【11/25書籍発売予定】契約外溺愛 ~呪われ猫伯爵に溺愛宣言されたが、勘違いする乙女心は既にない。……いえ、取り戻さなくて結構です!~
29 『ツンドラの女神』と守秘義務
心配してくれるのはとてもありがたいし、危険な目に遭いたいわけではない。
だが、それでも今はやめることができなかった。
「待っていてくださる方がいますし、喜んでもらえるのは嬉しいです。それに、将来を考えると、貯えも必要なので。……公爵の手間を取らせてしまうのは、心苦しいのですが」
「私もステラのおかげで救われた一人だから、活動してくれるのはありがたいが。……無理はしなくていいからね」
今でこそ素敵な壮年男性の公爵だが、出会った当初は少しばかり頭髪が寂しい状態だった。
縁あってそれを治療したことで、こうしてステラの面倒を見てくれているのだから、公爵も人がいい。
「あの。グレン様との契約を終えたら部屋探しをしなければいけないのですが、恐らく難しいでしょう。よければ公爵に少しお手伝いいただきたいのですが」
もともと、ステラの悪評は部屋探しには無関係だった。
だが、何度か嫉妬した奥方の嫌がらせを受けたことによって厄介者という認識ができてしまい、なかなか部屋を貸してもらえなくなっている。
その上、今回の空き巣を装った嫌がらせだ。
どう考えても部屋探しは難航するだろう。
しかも今回は、大家が嫌がらせの手引きをしている。
これでは安心して休むことすらままならないので、少しばかりずるいとは思うが、公爵の威光を借りたかった。
「確かに、ステラに害を及ぼす大家は困るな。……だが、もう必要ない気もするが」
「今回のことで、公爵が動いてくださったからですか?」
「いや? 主に動いたのは、グレンだよ。私は少し名前を貸したくらいだ」
「そうだったのですか?」
てっきり公爵がいつものように対応してくれたとばかり思っていたのに、まさかグレンが動いてくれたとは。
「とても怒っていたよ。グレンが女性のためにあそこまで感情を露わにして行動したのは、初めて見たな」
「律儀な方ですね」
仮初めの契約妻とはいえ伯爵夫人となったステラのためにそこまでしてくれるのだから、馬車に用意された花束もその範疇なのだろう。
ありがたいやら、申し訳ないやら。
だが、対外的な部分は伯爵家のために仕方ないとはいえ、私的な部分まで頑張る必要はない。
一度、グレンにしっかりと話した方がいいだろう。
グレンにとってはたいしたことのない出費なのだろうが、無駄遣いはやめるべきである。
「うーん、なるほど。これは、直球勝負せざるを得ないな」
公爵は困ったように笑うと、紅茶に口をつけた。
「ステラは、グレンをどう思う?」
「そうですね。容姿が整っていって、優しいです。でも少し変なことを言いますし、スキンシップが多めです。あれでは女性に勘違いをされても、おかしくありません。公爵からも注意を促して差し上げてください」
美貌の伯爵はただでさえ目立つし、恐らく狙っている女性達も多い。
それをあの接し方では、勘違いしてくださいと言っているようなものである。
モテた結果呪われてもなおステラにあの接し方ということは、無自覚な部分が大きいはず。
ここは大人の男性で身分が上の公爵が諭すのが、効果的だろう。
「まあ、今回の呪いは特殊な女性だったから、災難だが。少なくとも、グレンは誰にでもスキンシップを取るような男ではない。……ステラは、グレンに触れられるのは嫌かい?」
「嫌というわけではありませんが、不要なものですし。それに」
グレンにとってあれは契約の一環で、伯爵夫人に対しての接し方だ。
……決して、勘違いをしてはいけない。
「それに?」
「いえ……。そうだ、お聞きしたいことがあります。グレン様は私の魔法については、ご存知ないのですよね?」
「うん? だが、『ツンドラの女神』の名は知っていたぞ」
「ですが、魔法の効力についてはわかっていない様子でした」
公爵は口元に手を当てて、暫し考え込み、院長と顔を見合わせ、うなずいた。
「確かに、具体的な話は聞いていないし、もちろん私からもしていない。院長も同様、となると……本当に救いをもたらすという噂だけを頼りに私に行きついたのだろうな。知っている者は、詳しく話さないだろうから」
ステラのハゲ治療を知っている者は、すなわち治療を受けた薄毛人だ。
わざわざ自分がハゲ治療を受けましたと言うこともないだろう。
グレンが『ツンドラの女神』の名を聞いたとしても詳細は不明だろうし、公爵に行きついただけでも凄い執念である。
それだけ、呪いがつらいのだ。
だからこそ、その中和を担うステラに親切にしてくれている。
当たり前のことなのに、何故か少しだけ胸が痛んだような気がした。
「皆様の秘密は守りますので、ご安心ください」
「……ステラ。君の力を伏せているのは、治療を受けた者の羞恥心の問題もあるが、一番の理由は稀有な能力を持つ君を守るためだ。つらいようなら、いつでもやめていい」
髪の毛を生やしたり減らしたりするろくでもない魔法を、こうして尊重してくれるだけでも嬉しい。
母親を亡くし、結婚して即日未亡人になって追い出され、父と継母に勘当されたステラにとって、師匠と院長と公爵は大切な存在だった。
「確かに色々言われることもありますが、先程言ったように金銭的に助かっています。それに、感謝されるのは嬉しいです」
ステラは必要だと、ここにいてもいいと安心できるし、困っていた薄毛人が笑顔になってくれるのも嬉しい。
色々あっても続けているのは、利点が欠点を大きく上回っているからなのだ。
微笑むステラに公爵も苦笑し、紅茶に口をつけた。
「わかった。ステラのおかげで助かっている人は大勢いるからね。でも、無理はしないこと。やめたくなったら、いつでも言いなさい」
「はい。ありがとうございます」
ステラが頭を下げた瞬間、部屋の扉が開かれた。
「カークランド公爵、お久しぶりです」
室内に姿を見せた黒髪の美青年は、公爵に礼をする。
ただそれだけの仕草も優雅で、グレンが生粋の貴族なのだとよくわかった。
「ああ。それよりもグレン。ステラを溺愛するんだって?」
楽しそうに笑いながら言う様子からして、からかっているのだろう。
酒のせいだと慌てて訂正するのかと思いきや、グレンは表情を変えることなくうなずいた。
「はい。そのつもりです」
まさかの返答に、ステラの方が慌てて椅子から立ち上がった。
「まだ、そんなことを言っているのですか? お酒が抜けていないのでは?」
「酒? 何だ、俺が酔って適当なことを言ったと思っているのか」
呆れたと言わんばかりに肩をすくめられたが、呆れているのはこちらの方だ。
いくら何でも、昼間に公爵の前で言うような冗談ではない。
「ステラは、子供のいない私たち夫婦にとって、娘のようなものだ。君のことは信用しているが……からかっているというのなら、すぐにやめなさい」
公爵は穏やかな表情ではあるが、視線は鋭い。
やはり、失礼な言葉に怒っているのだろう。
謝ろうとするステラの前に腕を出して言葉を遮ったグレンは、まっすぐに公爵を見据えている。
「いいえ。本気です」
二人は暫し無言で見つめあい、やがて公爵が表情を緩めた。
「……そうか。ならば、見守ることにしよう」
「応援してはくださらないのですか?」
「私は、ステラの味方だ。ステラ次第だな」
にやりと笑う公爵に、グレンも口元を綻ばせた。
「それは、頑張るしかありませんね」
何やら二人で通じ合っているようだし、院長も笑顔なところを見ると理解しているようだが、ステラにはいまいちよくわからない。
「結局、どういうことですか?」
「ステラを大切にするってこと。――さあ、行こうか」
グレンに手を握られるが、やはり意味がわからない。
困ったステラが公爵の方に視線を向けると、優しい笑みを浮かべている。
「ステラ。私達夫婦も、院長も、君の幸せを願っているよ」
「え? はい、ありがとうございます」
反射的にお礼を言ってはみたものの、どういう意味だろう。
首を傾げたまま、ステラとグレンは部屋を後にした。
だが、それでも今はやめることができなかった。
「待っていてくださる方がいますし、喜んでもらえるのは嬉しいです。それに、将来を考えると、貯えも必要なので。……公爵の手間を取らせてしまうのは、心苦しいのですが」
「私もステラのおかげで救われた一人だから、活動してくれるのはありがたいが。……無理はしなくていいからね」
今でこそ素敵な壮年男性の公爵だが、出会った当初は少しばかり頭髪が寂しい状態だった。
縁あってそれを治療したことで、こうしてステラの面倒を見てくれているのだから、公爵も人がいい。
「あの。グレン様との契約を終えたら部屋探しをしなければいけないのですが、恐らく難しいでしょう。よければ公爵に少しお手伝いいただきたいのですが」
もともと、ステラの悪評は部屋探しには無関係だった。
だが、何度か嫉妬した奥方の嫌がらせを受けたことによって厄介者という認識ができてしまい、なかなか部屋を貸してもらえなくなっている。
その上、今回の空き巣を装った嫌がらせだ。
どう考えても部屋探しは難航するだろう。
しかも今回は、大家が嫌がらせの手引きをしている。
これでは安心して休むことすらままならないので、少しばかりずるいとは思うが、公爵の威光を借りたかった。
「確かに、ステラに害を及ぼす大家は困るな。……だが、もう必要ない気もするが」
「今回のことで、公爵が動いてくださったからですか?」
「いや? 主に動いたのは、グレンだよ。私は少し名前を貸したくらいだ」
「そうだったのですか?」
てっきり公爵がいつものように対応してくれたとばかり思っていたのに、まさかグレンが動いてくれたとは。
「とても怒っていたよ。グレンが女性のためにあそこまで感情を露わにして行動したのは、初めて見たな」
「律儀な方ですね」
仮初めの契約妻とはいえ伯爵夫人となったステラのためにそこまでしてくれるのだから、馬車に用意された花束もその範疇なのだろう。
ありがたいやら、申し訳ないやら。
だが、対外的な部分は伯爵家のために仕方ないとはいえ、私的な部分まで頑張る必要はない。
一度、グレンにしっかりと話した方がいいだろう。
グレンにとってはたいしたことのない出費なのだろうが、無駄遣いはやめるべきである。
「うーん、なるほど。これは、直球勝負せざるを得ないな」
公爵は困ったように笑うと、紅茶に口をつけた。
「ステラは、グレンをどう思う?」
「そうですね。容姿が整っていって、優しいです。でも少し変なことを言いますし、スキンシップが多めです。あれでは女性に勘違いをされても、おかしくありません。公爵からも注意を促して差し上げてください」
美貌の伯爵はただでさえ目立つし、恐らく狙っている女性達も多い。
それをあの接し方では、勘違いしてくださいと言っているようなものである。
モテた結果呪われてもなおステラにあの接し方ということは、無自覚な部分が大きいはず。
ここは大人の男性で身分が上の公爵が諭すのが、効果的だろう。
「まあ、今回の呪いは特殊な女性だったから、災難だが。少なくとも、グレンは誰にでもスキンシップを取るような男ではない。……ステラは、グレンに触れられるのは嫌かい?」
「嫌というわけではありませんが、不要なものですし。それに」
グレンにとってあれは契約の一環で、伯爵夫人に対しての接し方だ。
……決して、勘違いをしてはいけない。
「それに?」
「いえ……。そうだ、お聞きしたいことがあります。グレン様は私の魔法については、ご存知ないのですよね?」
「うん? だが、『ツンドラの女神』の名は知っていたぞ」
「ですが、魔法の効力についてはわかっていない様子でした」
公爵は口元に手を当てて、暫し考え込み、院長と顔を見合わせ、うなずいた。
「確かに、具体的な話は聞いていないし、もちろん私からもしていない。院長も同様、となると……本当に救いをもたらすという噂だけを頼りに私に行きついたのだろうな。知っている者は、詳しく話さないだろうから」
ステラのハゲ治療を知っている者は、すなわち治療を受けた薄毛人だ。
わざわざ自分がハゲ治療を受けましたと言うこともないだろう。
グレンが『ツンドラの女神』の名を聞いたとしても詳細は不明だろうし、公爵に行きついただけでも凄い執念である。
それだけ、呪いがつらいのだ。
だからこそ、その中和を担うステラに親切にしてくれている。
当たり前のことなのに、何故か少しだけ胸が痛んだような気がした。
「皆様の秘密は守りますので、ご安心ください」
「……ステラ。君の力を伏せているのは、治療を受けた者の羞恥心の問題もあるが、一番の理由は稀有な能力を持つ君を守るためだ。つらいようなら、いつでもやめていい」
髪の毛を生やしたり減らしたりするろくでもない魔法を、こうして尊重してくれるだけでも嬉しい。
母親を亡くし、結婚して即日未亡人になって追い出され、父と継母に勘当されたステラにとって、師匠と院長と公爵は大切な存在だった。
「確かに色々言われることもありますが、先程言ったように金銭的に助かっています。それに、感謝されるのは嬉しいです」
ステラは必要だと、ここにいてもいいと安心できるし、困っていた薄毛人が笑顔になってくれるのも嬉しい。
色々あっても続けているのは、利点が欠点を大きく上回っているからなのだ。
微笑むステラに公爵も苦笑し、紅茶に口をつけた。
「わかった。ステラのおかげで助かっている人は大勢いるからね。でも、無理はしないこと。やめたくなったら、いつでも言いなさい」
「はい。ありがとうございます」
ステラが頭を下げた瞬間、部屋の扉が開かれた。
「カークランド公爵、お久しぶりです」
室内に姿を見せた黒髪の美青年は、公爵に礼をする。
ただそれだけの仕草も優雅で、グレンが生粋の貴族なのだとよくわかった。
「ああ。それよりもグレン。ステラを溺愛するんだって?」
楽しそうに笑いながら言う様子からして、からかっているのだろう。
酒のせいだと慌てて訂正するのかと思いきや、グレンは表情を変えることなくうなずいた。
「はい。そのつもりです」
まさかの返答に、ステラの方が慌てて椅子から立ち上がった。
「まだ、そんなことを言っているのですか? お酒が抜けていないのでは?」
「酒? 何だ、俺が酔って適当なことを言ったと思っているのか」
呆れたと言わんばかりに肩をすくめられたが、呆れているのはこちらの方だ。
いくら何でも、昼間に公爵の前で言うような冗談ではない。
「ステラは、子供のいない私たち夫婦にとって、娘のようなものだ。君のことは信用しているが……からかっているというのなら、すぐにやめなさい」
公爵は穏やかな表情ではあるが、視線は鋭い。
やはり、失礼な言葉に怒っているのだろう。
謝ろうとするステラの前に腕を出して言葉を遮ったグレンは、まっすぐに公爵を見据えている。
「いいえ。本気です」
二人は暫し無言で見つめあい、やがて公爵が表情を緩めた。
「……そうか。ならば、見守ることにしよう」
「応援してはくださらないのですか?」
「私は、ステラの味方だ。ステラ次第だな」
にやりと笑う公爵に、グレンも口元を綻ばせた。
「それは、頑張るしかありませんね」
何やら二人で通じ合っているようだし、院長も笑顔なところを見ると理解しているようだが、ステラにはいまいちよくわからない。
「結局、どういうことですか?」
「ステラを大切にするってこと。――さあ、行こうか」
グレンに手を握られるが、やはり意味がわからない。
困ったステラが公爵の方に視線を向けると、優しい笑みを浮かべている。
「ステラ。私達夫婦も、院長も、君の幸せを願っているよ」
「え? はい、ありがとうございます」
反射的にお礼を言ってはみたものの、どういう意味だろう。
首を傾げたまま、ステラとグレンは部屋を後にした。