【11/25書籍発売予定】契約外溺愛 ~呪われ猫伯爵に溺愛宣言されたが、勘違いする乙女心は既にない。……いえ、取り戻さなくて結構です!~
21 ステラ・ウォルフォード
「――違う! その女性とは何もない。話しかけられて、一度ダンスを踊っただけだ。正直、顔も思い出せない」
「それはまた。……災難でしたね」
美貌の伯爵に弄ばれて捨てられたか、別れ話がこじれたのかと思いきや。
まさかのほぼ初対面とは。
よほど思わせぶりな態度だったか……聞いた感じでは、相当思い込みの強い女性なのか。
何にしても、グレンの運が悪かった。
「そういえば、解呪方法は知っているのですよね。その魔女はどこに?」
「旅に出るとか言っていた」
「あ、無事なのですね」
伯爵にこれだけの呪いをかけた上で接触されたのだから、相当な罰を科されてもおかしくない。
よくもまあ、無事でいられたものである。
「まあな。呪いをかけたこと自体は許し難いが、もともと依頼された内容は更に酷いものだったらしい。それを軽減させた上に、あえて俺に接触して解呪方法を伝えていった。……まあ、憎みきれないとでもいうのかな」
グレンに接触すれば、つかまって処刑される可能性すらある。
それでも解呪方法を伝えようとしたのは、その魔女なりの誠意なのだろう。
……だったら依頼を受けなければいいとは思うが、事情が色々あるのかもしれない。
「解呪は無理、なのですよね」
すでに方法を知っていているのだから、できるのなら当然試しただろう。
伯爵であるグレンでも無理ならば、金銭でどうこうできるものでもないはずだ。
となると、やはり中和しか残された術はないことになる。
「だが、もしかしたら……半分は条件を満たせるかもしれない」
「本当ですか? それは良かったですね」
明るい話題に、いつの間にか伏せていた顔を上げると、紅玉の瞳がステラをとらえていた。
半分でも解呪できれば、かなり楽になるだろう。
グレンの苦痛が緩和されるのなら、それは嬉しい。
そう思って微笑むが、ふと気付いた。
「それなら結婚はせずに、中和のために通いましょうか?」
結婚は中和作業の効率化のためであり、その報酬である閲覧権のためのものだ。
半分解呪されるのならば、そこまでの中和作業は必要ない。
となると結婚して同居する必要も、当然なくなる。
閲覧権は惜しいが、もともと平民には過ぎた願いだ。
中和作業自体の報酬はもらうことにすれば、グレンの人生の汚点を増やさずに済むし、いいことずくめではないか。
「いや、それは駄目だ」
「何故ですか?」
閲覧権が惜しいステラが粘るのならわかるが、グレンにとっては利点しかないと思うのだが。
グレンはステラの手を握りしめたまま、何やら視線を泳がせている。
「ステラの閲覧権のためには、結婚が必要だろう?」
「それはそうですが、本末転倒では」
「ステラのおかげで、かなり調子がいい。以前は猫になると半日は戻らなかったが、今は数時間にまで減ってきている。ステラに魔力を流してもらうとすぐに戻れることもわかった。本当に、感謝しているんだ。……ステラが嫌でなければ、俺と結婚してほしい」
それはつまり、契約の続行ということか。
もともとそのつもりだったし、ステラとしては閲覧権が手に入るので断る理由もない。
「わかりました。引き続き、よろしくお願いいたします」
ステラが頭を下げると、グレンはほっと息を吐いて手を放した。
「それじゃあ、署名してくれるかな」
渡されたペンで指定された場所に『ステラ・ナイトレイ』と書くと、何だか不思議な気持ちになり口元が綻ぶ。
「ステラ? どうかしたのか?」
「いいえ。このナイトレイという名は、カークランド公爵にいただいたのです。もともとの名前……コーネルは、勘当されたので使えませんし、使いたくなくて」
今はこのナイトレイという名が、平民としてのステラを支えるものだった。
それが契約で一年だけとはいえ、別のものに変わるとは。
人生は本当に何が起きるかわからないものである。
「コーネル男爵家、か」
「はい。王都からも離れていますし、もう関わることもないと思っていましたが。曲がりなりにもあの家は貴族です。大きな舞踏会などでは顔を合わせる機会もあるかもしれませんね。……グレン様には、先に謝罪しておきます」
「謝罪? 何故?」
ステラからペンを受け取ったグレンは、不思議そうに首を傾げる。
そんな仕草も色っぽいので、何とも困った伯爵だ。
「継母は絵に描いたような金の亡者です。父は言いなりで、財政は完全に傾いていました。私を売る形でお金を得たのでしょうが、それも恐らくすぐに尽きます。もしも私がグレン様の妻という立場にいると知ったら……きっとお金を無心しに来るでしょう。その時には、一切の援助をしないでください」
グレンの眉間に皺が寄っていく。
ウォルフォード伯爵家に一時でも置くのだから、恐らくステラの過去は調べられているだろう。
だが、継母の金への執念は伝わっていないかもしれない。
自分も娘がいるのに、父親と同じ年頃の離婚歴数回のスケベおやじにステラを嫁がせ。
死別して婚家を追い出されて実家に戻されれば、すぐに勘当して追い出した人だ。
ステラはともかく、グレンや伯爵家に迷惑をかけるわけにはいかなかった。
「もしあの人達が動くようなら、すぐに私と離婚してください。ウォルフォード家に近付く口実はなくなりますし、私一人ならばどうにでもなります」
「どうにでもとは、どういうことだ。以前に言っていた、国外とか言わないよな」
そうか、シュテルンの前で国外に行く話をしたことがあるのだから、当然グレンも知っているのか。
まあ、知られて困る話題ではないので、問題はない。
「その通りです。以前から考えていて……既に院長の推薦状はもらっています。カークランド公爵も必要なら書いてくださるというので、大丈夫です」
王都の治癒院院長と公爵の推薦状があれば、他国でもやっていけるだろう。
ステラにとって何よりも大切な財産であるそれは、院長に保管してもらっていたので無事だ。
「全然、大丈夫じゃない」
少し低い声に驚いて見てみれば、グレンの表情が曇っていた。
「グレン様の契約を終えた後なので、心配しないでください。それに、まだ決めたわけではありません」
完全に国外に行くつもりならば、グレンとの契約で得られる閲覧権の意味がなくなる。
中和自体はステラでなくても可能なのだから、この場合には契約を辞退して国外に行く準備をしたほうがいい。
それをしないのは、院長や師匠やカークランド公爵といった、お世話になった面々と離れ難いからだった。
「……そうか。なら、ここからが勝負なわけだ」
「はい?」
何を言われたのかわからずにいると、ステラの手をグレンがそっとすくい取った。
そのまま懐から出した指輪を、左手の薬指にはめる。
「本当は、もっと凝った作りにしても良かったが」
指輪には宝石はついておらず、装飾もない、ごくシンプルなものだ。
「いえ。これでも十分すぎます」
貴族の結婚指輪がどんなものかはよく知らないが、あまりに華美な装飾では仕事に差し支える。
本当なら指輪自体不要だが、曲がりなりにも伯爵夫人として過ごすのだからそういうわけにもいかないのだろう。
「これで、ステラ・ウォルフォードになった」
そう言うと、グレンはステラの手の甲に唇を落とす。
突然の柔らかい感触に、反射的に手を引っ込めた。
「な、何でしょうか」
サインをしたし、契約をしたのだから、ステラはウォルフォード伯爵夫人となる。
だが、それと今の行動に何の関係があるのだろう。
驚いて目を丸くするステラを見て、グレンは楽しそうに笑っている。
「これからよろしく。俺の大切なひと」
「は、はい。少しでも中和できるように、頑張りますね」
少し早まった鼓動に困惑しつつ抱負を語ると、紅玉の瞳は優しく細められた。
「それはまた。……災難でしたね」
美貌の伯爵に弄ばれて捨てられたか、別れ話がこじれたのかと思いきや。
まさかのほぼ初対面とは。
よほど思わせぶりな態度だったか……聞いた感じでは、相当思い込みの強い女性なのか。
何にしても、グレンの運が悪かった。
「そういえば、解呪方法は知っているのですよね。その魔女はどこに?」
「旅に出るとか言っていた」
「あ、無事なのですね」
伯爵にこれだけの呪いをかけた上で接触されたのだから、相当な罰を科されてもおかしくない。
よくもまあ、無事でいられたものである。
「まあな。呪いをかけたこと自体は許し難いが、もともと依頼された内容は更に酷いものだったらしい。それを軽減させた上に、あえて俺に接触して解呪方法を伝えていった。……まあ、憎みきれないとでもいうのかな」
グレンに接触すれば、つかまって処刑される可能性すらある。
それでも解呪方法を伝えようとしたのは、その魔女なりの誠意なのだろう。
……だったら依頼を受けなければいいとは思うが、事情が色々あるのかもしれない。
「解呪は無理、なのですよね」
すでに方法を知っていているのだから、できるのなら当然試しただろう。
伯爵であるグレンでも無理ならば、金銭でどうこうできるものでもないはずだ。
となると、やはり中和しか残された術はないことになる。
「だが、もしかしたら……半分は条件を満たせるかもしれない」
「本当ですか? それは良かったですね」
明るい話題に、いつの間にか伏せていた顔を上げると、紅玉の瞳がステラをとらえていた。
半分でも解呪できれば、かなり楽になるだろう。
グレンの苦痛が緩和されるのなら、それは嬉しい。
そう思って微笑むが、ふと気付いた。
「それなら結婚はせずに、中和のために通いましょうか?」
結婚は中和作業の効率化のためであり、その報酬である閲覧権のためのものだ。
半分解呪されるのならば、そこまでの中和作業は必要ない。
となると結婚して同居する必要も、当然なくなる。
閲覧権は惜しいが、もともと平民には過ぎた願いだ。
中和作業自体の報酬はもらうことにすれば、グレンの人生の汚点を増やさずに済むし、いいことずくめではないか。
「いや、それは駄目だ」
「何故ですか?」
閲覧権が惜しいステラが粘るのならわかるが、グレンにとっては利点しかないと思うのだが。
グレンはステラの手を握りしめたまま、何やら視線を泳がせている。
「ステラの閲覧権のためには、結婚が必要だろう?」
「それはそうですが、本末転倒では」
「ステラのおかげで、かなり調子がいい。以前は猫になると半日は戻らなかったが、今は数時間にまで減ってきている。ステラに魔力を流してもらうとすぐに戻れることもわかった。本当に、感謝しているんだ。……ステラが嫌でなければ、俺と結婚してほしい」
それはつまり、契約の続行ということか。
もともとそのつもりだったし、ステラとしては閲覧権が手に入るので断る理由もない。
「わかりました。引き続き、よろしくお願いいたします」
ステラが頭を下げると、グレンはほっと息を吐いて手を放した。
「それじゃあ、署名してくれるかな」
渡されたペンで指定された場所に『ステラ・ナイトレイ』と書くと、何だか不思議な気持ちになり口元が綻ぶ。
「ステラ? どうかしたのか?」
「いいえ。このナイトレイという名は、カークランド公爵にいただいたのです。もともとの名前……コーネルは、勘当されたので使えませんし、使いたくなくて」
今はこのナイトレイという名が、平民としてのステラを支えるものだった。
それが契約で一年だけとはいえ、別のものに変わるとは。
人生は本当に何が起きるかわからないものである。
「コーネル男爵家、か」
「はい。王都からも離れていますし、もう関わることもないと思っていましたが。曲がりなりにもあの家は貴族です。大きな舞踏会などでは顔を合わせる機会もあるかもしれませんね。……グレン様には、先に謝罪しておきます」
「謝罪? 何故?」
ステラからペンを受け取ったグレンは、不思議そうに首を傾げる。
そんな仕草も色っぽいので、何とも困った伯爵だ。
「継母は絵に描いたような金の亡者です。父は言いなりで、財政は完全に傾いていました。私を売る形でお金を得たのでしょうが、それも恐らくすぐに尽きます。もしも私がグレン様の妻という立場にいると知ったら……きっとお金を無心しに来るでしょう。その時には、一切の援助をしないでください」
グレンの眉間に皺が寄っていく。
ウォルフォード伯爵家に一時でも置くのだから、恐らくステラの過去は調べられているだろう。
だが、継母の金への執念は伝わっていないかもしれない。
自分も娘がいるのに、父親と同じ年頃の離婚歴数回のスケベおやじにステラを嫁がせ。
死別して婚家を追い出されて実家に戻されれば、すぐに勘当して追い出した人だ。
ステラはともかく、グレンや伯爵家に迷惑をかけるわけにはいかなかった。
「もしあの人達が動くようなら、すぐに私と離婚してください。ウォルフォード家に近付く口実はなくなりますし、私一人ならばどうにでもなります」
「どうにでもとは、どういうことだ。以前に言っていた、国外とか言わないよな」
そうか、シュテルンの前で国外に行く話をしたことがあるのだから、当然グレンも知っているのか。
まあ、知られて困る話題ではないので、問題はない。
「その通りです。以前から考えていて……既に院長の推薦状はもらっています。カークランド公爵も必要なら書いてくださるというので、大丈夫です」
王都の治癒院院長と公爵の推薦状があれば、他国でもやっていけるだろう。
ステラにとって何よりも大切な財産であるそれは、院長に保管してもらっていたので無事だ。
「全然、大丈夫じゃない」
少し低い声に驚いて見てみれば、グレンの表情が曇っていた。
「グレン様の契約を終えた後なので、心配しないでください。それに、まだ決めたわけではありません」
完全に国外に行くつもりならば、グレンとの契約で得られる閲覧権の意味がなくなる。
中和自体はステラでなくても可能なのだから、この場合には契約を辞退して国外に行く準備をしたほうがいい。
それをしないのは、院長や師匠やカークランド公爵といった、お世話になった面々と離れ難いからだった。
「……そうか。なら、ここからが勝負なわけだ」
「はい?」
何を言われたのかわからずにいると、ステラの手をグレンがそっとすくい取った。
そのまま懐から出した指輪を、左手の薬指にはめる。
「本当は、もっと凝った作りにしても良かったが」
指輪には宝石はついておらず、装飾もない、ごくシンプルなものだ。
「いえ。これでも十分すぎます」
貴族の結婚指輪がどんなものかはよく知らないが、あまりに華美な装飾では仕事に差し支える。
本当なら指輪自体不要だが、曲がりなりにも伯爵夫人として過ごすのだからそういうわけにもいかないのだろう。
「これで、ステラ・ウォルフォードになった」
そう言うと、グレンはステラの手の甲に唇を落とす。
突然の柔らかい感触に、反射的に手を引っ込めた。
「な、何でしょうか」
サインをしたし、契約をしたのだから、ステラはウォルフォード伯爵夫人となる。
だが、それと今の行動に何の関係があるのだろう。
驚いて目を丸くするステラを見て、グレンは楽しそうに笑っている。
「これからよろしく。俺の大切なひと」
「は、はい。少しでも中和できるように、頑張りますね」
少し早まった鼓動に困惑しつつ抱負を語ると、紅玉の瞳は優しく細められた。