【11/25書籍発売予定】契約外溺愛 ~呪われ猫伯爵に溺愛宣言されたが、勘違いする乙女心は既にない。……いえ、取り戻さなくて結構です!~
33 仮初めだと、心に刻む
グレンに腕を捻りあげられた男性は、苦悶の表情を浮かべながら呻いている。
「何ですか、君は⁉」
「妻に、何の用だ」
その一言で、男性の抵抗が止まる。
グレンが腕を放すと、振り返った男性の顔色が一気に青ざめていった。
「ウォルフォード伯爵……し、失礼しました!」
転びそうになりながら慌てて逃げる男性をぼうっと見ていると、今度は正面からグレンに抱きしめられた。
「ステラ、大丈夫か?」
「はい。あの、何故その姿に?」
今までグレンに……シュテルンに触れて魔力を流すことで人の姿に戻したことはあるが、今は違った。
シュテルンに触れていないどころか、魔力も流していないのに、何故だろう。
「ステラから魔力が流れてきた。後は、戻りたいと必死だったからかもしれない。……すまない。俺が一緒にいたのに。腕は、痛むか?」
そうか。
男性の髪が勝手に伸びそうになったくらいなのだから、魔力は漏れていた。
グレンのことを考えていたから、無意識のうちにそちらにも魔力を流してしまったのだろう。
麗しき黒い毛球が降臨しなかったのは、もはや奇跡である。
「ステラ?」
グレンは腕の中を覗き込むが、ステラは唇を噛みしめたままだ。
こんなことは、今までにも何回もあった。
いざとなれば、魔法で一気に毛を生やして隙をついて逃げることだってできる。
隠さなければいけなくて、毛根を労わろうとするから大っぴらに使えないだけで、しがらみがなければ問題ない。
そう、平気だ、何ともない。
……それなのに何故、手が震えているのだろう。
ステラの乙女心は既に消えている。
男性にああして近寄られたって、怖くなどなかったはず……なのに。
「乙女心なんて、邪魔です。生きる上で、いらないです。じゃないと私……この先、一人で戦っていけなくなります」
震える手を握りしめるのと同時に、グレンにぎゅっと抱きしめられた。
「ステラは一人じゃない。大丈夫、俺がいる」
優しい声でそう言うと、何度もステラの頭を撫でる。
嘘つきだ。
一年だけの、契約上の夫婦なのに。
それなのに、こうして抱きしめられて、撫でられて、安心している自分がいる。
これでは、いけない。
……駄目、なのに。
ステラはグレンの腕の中から逃げることも、縋りつくこともできず、ただじっと時間が過ぎるのを待った。
翌日から、ステラは今まで以上に図書館での調べものと勉強に精を出すようになった。
早朝から図書館に行って勉強をし、そのまま治癒院で仕事をして、帰りに再び図書館に向かう。
帰宅は夜遅くだったが、馬車で送迎してもらっているので安全だから問題ない。
屋敷に戻るとグレンの中和をこなし、そのまま夜中まで勉強をしている。
グレンは送迎してくれていたが、本職が忙しくなってきたせいで、ここ最近は中和以外顔を合わせないことが多かった。
「魔力自体はあるのですから、もっと応用できるはずです」
ステラは傷薬を作ることができるが、それはあくまでもただの薬。
今調べているのは、魔法薬と呼ばれるものだ。
簡単に言えば普通の薬に魔力を使って更なる効果を付与したものである。
単純に傷薬としての効果を増強するものから、熱さましとしても使えるものなど、作り手によって様々だ。
ステラは『ツンドラの女神』として魔力自体を流して発毛や育毛を促すと同時に、毛生え薬を作ることができる。
用法容量を守らないとかえって毛根に負担がかかるので、安易に使えないが、一応はあれも魔法薬の一種だ。
とはいえ、とても量産することも一般に販売することもできないので、もっと別の魔法薬を作れるようになりたかった。
「薬の浸透と吸収される速度を上げられれば、ただの傷薬でも効果が飛躍的に上がるはずです」
傷薬は作れるし、薬に魔力を込めること自体はできる。
あとは、それに合う調合や魔力の加減さえわかれば、理論上はある程度の数を作ることだってできるはずだ。
「効果の高い傷薬なら、いい値段で売れます。平民に戻っても、魔女としての仕事がなくなっても、何とか食べていけるでしょう」
こうして勉強に集中していれば、グレンのことは考えなくて済む。
呪いの中和で毎夜顔を合わせる以外は、ほとんど会話もないが、毎日花束は届いている。
添えられたカードには、優しい言葉が並んでいる。
その律儀さに笑いたくもなるが、契約の残り期間も半分を切った。
本腰を入れて勉強をしなければ、平民生活でここまでの時間を勉強に割くことは不可能だ。
机で朝を迎えることも多くなり、疲労もたまっていたが、それでも今しかできない。
ステラは何かから目を背けるように、ひたすらに勉強に没頭していた。
「ステラ、顔色が悪くないか?」
いつものように中和をしていると、グレンがステラの顔を覗き込んでくる。
「気のせいです。夜なので、そう見えるのでしょう」
「最近、ほとんど屋敷にいないようだが」
「図書館で勉強をしています。グレン様も忙しいのですよね」
あまり触れてほしくないので話題を変えると、グレンは小さく息を吐いた。
「ああ。本当はステラの送迎をしたいし、一緒に食事をとりたいが」
「ご心配なく。大丈夫です」
グレンは王城で文官をしているそうで、この時期は貴族からの領地の報告書で大変らしい。
「ああ。不正が見つかったせいで、仕事が倍増した。もう暫くすれば落ち着くから。そうしたら、ステラとゆっくり過ごせるよ」
「そうですか」
ステラはにこりと微笑む。
治癒院で磨かれた営業スマイルは、本当に便利だ。
グレンと接する機会が減ったおかげで、ようやく調子が戻ってきた。
これならば、平民に戻っても問題なく生きていけるだろう。
だが、きちんと笑みを浮かべたはずなのに、グレンの表情は少し険しい。
「ステラ、手を握ってくれるか」
「はい。中和が足りませんでしたか?」
「いや。これは、ステラの分」
「私、ですか?」
よくわからないが、とりあえずグレンが差し出した手を握る。
大きくて、ひんやりとした手は心地良かった。
だが、中和でもないのに手を握って、どうするのだろう。
「勉強はいいが、無理はしないでくれ」
「大丈夫です。ありがとうございます」
ステラはもともとグレンの呪いの中和に対する報酬である、王立図書館の閲覧権のために契約をしたのだ。
本分を忘れてはいけない。
一人で強く生きていくのだから乙女心なんていらないし、既にない。
グレンとも、普通に接することができるのだから、平気だ。
――これはあくまでも契約、仮初めの関係。
心に刻んで、業務をまっとうしよう。
「何ですか、君は⁉」
「妻に、何の用だ」
その一言で、男性の抵抗が止まる。
グレンが腕を放すと、振り返った男性の顔色が一気に青ざめていった。
「ウォルフォード伯爵……し、失礼しました!」
転びそうになりながら慌てて逃げる男性をぼうっと見ていると、今度は正面からグレンに抱きしめられた。
「ステラ、大丈夫か?」
「はい。あの、何故その姿に?」
今までグレンに……シュテルンに触れて魔力を流すことで人の姿に戻したことはあるが、今は違った。
シュテルンに触れていないどころか、魔力も流していないのに、何故だろう。
「ステラから魔力が流れてきた。後は、戻りたいと必死だったからかもしれない。……すまない。俺が一緒にいたのに。腕は、痛むか?」
そうか。
男性の髪が勝手に伸びそうになったくらいなのだから、魔力は漏れていた。
グレンのことを考えていたから、無意識のうちにそちらにも魔力を流してしまったのだろう。
麗しき黒い毛球が降臨しなかったのは、もはや奇跡である。
「ステラ?」
グレンは腕の中を覗き込むが、ステラは唇を噛みしめたままだ。
こんなことは、今までにも何回もあった。
いざとなれば、魔法で一気に毛を生やして隙をついて逃げることだってできる。
隠さなければいけなくて、毛根を労わろうとするから大っぴらに使えないだけで、しがらみがなければ問題ない。
そう、平気だ、何ともない。
……それなのに何故、手が震えているのだろう。
ステラの乙女心は既に消えている。
男性にああして近寄られたって、怖くなどなかったはず……なのに。
「乙女心なんて、邪魔です。生きる上で、いらないです。じゃないと私……この先、一人で戦っていけなくなります」
震える手を握りしめるのと同時に、グレンにぎゅっと抱きしめられた。
「ステラは一人じゃない。大丈夫、俺がいる」
優しい声でそう言うと、何度もステラの頭を撫でる。
嘘つきだ。
一年だけの、契約上の夫婦なのに。
それなのに、こうして抱きしめられて、撫でられて、安心している自分がいる。
これでは、いけない。
……駄目、なのに。
ステラはグレンの腕の中から逃げることも、縋りつくこともできず、ただじっと時間が過ぎるのを待った。
翌日から、ステラは今まで以上に図書館での調べものと勉強に精を出すようになった。
早朝から図書館に行って勉強をし、そのまま治癒院で仕事をして、帰りに再び図書館に向かう。
帰宅は夜遅くだったが、馬車で送迎してもらっているので安全だから問題ない。
屋敷に戻るとグレンの中和をこなし、そのまま夜中まで勉強をしている。
グレンは送迎してくれていたが、本職が忙しくなってきたせいで、ここ最近は中和以外顔を合わせないことが多かった。
「魔力自体はあるのですから、もっと応用できるはずです」
ステラは傷薬を作ることができるが、それはあくまでもただの薬。
今調べているのは、魔法薬と呼ばれるものだ。
簡単に言えば普通の薬に魔力を使って更なる効果を付与したものである。
単純に傷薬としての効果を増強するものから、熱さましとしても使えるものなど、作り手によって様々だ。
ステラは『ツンドラの女神』として魔力自体を流して発毛や育毛を促すと同時に、毛生え薬を作ることができる。
用法容量を守らないとかえって毛根に負担がかかるので、安易に使えないが、一応はあれも魔法薬の一種だ。
とはいえ、とても量産することも一般に販売することもできないので、もっと別の魔法薬を作れるようになりたかった。
「薬の浸透と吸収される速度を上げられれば、ただの傷薬でも効果が飛躍的に上がるはずです」
傷薬は作れるし、薬に魔力を込めること自体はできる。
あとは、それに合う調合や魔力の加減さえわかれば、理論上はある程度の数を作ることだってできるはずだ。
「効果の高い傷薬なら、いい値段で売れます。平民に戻っても、魔女としての仕事がなくなっても、何とか食べていけるでしょう」
こうして勉強に集中していれば、グレンのことは考えなくて済む。
呪いの中和で毎夜顔を合わせる以外は、ほとんど会話もないが、毎日花束は届いている。
添えられたカードには、優しい言葉が並んでいる。
その律儀さに笑いたくもなるが、契約の残り期間も半分を切った。
本腰を入れて勉強をしなければ、平民生活でここまでの時間を勉強に割くことは不可能だ。
机で朝を迎えることも多くなり、疲労もたまっていたが、それでも今しかできない。
ステラは何かから目を背けるように、ひたすらに勉強に没頭していた。
「ステラ、顔色が悪くないか?」
いつものように中和をしていると、グレンがステラの顔を覗き込んでくる。
「気のせいです。夜なので、そう見えるのでしょう」
「最近、ほとんど屋敷にいないようだが」
「図書館で勉強をしています。グレン様も忙しいのですよね」
あまり触れてほしくないので話題を変えると、グレンは小さく息を吐いた。
「ああ。本当はステラの送迎をしたいし、一緒に食事をとりたいが」
「ご心配なく。大丈夫です」
グレンは王城で文官をしているそうで、この時期は貴族からの領地の報告書で大変らしい。
「ああ。不正が見つかったせいで、仕事が倍増した。もう暫くすれば落ち着くから。そうしたら、ステラとゆっくり過ごせるよ」
「そうですか」
ステラはにこりと微笑む。
治癒院で磨かれた営業スマイルは、本当に便利だ。
グレンと接する機会が減ったおかげで、ようやく調子が戻ってきた。
これならば、平民に戻っても問題なく生きていけるだろう。
だが、きちんと笑みを浮かべたはずなのに、グレンの表情は少し険しい。
「ステラ、手を握ってくれるか」
「はい。中和が足りませんでしたか?」
「いや。これは、ステラの分」
「私、ですか?」
よくわからないが、とりあえずグレンが差し出した手を握る。
大きくて、ひんやりとした手は心地良かった。
だが、中和でもないのに手を握って、どうするのだろう。
「勉強はいいが、無理はしないでくれ」
「大丈夫です。ありがとうございます」
ステラはもともとグレンの呪いの中和に対する報酬である、王立図書館の閲覧権のために契約をしたのだ。
本分を忘れてはいけない。
一人で強く生きていくのだから乙女心なんていらないし、既にない。
グレンとも、普通に接することができるのだから、平気だ。
――これはあくまでも契約、仮初めの関係。
心に刻んで、業務をまっとうしよう。