【11/25書籍発売予定】契約外溺愛 ~呪われ猫伯爵に溺愛宣言されたが、勘違いする乙女心は既にない。……いえ、取り戻さなくて結構です!~
35 戻れなくなる前に
 妙に重い瞼をゆっくりと開けると、ステラはウォルフォード邸の自室のベッドに横になっていた。

 確か治癒院にいて、魔法薬を使ったと思うのだが……何故ここにいるのだろう。
 少し混乱しながら瞼をこすろうとして、自身の指に輝く指輪が目に入る。

 この指輪をしてそれなりの時間が経ったが、こうして改めて見ていると何だか不思議な感覚だ。
 ふと顔を横に向けると、そこにはベッドの横で椅子に腰かけたまま、うとうとと揺れるグレンがいた。

「……グレン様?」
 ステラが小さく呟くと、弾かれるように目を開けたグレンは、勢いよくベッドに身を乗り出す。

「――ステラ、気が付いたのか! 気分は? つらいところはないか?」
「平気です。それよりも、あの人はどうなりましたか?」

 止血はできたと思ったが、それまでの出血が酷すぎた。
 目を開けたとはいえ、状態が急変してもおかしくない。

「生きているよ。ステラのおかげで止血できた。あの後、王城に運んで治癒魔法の使い手に治療してもらった。もう命の心配はないそうだ」
「そうですか」

 治癒魔法は魔法の中でも貴重かつ有用であり、その使い手は王城お抱えとなって皆の尊敬を集めている。
 公にその価値が認められる存在……ステラの毛生え薬とはまったく違う。

 そこまで考えて、ステラは大切なことにようやく気が付いた。
 夢中で魔力を総動員させたが、あの男性の毛と毛根は無事だろうか。
 とんでもない毛玉にはなっていなかった気はするが、記憶が曖昧だ。

 ステラが意識を失った後に全身毛玉や丸坊主状態になっていたとしたら、何と説明すればいいのだろう。


「グレン様。あの方は、その……無事、ですか?」
「ああ、無事だ」

 ステラをなだめるように優しい声が答えてくれたが、たぶんステラの聞きたい内容とは違う気がする。
 だが、正直に『やたらと毛が生えたり、ごっそり抜けたりしていませんか』と聞くのは憚られた。

「ええと、その。頭、は……?」
「頭? 打っていないし、意識はハッキリしているぞ」

「他に、あの。……おかしいところなどは」
「いや? 傷ももう塞がったから、あとは暫く療養すれば問題ないそうだ」

 穏やかな返答からして、どうやら毛髪大爆発や毛根全滅という最悪の事態は免れたようだ。
 同時に、薄毛人(うすげびと)達の秘密も守られた。

「……良かった」
 色々な意味で安心してため息をつくと、グレンがステラの手をそっと握ってきた。


「それよりも、ステラはどうなんだ?」
「平気です」

 ゆっくりと体を起こそうとすると、ぐらりと視界が揺れる。
 グレンが抱きしめるようにしてそれを支えた。

 どうやら魔力を使いすぎたようだ。
 いや、単純に疲労か……あるいは、横になっていた時間が長いのかもしれない。
 グレンに支えられながらどうにか上体を起こすと、背中に枕を詰め込まれたので、それにもたれた。

「何か飲むか? 水は?」
「いただきます。……あの後、私は倒れたのでしょうか?」
 グレンは水の入ったコップをステラに手渡すと、ゆっくりとうなずいた。

「丸一日、眠っていた」
 それはまた、結構な時間が経過している。
 起き上がろうとして目が回るのも当然だ。

 コップいっぱいに入っていた水を飲み干すと、グレンに返す。
 文字通り体に染み渡っていくようで、とても美味しい。
 すると、グレンはステラの手をぎゅっと握りしめ、うつむいた。


「……すまなかった」
「何がですか?」

「フレッドを助けたくて治癒院に連れて行ったが、ステラをここまで疲弊させるつもりはなかった。院長に聞いたが、ステラの本来の魔力とは違う使い方だから、そのぶん負担が大きいらしいな」

 グレンの真剣な様子に、本来の使い方というのが毛生え薬だとはとても言えない。
 どちらにしても言えないとはいえ、何だかすごく恥ずかしい。

「でも、ご覧の通り平気ですし。あの人が助かったなら、良かったです」

 ステラの魔力は発毛の促進や育毛、あるいは逆に毛根を滅ぼすもの。
 その根幹には、恐らく血流への干渉があるのだろう。

 それに気付いてから傷薬の吸収促進を狙って調合と魔力の調整の練習をしていたわけだが、偶然にもそれがいい方向に作用したようだ。

「治癒院にフレッドを連れて行ったのは、俺だ。助けてほしいと言ったのも、俺。フレッドが助かったのは、もちろん嬉しい。だが」
 グレンは握っていたステラの手を、両手で包み込む。

「ステラに何かあったら……俺は、治癒院に行ったことをずっと後悔しただろう」


「何かって、大袈裟ですよ。ちょっとした魔力切れです。眠れば治ります」
 笑みを浮かべるステラの頬に、グレンの手が伸びる。

「本当に、平気か?」
「はい。明日はさすがに、仕事をお休みさせていただきたいですが」
 すると、グレンの眉間に一気に皺が寄る。

「当然だ! 院長に一週間は休むと伝えてあるし、了解も得ている」
「ええ? 少し長くありませんか?」

 魔力が切れても通常の薬師としての業務はできるので、一晩休めば問題ないと思うのだが。
 だが、グレンに譲る気配はない。

「院長も無理は禁物と言っていた」
「心配性ですね」
「……最近、あまり寝ていないだろう? 深夜でも部屋に明かりがついている」

 その通りではあるが、何故知っているのだろう。
 扉は閉めているから、廊下に光は漏れていないと思うが、庭に出た使用人にでも聞いたのだろうか。

「すみません、明かりがご迷惑でしたか」
「違う」

「では、照明の燃料費でしょうか? それでしたら、自分で」
「――違う!」
 声を荒げられ驚いたステラが肩を震わせると、グレンがはっとして、すぐに頭を垂れた。

「ごめん、大きな声を出して。ただ、心配なんだ。無理をしてまた倒れたら。ステラに何かあったらと思うと。……それは、わかってくれ」

 そのままステラの手に唇を落とすと顔を上げ、紅玉(ルビー)の瞳がまっすぐにステラをとらえた。
 宝石のように輝く赤い瞳から、目が離せない。


 この気持ちは、何だろう。
 胸の奥が、ふわふわする。

 苦しいのに、つらいのとは少し違う。
 温かい何かに包まれるような、コップに水を注いで溢れていくような、不思議な感覚だ。

 ぼんやりとグレンを見つめていたステラは、ハッと我に返るとすぐに視線を逸らしてうつむく。
 いけない、何を考えているのだろう。

 グレンは優しいから、フレッドの治療でステラが倒れたことに責任を感じているだけだ。
 契約上の夫婦だから、ステラを気にかけてくれるのだ。

 そうに違いない。
 そうでなければ……困る。

 もしも万が一、これが本当にステラを大切に想って心配しているのだとしたら。
 それを受け入れてしまったらきっと――もう、戻れなくなる。

 背筋を這い上がってくる恐怖に、ステラは小さく身震いをした。
 危なかった。
 しっかりと、自分を戒めなければいけない。


「ステラ? 大丈夫か?」
 グレンの声に顔を上げたステラは、長年培った営業スマイルを浮かべた。

「ありがとうございます。では、せっかくですので一週間休ませていただきますね」
「……ああ。しっかり、休んで」

 グレンは優しい笑みをステラに向けると、そのまま手を伸ばして頭を撫でた。
 大きな手に触れられて、安心する自分がいる。

 でもこれも、きっと気の迷いなのだろう。
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