【11/25書籍発売予定】契約外溺愛 ~呪われ猫伯爵に溺愛宣言されたが、勘違いする乙女心は既にない。……いえ、取り戻さなくて結構です!~
37 勘違いなんてしません
「はい、どうぞ」
床にいるシュテルンを見下ろしたまま会話するのも何だか気が引けたので、黒猫を持ち上げると机の上に乗せる。
目の前に至極のモフモフな生き物がいるのは眼福だが、そういえば何故この姿なのだろう。
「ええと。とりあえず、元の姿に戻しましょうか」
わざわざ窓から入ってくる理由もないので、恐らくうっかり猫姿になってしまったのだろう。
だが、何故か黒猫はゆっくりと首と尻尾を振った。
「いや、いい。ステラは座ってくれ。疲れているだろう」
「はい」
言われるままに椅子に腰を下ろすと、黒猫は再び尻尾を揺らした。
「さっきは、すまなかった。ステラの魔女としての力や仕事を否定するつもりはなかったんだ。ただ、その……」
勢いよく頭を垂れた黒猫は、何やら言いづらそうに尻尾を低く揺らしている。
後頭部の丸みに思わず撫でたくなるが、今はそういう空気ではない。
ステラがモフモフ欲を我慢していると、シュテルンが顔を上げた。
「俺の中和と同じと聞いたから。あんな風に近くで手を握って、ステラの魔力を感じて。あれを何度も経験している男がいると思ったら苛ついて。俺だけじゃないと思ったら、悔しくなって。その……ただの嫉妬だ。ごめん」
そう言うと、シュテルンは尻尾と頭を同時に下げた。
「……嫉妬?」
言葉の意味は知っているが、この場に出てくる理由が理解できず、上手く返答できない。
嫉妬というのは、好意を持つ者の情が他者に向けられることに対して、恨んだり憎んだりすることだ。
嫉妬するというのならば、前提として好意がなければいけない。
ステラとグレンは契約上の夫婦なのだから、辻褄が合わないはずだ。
「ああ。ステラの手を……ステラを、独占したいと思った」
顔を上げたシュテルンの赤い瞳に見つめられ、ステラの鼓動が跳ねる。
何だか胸の奥が苦しくて、どうしたらいいのかわからない。
「だが、君の仕事を否定するような言い方は間違っていた。本当に、ごめん」
申し訳なさそうに目を伏せるシュテルンを見て、ようやくステラは事態を理解した。
これは、謝罪だ。
魔女の仕事に対してのお詫びであって、それ以上でもそれ以下でもない。
ようやく心の拠り所を見つけたステラは、ほっと息をつくとうなずいた。
「いえ、大丈夫です。誤解されるのも否定されるのも慣れています」
営業用の笑みを浮かべると、何故か黒猫は悲しそうに首を振った。
「……慣れないよ。そんなもの、慣れる人はいない。誤魔化すのが上手くなるだけだ。つらいものはつらいだろう?」
「それ、は」
――やめて、それ以上言わないで。
ぞくりと背筋が冷えたステラは、慌ててシュテルンの足を握る。
「あの、とりあえず元の姿に戻しましょう!」
話を変えようと努めて明るく切り出すが、シュテルンは再び首を振る。
「いや、やめておくよ。人の姿に戻るまでの時間が、かなり短くなってきた。夜明けまでには確実に戻るから、問題ない」
「でも、わざわざ猫のままでいなくても。……もしかして、心も猫に……?」
呪いは外見の変化だけでなく、内面まで猫に変えてしまうのだろうか。
だとしたら、何とも恐ろしい呪いである。
いよいよ猫心を身に着けたのなら、爪とぎを用意した方がいいかもしれない。
「違うよ。そうじゃなくて、夜にステラの部屋で二人きりだから。ここで人の姿になると、ちょっと……我慢できないと、困る」
「へ?」
「おやすみ、ステラ」
固まるステラの鼻先をぺろりと舐めると、黒猫はあっという間に窓の外に飛び出していった。
はたはたと夜風に揺れるカーテンを見て、ようやくステラは瞬きをする。
「……窓。閉めないといけませんね」
ステラが立ち上がると同時に、背後の扉を叩く音が聞こえる。
慌てて向かってみると、そこにはシャーリーが立っていた。
「ステラ様、夜分に失礼いたします。つかぬことを伺いますが、こちらに破廉恥野郎……いえ、黒猫のふりをした旦那様はおりませんか?」
ふりも何も実際に黒猫なのだが、シャーリーが言いたいのはそういうことではないのだろう。
「先ほどまでいらっしゃいましたが、窓から出ていきました」
「一足遅かったようですね。旦那様はステラ様に失礼なことを言いませんでしたか?」
「え? いえ。今、謝罪に来てくださったので」
「なるほど。謝罪するようなことは言ったのですね」
シャーリーは笑顔のまま拳を自身の手に叩きつけていて、ちょっと怖い。
「まったく。療養中のステラ様が出掛けたから心配で、行き先がサンダーソン侯爵邸だから嫉妬するのはわかりますが。ステラ様に八つ当たりなど、言語道断。黒猫は早々に捕獲しておきますので、どうぞごゆっくりお休みくださいませ」
笑顔のままシャーリーは扉を閉め、静かになった室内でステラは身動きが取れずに立ち尽くしていた。
「……ちょっと、待ってください。順番に、順番に考えましょう」
何が何だかわからないから、混乱するのだ。
順を追って考えていけば、大丈夫。
ステラは椅子に腰かけると、胸に手を当てて深呼吸をして心を落ち着ける。
まず、グレンが黒猫姿で訪問してきたのは謝罪のためで、魔女の力と仕事を否定するつもりはなかった。
ここは問題なく理解できる。
次に、否定的な言動をとった理由が、嫉妬だった。
……ここが、既におかしい。
しかもステラを独占したいと思ったなんて、まるで好意があるみたいではないか。
「でも、グレン様とは一年間の契約で。確かに溺愛するとか言っていましたが、あれは呪いの中和のお礼に乙女心を取り戻すためで。……いえ、取り戻さなくていいのですが」
段々混乱してきたが、ここで考えるのをやめるわけにはいかない。
「それから、猫姿から戻らない理由が、夜に私の部屋に二人きりで我慢できないと困る……?」
シュテルン……というかグレンが言っていたことをそのまま繰り返したステラは、自身の頬が熱を持っていくのがわかった。
ステラはこれでも結婚歴があるし、年齢相応に知識がないわけではない。
グレンのあの言い回しはつまり、ステラを女性として見ているという意味だろうか。
「――い、いえいえ。まさか。勘違いも甚だしく、図々しいにも程があります!」
あまりにも勢いよく首を振ったために目が回り、そのまま机に突っ伏した。
きっと、ステラが云々ではなくて、夜に男女二人はよろしくないという世間の一般の話だ。
紳士の嗜みだ。
「そう、そうです、だから、特に意味のない普通のことで」
それで……鼻先をぺろりと舐めたりする、だろうか。
うっかり思い出してしまったせいで、ステラの頬は更に温度が上昇していく。
どうにか鎮めようと自身の両手で頬を押さえるが、一向に冷える気配がない。
「ふ、普通。普通です」
きっと、グレンは心も猫に近付いているのだ。
猫にとって鼻と鼻をあわせるのは挨拶なので、あれもきっと挨拶に違いない。
ぺろりと舐めるのは何だか違う気もしないでもないが、挨拶だということにしておこう。
「あれは、おやすみなさいの挨拶です。もっと呪いを中和しないと、あのままではグレン様は出合い頭に鼻を舐める変態紳士になりかねません! 明日から、もっと勉強と中和を頑張りましょう!」
大きな声で宣言しながらベッドに潜り込むが、顔は熱いし、胸の鼓動は全然落ち着いてくれない。
「違う。駄目です。乙女心なんて、とっくに消えています! 何ともないし、勘違いしません!」
自身に必死に言い聞かせると、毛布をぎゅっと握りしめて体を丸めた。
「勘違い、しません……」
さっさと寝てしまいたいのに、いつまで経ってもざわめく鼓動は落ち着いてくれなかった。
床にいるシュテルンを見下ろしたまま会話するのも何だか気が引けたので、黒猫を持ち上げると机の上に乗せる。
目の前に至極のモフモフな生き物がいるのは眼福だが、そういえば何故この姿なのだろう。
「ええと。とりあえず、元の姿に戻しましょうか」
わざわざ窓から入ってくる理由もないので、恐らくうっかり猫姿になってしまったのだろう。
だが、何故か黒猫はゆっくりと首と尻尾を振った。
「いや、いい。ステラは座ってくれ。疲れているだろう」
「はい」
言われるままに椅子に腰を下ろすと、黒猫は再び尻尾を揺らした。
「さっきは、すまなかった。ステラの魔女としての力や仕事を否定するつもりはなかったんだ。ただ、その……」
勢いよく頭を垂れた黒猫は、何やら言いづらそうに尻尾を低く揺らしている。
後頭部の丸みに思わず撫でたくなるが、今はそういう空気ではない。
ステラがモフモフ欲を我慢していると、シュテルンが顔を上げた。
「俺の中和と同じと聞いたから。あんな風に近くで手を握って、ステラの魔力を感じて。あれを何度も経験している男がいると思ったら苛ついて。俺だけじゃないと思ったら、悔しくなって。その……ただの嫉妬だ。ごめん」
そう言うと、シュテルンは尻尾と頭を同時に下げた。
「……嫉妬?」
言葉の意味は知っているが、この場に出てくる理由が理解できず、上手く返答できない。
嫉妬というのは、好意を持つ者の情が他者に向けられることに対して、恨んだり憎んだりすることだ。
嫉妬するというのならば、前提として好意がなければいけない。
ステラとグレンは契約上の夫婦なのだから、辻褄が合わないはずだ。
「ああ。ステラの手を……ステラを、独占したいと思った」
顔を上げたシュテルンの赤い瞳に見つめられ、ステラの鼓動が跳ねる。
何だか胸の奥が苦しくて、どうしたらいいのかわからない。
「だが、君の仕事を否定するような言い方は間違っていた。本当に、ごめん」
申し訳なさそうに目を伏せるシュテルンを見て、ようやくステラは事態を理解した。
これは、謝罪だ。
魔女の仕事に対してのお詫びであって、それ以上でもそれ以下でもない。
ようやく心の拠り所を見つけたステラは、ほっと息をつくとうなずいた。
「いえ、大丈夫です。誤解されるのも否定されるのも慣れています」
営業用の笑みを浮かべると、何故か黒猫は悲しそうに首を振った。
「……慣れないよ。そんなもの、慣れる人はいない。誤魔化すのが上手くなるだけだ。つらいものはつらいだろう?」
「それ、は」
――やめて、それ以上言わないで。
ぞくりと背筋が冷えたステラは、慌ててシュテルンの足を握る。
「あの、とりあえず元の姿に戻しましょう!」
話を変えようと努めて明るく切り出すが、シュテルンは再び首を振る。
「いや、やめておくよ。人の姿に戻るまでの時間が、かなり短くなってきた。夜明けまでには確実に戻るから、問題ない」
「でも、わざわざ猫のままでいなくても。……もしかして、心も猫に……?」
呪いは外見の変化だけでなく、内面まで猫に変えてしまうのだろうか。
だとしたら、何とも恐ろしい呪いである。
いよいよ猫心を身に着けたのなら、爪とぎを用意した方がいいかもしれない。
「違うよ。そうじゃなくて、夜にステラの部屋で二人きりだから。ここで人の姿になると、ちょっと……我慢できないと、困る」
「へ?」
「おやすみ、ステラ」
固まるステラの鼻先をぺろりと舐めると、黒猫はあっという間に窓の外に飛び出していった。
はたはたと夜風に揺れるカーテンを見て、ようやくステラは瞬きをする。
「……窓。閉めないといけませんね」
ステラが立ち上がると同時に、背後の扉を叩く音が聞こえる。
慌てて向かってみると、そこにはシャーリーが立っていた。
「ステラ様、夜分に失礼いたします。つかぬことを伺いますが、こちらに破廉恥野郎……いえ、黒猫のふりをした旦那様はおりませんか?」
ふりも何も実際に黒猫なのだが、シャーリーが言いたいのはそういうことではないのだろう。
「先ほどまでいらっしゃいましたが、窓から出ていきました」
「一足遅かったようですね。旦那様はステラ様に失礼なことを言いませんでしたか?」
「え? いえ。今、謝罪に来てくださったので」
「なるほど。謝罪するようなことは言ったのですね」
シャーリーは笑顔のまま拳を自身の手に叩きつけていて、ちょっと怖い。
「まったく。療養中のステラ様が出掛けたから心配で、行き先がサンダーソン侯爵邸だから嫉妬するのはわかりますが。ステラ様に八つ当たりなど、言語道断。黒猫は早々に捕獲しておきますので、どうぞごゆっくりお休みくださいませ」
笑顔のままシャーリーは扉を閉め、静かになった室内でステラは身動きが取れずに立ち尽くしていた。
「……ちょっと、待ってください。順番に、順番に考えましょう」
何が何だかわからないから、混乱するのだ。
順を追って考えていけば、大丈夫。
ステラは椅子に腰かけると、胸に手を当てて深呼吸をして心を落ち着ける。
まず、グレンが黒猫姿で訪問してきたのは謝罪のためで、魔女の力と仕事を否定するつもりはなかった。
ここは問題なく理解できる。
次に、否定的な言動をとった理由が、嫉妬だった。
……ここが、既におかしい。
しかもステラを独占したいと思ったなんて、まるで好意があるみたいではないか。
「でも、グレン様とは一年間の契約で。確かに溺愛するとか言っていましたが、あれは呪いの中和のお礼に乙女心を取り戻すためで。……いえ、取り戻さなくていいのですが」
段々混乱してきたが、ここで考えるのをやめるわけにはいかない。
「それから、猫姿から戻らない理由が、夜に私の部屋に二人きりで我慢できないと困る……?」
シュテルン……というかグレンが言っていたことをそのまま繰り返したステラは、自身の頬が熱を持っていくのがわかった。
ステラはこれでも結婚歴があるし、年齢相応に知識がないわけではない。
グレンのあの言い回しはつまり、ステラを女性として見ているという意味だろうか。
「――い、いえいえ。まさか。勘違いも甚だしく、図々しいにも程があります!」
あまりにも勢いよく首を振ったために目が回り、そのまま机に突っ伏した。
きっと、ステラが云々ではなくて、夜に男女二人はよろしくないという世間の一般の話だ。
紳士の嗜みだ。
「そう、そうです、だから、特に意味のない普通のことで」
それで……鼻先をぺろりと舐めたりする、だろうか。
うっかり思い出してしまったせいで、ステラの頬は更に温度が上昇していく。
どうにか鎮めようと自身の両手で頬を押さえるが、一向に冷える気配がない。
「ふ、普通。普通です」
きっと、グレンは心も猫に近付いているのだ。
猫にとって鼻と鼻をあわせるのは挨拶なので、あれもきっと挨拶に違いない。
ぺろりと舐めるのは何だか違う気もしないでもないが、挨拶だということにしておこう。
「あれは、おやすみなさいの挨拶です。もっと呪いを中和しないと、あのままではグレン様は出合い頭に鼻を舐める変態紳士になりかねません! 明日から、もっと勉強と中和を頑張りましょう!」
大きな声で宣言しながらベッドに潜り込むが、顔は熱いし、胸の鼓動は全然落ち着いてくれない。
「違う。駄目です。乙女心なんて、とっくに消えています! 何ともないし、勘違いしません!」
自身に必死に言い聞かせると、毛布をぎゅっと握りしめて体を丸めた。
「勘違い、しません……」
さっさと寝てしまいたいのに、いつまで経ってもざわめく鼓動は落ち着いてくれなかった。