【11/25書籍発売予定】契約外溺愛 ~呪われ猫伯爵に溺愛宣言されたが、勘違いする乙女心は既にない。……いえ、取り戻さなくて結構です!~
18 結婚をする前に伝えたいこと
「ステラ。もう平気なのか?」
中和作業のために部屋を訪れると、書類仕事をしていたらしいグレンが立ち上がった。
「はい。ご迷惑をおかけしてすみませんでした。中和に来たのですが、忙しいようでしたら後にしますか?」
「いや、いい。座ってくれ」
促されるままにソファーに座ると、グレンがその隣に腰を下ろした。
早速中和をと思って手を伸ばすと、それよりも先にグレンの手がステラの額に触れる。
「熱は下がったようだな。良かった。でも、無理はいけない」
「ありがとうございます。これでも体は丈夫ですので、もう大丈夫です」
そっとグレンの手を取ると、そのまま両手で包み込み、目を閉じて集中する。
少しずつ魔力を流し、グレンの体内の呪いを和らげる。
魔力自体はそこまで消費しないが、気を使うのでそれなりに疲れる。
中和を終えて手を放し、小さく息をつくステラを見たグレンは、少しばかり眉をひそめた。
「ステラ。今回のことは俺が悪かったが……無理に治癒院で働かなくてもいいんじゃないか?」
思いがけない言葉に、動揺というよりも困惑する。
働いてもいいと言っていたのはグレンなのに、何か問題があったのだろうか。
「どうしても、駄目でしょうか」
「いや、駄目というわけではないが」
「一年後には元に戻りますし、その間完全に仕事から離れてしまっては腕が鈍ります」
「では、訪問治療だけでもやめるか……他の人に代わってもらうというのは」
訪問治療というのは魔女『ツンドラの女神』としての仕事であり、内容はハゲ治療だ。
とても他の人に任せられない。
そもそも、ステラ以外にあんな珍妙な魔法を使う人を見たことがないので、代わりようがない。
「あの治療は、私でなければ無理です。それに、待ってくれている方がいますので、無碍にはできません」
「……訪問治療のせいで悪評を流されているんだろう? 世間はステラを毒婦だの愛人だのと好き勝手言っているから、やめることができるのならと思ったんだが」
毒婦や愛人という言葉に一瞬ステラの体がこわばるが、どうも思っていた雰囲気とは違う。
「グレン様は、そう思っていないのですか?」
そう言えば、部屋を荒らされて大家の男性から言いがかりをつけられた時も、グレンは『信じるよ』と言ってくれた。
あの時はそれどころではなくて深く考えなかったが、どういうことなのだろう。
「少なくとも、男をもてあそぶようには見えない。それとも……二人きりだと、違うのか?」
「え?」
グレンは紅玉の瞳を細めながら、ステラの手にそっと触れる。
「俺を誘惑して、翻弄して、手玉に取るのか?」
仕草ひとつ、声音だけでも、恐ろしいほどに色っぽい。
なるほど、さすがは美貌の伯爵。
女性達が群がり、そばにいるステラを目の敵にするのもわからないでもない、と感心する。
「まさか。そんなことは、あり得ません。それは魅力のある女性がすることです」
「……そうか」
ステラのまっとうな意見に納得したのか、グレンが苦笑いを浮かべた。
それこそグレンが女性だったらいくらでも男性を翻弄できるだろうが、ステラでは土台無理な話である。
すると立ち上がったグレンは机から一枚の書類を取り出し、再びステラの隣に座った。
「俺達の結婚式は、どうしようか」
「はい? 契約結婚ですし、一年で離婚します。必要ないと思いますが」
謎の質問に困惑しつつも答えると、グレンは何故か残念そうに眉を下げた。
「二人の仲を知らしめるには、ちょうどいいと思うけど」
「何も、自らの首を絞めに行かなくてもいいと思いますよ。何よりも、お金がもったいないです」
伯爵であるグレンが結婚式を挙げるとしたら、さすがに庶民のそれとは規模が違うだろう。
となれば、当然お金もかかる。
仮初めの間柄で、一年で離婚するとわかっているのに、そんな無駄遣いをするなんてあり得ないことだ。
平民で悪評もあるステラを妻にする口実として『ひとめぼれ』という設定にしているのはわかる。
だが、これだって一年後にはグレンの人生の汚点として黒くはびこるのだ。
あえてその傷を深めるような真似はしなくていいと思う。
持っていた書類とペンをテーブルの上に置くと、グレンはステラを見つめる。
「これは、婚姻の書類だ。ここに署名して提出すれば、もう俺達は夫婦になる」
「はい」
思ったよりも簡素な内容の書類を見ていると、グレンがステラの手を握った。
「結婚する前に、伝えておきたいことがあるんだ」
「はい。どうぞ」
こうも真剣に言うのならば、あまり良くないことだろう。
恋人はいないと言っていたが、愛人はいるので配慮しろとか。
実は借金まみれなので、報酬は少ないとか。
先日のネックレスや本の代金を支払えとか。
ステラの部屋は使うので、厩で寝泊まりしろとか。
考えられるあまり良くなさそうなことを一通り頭に浮かべると、さすがに切なくなってきた。
だが大丈夫。
何にしても、一年の我慢だ。
閲覧権のために頑張ろう。
覚悟を決めてグレンを見ると、そこにいたはずの美青年の姿がない。
その代わりにソファーの上に座っていたのは、黒い毛並みに赤い瞳が美しい猫……シュテルンだった。
中和作業のために部屋を訪れると、書類仕事をしていたらしいグレンが立ち上がった。
「はい。ご迷惑をおかけしてすみませんでした。中和に来たのですが、忙しいようでしたら後にしますか?」
「いや、いい。座ってくれ」
促されるままにソファーに座ると、グレンがその隣に腰を下ろした。
早速中和をと思って手を伸ばすと、それよりも先にグレンの手がステラの額に触れる。
「熱は下がったようだな。良かった。でも、無理はいけない」
「ありがとうございます。これでも体は丈夫ですので、もう大丈夫です」
そっとグレンの手を取ると、そのまま両手で包み込み、目を閉じて集中する。
少しずつ魔力を流し、グレンの体内の呪いを和らげる。
魔力自体はそこまで消費しないが、気を使うのでそれなりに疲れる。
中和を終えて手を放し、小さく息をつくステラを見たグレンは、少しばかり眉をひそめた。
「ステラ。今回のことは俺が悪かったが……無理に治癒院で働かなくてもいいんじゃないか?」
思いがけない言葉に、動揺というよりも困惑する。
働いてもいいと言っていたのはグレンなのに、何か問題があったのだろうか。
「どうしても、駄目でしょうか」
「いや、駄目というわけではないが」
「一年後には元に戻りますし、その間完全に仕事から離れてしまっては腕が鈍ります」
「では、訪問治療だけでもやめるか……他の人に代わってもらうというのは」
訪問治療というのは魔女『ツンドラの女神』としての仕事であり、内容はハゲ治療だ。
とても他の人に任せられない。
そもそも、ステラ以外にあんな珍妙な魔法を使う人を見たことがないので、代わりようがない。
「あの治療は、私でなければ無理です。それに、待ってくれている方がいますので、無碍にはできません」
「……訪問治療のせいで悪評を流されているんだろう? 世間はステラを毒婦だの愛人だのと好き勝手言っているから、やめることができるのならと思ったんだが」
毒婦や愛人という言葉に一瞬ステラの体がこわばるが、どうも思っていた雰囲気とは違う。
「グレン様は、そう思っていないのですか?」
そう言えば、部屋を荒らされて大家の男性から言いがかりをつけられた時も、グレンは『信じるよ』と言ってくれた。
あの時はそれどころではなくて深く考えなかったが、どういうことなのだろう。
「少なくとも、男をもてあそぶようには見えない。それとも……二人きりだと、違うのか?」
「え?」
グレンは紅玉の瞳を細めながら、ステラの手にそっと触れる。
「俺を誘惑して、翻弄して、手玉に取るのか?」
仕草ひとつ、声音だけでも、恐ろしいほどに色っぽい。
なるほど、さすがは美貌の伯爵。
女性達が群がり、そばにいるステラを目の敵にするのもわからないでもない、と感心する。
「まさか。そんなことは、あり得ません。それは魅力のある女性がすることです」
「……そうか」
ステラのまっとうな意見に納得したのか、グレンが苦笑いを浮かべた。
それこそグレンが女性だったらいくらでも男性を翻弄できるだろうが、ステラでは土台無理な話である。
すると立ち上がったグレンは机から一枚の書類を取り出し、再びステラの隣に座った。
「俺達の結婚式は、どうしようか」
「はい? 契約結婚ですし、一年で離婚します。必要ないと思いますが」
謎の質問に困惑しつつも答えると、グレンは何故か残念そうに眉を下げた。
「二人の仲を知らしめるには、ちょうどいいと思うけど」
「何も、自らの首を絞めに行かなくてもいいと思いますよ。何よりも、お金がもったいないです」
伯爵であるグレンが結婚式を挙げるとしたら、さすがに庶民のそれとは規模が違うだろう。
となれば、当然お金もかかる。
仮初めの間柄で、一年で離婚するとわかっているのに、そんな無駄遣いをするなんてあり得ないことだ。
平民で悪評もあるステラを妻にする口実として『ひとめぼれ』という設定にしているのはわかる。
だが、これだって一年後にはグレンの人生の汚点として黒くはびこるのだ。
あえてその傷を深めるような真似はしなくていいと思う。
持っていた書類とペンをテーブルの上に置くと、グレンはステラを見つめる。
「これは、婚姻の書類だ。ここに署名して提出すれば、もう俺達は夫婦になる」
「はい」
思ったよりも簡素な内容の書類を見ていると、グレンがステラの手を握った。
「結婚する前に、伝えておきたいことがあるんだ」
「はい。どうぞ」
こうも真剣に言うのならば、あまり良くないことだろう。
恋人はいないと言っていたが、愛人はいるので配慮しろとか。
実は借金まみれなので、報酬は少ないとか。
先日のネックレスや本の代金を支払えとか。
ステラの部屋は使うので、厩で寝泊まりしろとか。
考えられるあまり良くなさそうなことを一通り頭に浮かべると、さすがに切なくなってきた。
だが大丈夫。
何にしても、一年の我慢だ。
閲覧権のために頑張ろう。
覚悟を決めてグレンを見ると、そこにいたはずの美青年の姿がない。
その代わりにソファーの上に座っていたのは、黒い毛並みに赤い瞳が美しい猫……シュテルンだった。