、シャーリーが水差しを持ってやってきた。
「目が覚めたのですね。気分はいかがですか?」
「平気です。すみません、手間を取らせてしまって」
上体を起こすと、シャーリーの差し出したコップを受け取り、水を飲む。
ただの水なのに、体に染み渡るようだ。
「治癒院へは連絡されていますし、今日はこのままゆっくりとお休みください。院長も必要なら明日も休んでいいと言っているそうです」
「そんな。明日は行きます」
今日だって、本当ならば行くつもりだった。
多少の熱があっても裏方業務ならば顧客に迷惑をかけないし、実際今までも多少の体調不良は気にせずに働いていたのだ。
……熱が出たからと、こうしてゆっくりと休んだのは、一体いつぶりだろうか。
「そういえば、あのお花はシャーリーさんが活けてくれたのですか? 可愛いですね」
「メランポジウムというのですよ。旦那様からの贈り物です」
「グレン様が? ここはお屋敷の中ですから、わざわざそこまでしなくても」
「はい?」
コップを受け取ったシャーリーが、不思議そうに首を傾げる。
「使用人の皆さんは、私が雇われているとご存じですよね。屋敷内でまで、婚約者にひとめぼれという演技をしなくてもいいと思うのですが」
「……まあ、それは確かにそうですが。このお花はステラ様の回復を祈って旦那様が用意させたものです。花言葉は『元気』です」
「そうですね。グレン様は熱を出した契約相手に、お見舞いをくださったのですよね。心遣いに対して、失礼なことを言ってしまいました」
目の前で熱を出して寝込んだ人間がいたから、お見舞いに花を贈る。
実に紳士な対応であり、演技のためだろうと考えてしまったステラが恥ずかしい。
「ああ、いえ。そうなのですが、そうではなく。……あの破廉恥野郎がさっさとスタートラインに立たないから、何だかややこしいことになっているじゃないですか」
ブツブツとシャーリーが呟いているが、いまいちよく聞き取れない。
「ステラ様。メランポジウムには、もうひとつ花言葉があるのですよ」
「そうなのですか。シャーリーさんは詳しいですね」
さすが伯爵家の使用人は、知識の面でも優秀ということか。
「いえ、そこではなく。……花言葉は『あなたは可愛い』です」
何故か挑むような眼差しで伝えられ、ステラは数回瞬いた。
「確かに、可愛いお花ですね」
鮮やかな黄色の花がたくさん集まって、とても華やかで心が明るくなる。
「いえ、そうでもなく。……旦那様も、この花言葉を知った上でお花を選んでいると思います」
「グレン様は花言葉までご存じなのですね。さすがは美貌の伯爵。女性に花を贈り慣れているのでしょうね」
納得しつつ感心していると、シャーリーががっくりと肩を落としている。
「スタートラインに立つまでは、と思ってステラ様をお守りするつもりでしたが。思いの外、防御が強固です。旦那様はスタートラインに立てたとしても、そのまま進めない可能性が高くなってまいりました」
再びブツブツと呟いているが、何か問題があったのだろうか。
「シャーリーさん? どうかしましたか?」
「いいえ。旦那様の頑張りに期待したいなと思っただけです」
心配になって問いかけると、シャーリーはにこりと微笑んだ。
耳元で名前を呼ばれ、ステラはゆっくりと目を開ける。
目の前には薬草の絵と説明が書いてあり、自分が本の上に寝ていたのだと気付いて慌てて体を起こす。
自室で聞こえるはずのない声に横を向けば、そこには紅玉の瞳の美青年の姿があった。
次いで自身の姿を見下ろし、どうやら昨夜は本を読みながら眠ってしまったのだと思い至る。
「ステラ、大丈夫か⁉」
グレンの言葉に、ステラは事態をようやく理解して目を瞠った。
「――本!」
慌てて本を確認すると、多少皺になっている気もしたが、破れたりはしていない。
よだれの一滴でも垂らしていたら一大事だった。
ほっと息をつくと、ステラはグレンに微笑み返した。
「大丈夫です、グレン様。本は無事でした」
「そうじゃない!」
グレンは苛立った様子でステラの額に手を当てる。
大きな手はひんやりとして、気持ちが良かった。
「やっぱり、熱がある。こんなところで寝ているから……」
そう言われれば、何だか熱いしだるいが……そもそも何故グレンがここにいるのだろう。
「どいてください、旦那様。それから、ステラ様に気安く触らない!」
いつの間にか背後に立っていたシャーリーが、グレンの手をつまみ上げた。
「気安くって、俺は婚約者だぞ。それにステラは熱があって」
「はいはい、そうですね。一応は婚約者ですね。それよりもベッドでお休みいただくので、出て行ってください。邪魔です、邪魔!」
何となくぼうっと二人のやり取りを聞いていたが、休むという言葉にステラの中の何かが反応した。
「大変です。仕事に行かないと」
窓の外はもう明るいし、屋敷を出なければ遅刻してしまう。
勢いよく椅子から立ち上がると、くらりと目が回ってよろめく。
椅子の背もたれをつかみそこなって傾いだ体を、グレンが抱き止めた。
「すみません。ちょっと立ち眩みが」
謝罪しながらグレンから離れようとすると、何故か更に抱き寄せられる。
「馬鹿を言うな。こんな状態で仕事に行かせられるか。治癒院には連絡するから、今日は休め」
「でも――うわっ⁉」
大丈夫だと口にする前にステラを抱き上げたグレンは、そのままベッドまで運ぶと端にそっと座らせた。
「……昨日、俺が無理をさせたせいだな。午前中に仕事をしていたステラを、連れまわしたから。……すまない」
深々と頭を下げるグレンを見てステラは慌てて首と手を振る。
「ち、違います。私がお風呂上りに本を読んだまま寝たせいなので、グレン様は悪くありません」
あまりにも振りすぎたせいか、熱のせいか、再び目が回りそうになったステラは胸に手を当てて深呼吸をした。
顔を上げたグレンは苦笑すると、ステラに手を伸ばし……その手をシャーリーに鷲掴みにされた。
「ステラ様は着替えてお休みになります。出て行ってくださいと申し上げましたよね?」
一分の隙も無い、まったく笑っていない笑顔にグレンは無言でうなずき、そのまま扉まで押し出される。
「ステラ、ゆっくり休んでくれ」
「そう思うなら、早く出てください」
伯爵と使用人とは思えぬ力技でグレンを押し出すと、シャーリーは深いため息をついた。
「……まったく。まだスタートラインに立っていない人に接触は許しませんよ、私は」
「スタートライン……?」
よくわからない言葉に首を傾げていると、いつの間にかシャーリーがワンピースを脱がせ始めている。
「え? あの、自分でできます」
「熱があるのですから、無理はいけません。お任せいただけますよね……?」
無理も何も、着替えるだけだから問題なく一人でできる。
そう言いたいのだが、笑顔の圧力が凄い。
だるいせいで抵抗する気力もなくなってきたステラは、シャーリーにされるがままとなり、あっという間にベッドに沈んだ。
次に目が覚めた時には、既に日は傾き始めていた。
その窓辺に昨日までなかった花瓶があり、黄色い小さな花がこんもりと活けられている。
何となくそれを見ていると、シャーリーが水差しを持ってやってきた。
「目が覚めたのですね。気分はいかがですか?」
「平気です。すみません、手間を取らせてしまって」
上体を起こすと、シャーリーの差し出したコップを受け取り、水を飲む。
ただの水なのに、体に染み渡るようだ。
「治癒院へは連絡されていますし、今日はこのままゆっくりとお休みください。院長も必要なら明日も休んでいいと言っているそうです」
「そんな。明日は行きます」
今日だって、本当ならば行くつもりだった。
多少の熱があっても裏方業務ならば顧客に迷惑をかけないし、実際今までも多少の体調不良は気にせずに働いていたのだ。
……熱が出たからと、こうしてゆっくりと休んだのは、一体いつぶりだろうか。
「そういえば、あのお花はシャーリーさんが活けてくれたのですか? 可愛いですね」
「メランポジウムというのですよ。旦那様からの贈り物です」
「グレン様が? ここはお屋敷の中ですから、わざわざそこまでしなくても」
「はい?」
コップを受け取ったシャーリーが、不思議そうに首を傾げる。
「使用人の皆さんは、私が雇われているとご存じですよね。屋敷内でまで、婚約者にひとめぼれという演技をしなくてもいいと思うのですが」
「……まあ、それは確かにそうですが。このお花はステラ様の回復を祈って旦那様が用意させたものです。花言葉は『元気』です」
「そうですね。グレン様は熱を出した契約相手に、お見舞いをくださったのですよね。心遣いに対して、失礼なことを言ってしまいました」
目の前で熱を出して寝込んだ人間がいたから、お見舞いに花を贈る。
実に紳士な対応であり、演技のためだろうと考えてしまったステラが恥ずかしい。
「ああ、いえ。そうなのですが、そうではなく。……あの破廉恥野郎がさっさとスタートラインに立たないから、何だかややこしいことになっているじゃないですか」
ブツブツとシャーリーが呟いているが、いまいちよく聞き取れない。
「ステラ様。メランポジウムには、もうひとつ花言葉があるのですよ」
「そうなのですか。シャーリーさんは詳しいですね」
さすが伯爵家の使用人は、知識の面でも優秀ということか。
「いえ、そこではなく。……花言葉は『あなたは可愛い』です」
何故か挑むような眼差しで伝えられ、ステラは数回瞬いた。
「確かに、可愛いお花ですね」
鮮やかな黄色の花がたくさん集まって、とても華やかで心が明るくなる。
「いえ、そうでもなく。……旦那様も、この花言葉を知った上でお花を選んでいると思います」
「グレン様は花言葉までご存じなのですね。さすがは美貌の伯爵。女性に花を贈り慣れているのでしょうね」
納得しつつ感心していると、シャーリーががっくりと肩を落としている。
「スタートラインに立つまでは、と思ってステラ様をお守りするつもりでしたが。思いの外、防御が強固です。旦那様はスタートラインに立てたとしても、そのまま進めない可能性が高くなってまいりました」
再びブツブツと呟いているが、何か問題があったのだろうか。
「シャーリーさん? どうかしましたか?」
「いいえ。旦那様の頑張りに期待したいなと思っただけです」
心配になって問いかけると、シャーリーはにこりと微笑んだ。