【11/25書籍発売予定】契約外溺愛 ~呪われ猫伯爵に溺愛宣言されたが、勘違いする乙女心は既にない。……いえ、取り戻さなくて結構です!~
38 解きほぐれ、満たされていく
「何だか、最近綺麗になりましたね。ステラ」
「ウォルフォード邸で美味しいものを食べているので、栄養状態がいいのでしょうね」
確かに、今までと比べて肌艶も良くなった気がする。
勉強で睡眠不足であってもこの変化なのだから、やはり栄養というものは侮れない。
薄毛人の治療でも食事のアドバイスをしてきたが、今後は更に注力するべきだろう。
……まあ、貴族の場合には栄養不足というよりは栄養過多なのだが。
「それもありますが。伯爵に大切にされているのでしょうね。ステラの硬かった何かが、柔らかく解れてきています」
「解れる、ですか?」
院長に提出する薬の書類を手渡すと、ステラは首を傾げた。
「もともと可愛らしい容姿だけれど、隙が無くてとっつきにくいから、男性が近付かなかっただけです。あとは、嫉妬した女性達のせいもありますね。今後は気を付けなければいけませんよ」
「その言い方だと、まるで女の子のようですね」
「女の子ですよ。それも、とても可愛らしい。……きちんと自覚なさい」
院長は書類にさっと目を通すと、そのまま封筒に入れる。
書類はステラの作った魔法薬の報告書であり、この書類が通れば本格的な運用に一歩近づくのだ。
期待に満ちた眼差しを書類に注ぐステラに気付いた院長は、微笑むと書類をカウンターの上に置いた。
「ステラは、最初の結婚やその後の色々なことで、女性としての自分を押し込めているけれど。もう、それを開放してもいいころだと思いますよ」
押し込める、というのは以前にも聞いたことのある言葉だ。
「グレン様も、同じようなことを言っていました。私が乙女心を押し殺している、と」
押し殺すも何も、乙女心はとうの昔に消えているのだが……それを取り戻すと言って、日々ステラを構ってくるのだから、困ったものだ。
馬車での送迎、毎日の花束はもちろん、一緒に食事をとり、優しく笑いかけてくれる。
ありがたいのだが、頑張りすぎだと思うし、すべてステラの乙女心を取り戻すためなのだろうから、もう少し手を抜いてほしいくらいである。
「それが、生き抜くために必要だったのでしょう。あなたが頑張った証ですから、一概に悪いとは言いません。でも、そろそろ力を抜いてもいいのです。思ったことを、思った通りに伝えてごらんなさい」
思った通りに伝えると『乙女心を取り戻そうとするのを、やめてください』なのだが……何故か、それを強く訴える気にもなれない。
どうにもすっきりしないモヤモヤを抱えたまま過ごしているが、それも別に嫌ではないのだから、本当に困ってしまう。
「あなたが、ステラね?」
「は、はい」
サンダーソン侯爵邸を訪問したステラを侯爵と共に出迎えたのは、壮年の貴婦人だ。
身なりなどから察するに侯爵夫人なのだろうが、いったい何故ここにいるのだろう。
治療のために何度も侯爵邸を訪れたことはあるが、もちろん今まで顔を合わせたことはない。
もしかして、侯爵夫人もステラのことを愛人だと思っているのだろうか。
夫に隠れて治癒院やステラの部屋に嫌がらせをするのではなく、屋敷で夫と共に迎え撃とうというのは、さすが侯爵夫人といったところか。
何もやましいことなどしていないのに、その迫力に押されて背筋を正していると、侯爵と夫人は顔を見合わせて笑い出した。
「そんなに緊張しないで、ステラ。実はね、妻に事実を打ち明けたんだ」
少し恥ずかしそうに告げる侯爵を見て、ステラは文字通り目を丸くした。
侯爵がステラの治療を受け始めた理由は、薄毛で妻に嫌われたくないというものだ。
それだけ夫人には知られたくなかったはずなのに、いったいどういう風の吹き回しなのだろう。
「せっかくの治療だが、それで誤解されては元も子もないからね」
ということは、やはり誤解されたのか。
そこまでは良くあることだが、それならばと正直に打ち明けたのは侯爵が初めてかもしれない。
「夫のせいで、あらぬ噂を立てられたのでしょう? 聞けば新婚だというし、何という失礼なことをしているのかしら。まったく、正々堂々とハゲてしまえばいいものを」
「そ、そんな」
上品な貴婦人の口からまさかのハゲ宣告に、ステラも返す言葉が見つからない。
「まあ、私のために見目を良くしたいというのは、ちょっと嬉しいけれど……」
「君に嫌われたら、生きている意味がないからね」
侯爵と夫人は二人の世界に入って、見つめ合っている。
急なラブラブ展開に、ステラの心がまったく追いつかない。
「確かに、髪がある方が似合っているのは否めないのよね。ステラ、これから屋敷に来る時には、私がお茶会に招待した形にするわ。夫の治療のためではあるけれど、ついでに私にも付き合ってくれると嬉しいわ。……今までありがとう、可愛い魔女さん」
「い、いえ。こちらこそ、お気遣いいただき、ありがとございます」
夫人の優しい笑みに涙が浮かびそうになり、ステラは慌てて頭を下げる。
今まで、顧客の伴侶には愛人と罵られ、嫌がらせを受けるのがほとんどだった。
顧客である薄毛人はステラを庇ってくれていたが、肝心の薄毛について明かせない以上は限界があり、それがもとで更に誤解されることも多かった。
こうして理解され、気遣いをされ、感謝をされたのは初めてで、胸の奥がじんわりと温かくなっていくのがわかる。
――『ツンドラの女神』として、ハゲ治療をして良かった。
満たされた心と共に、口元が緩み、笑みがこぼれる。
それを見た侯爵夫妻も、優しい笑みを浮かべた。
「あなたの夫は寛大ね。でも、噂を聞いていい気持ちはしないだろうから、せめて我が家だけでも心配せずに来てちょうだい。美味しいものを食べて、たくさん話をして。そうすれば、私達のように、夫婦仲良くいられるわよ」
そう言うと、今度は手を取り合って見つめ合っている。
もはやただの惚気だし、ステラがいない方がいいような気もする。
だが、何だか見ているだけでこちらも幸せな気持ちになって、ステラはにこにこと微笑んでいた。
満たされた気持ちのままウォルフォード邸に戻ると、何だか玄関ホールが騒がしい。
扉に手をかけて少し開くと、場に似合わぬ大きな声が漏れてきた。
「――だから、ステラを出しなさい! 私はあれの母親よ!」
聞いたことのある……聞きたくもないその声に、ステラの肩がびくりと震えた。
「ウォルフォード邸で美味しいものを食べているので、栄養状態がいいのでしょうね」
確かに、今までと比べて肌艶も良くなった気がする。
勉強で睡眠不足であってもこの変化なのだから、やはり栄養というものは侮れない。
薄毛人の治療でも食事のアドバイスをしてきたが、今後は更に注力するべきだろう。
……まあ、貴族の場合には栄養不足というよりは栄養過多なのだが。
「それもありますが。伯爵に大切にされているのでしょうね。ステラの硬かった何かが、柔らかく解れてきています」
「解れる、ですか?」
院長に提出する薬の書類を手渡すと、ステラは首を傾げた。
「もともと可愛らしい容姿だけれど、隙が無くてとっつきにくいから、男性が近付かなかっただけです。あとは、嫉妬した女性達のせいもありますね。今後は気を付けなければいけませんよ」
「その言い方だと、まるで女の子のようですね」
「女の子ですよ。それも、とても可愛らしい。……きちんと自覚なさい」
院長は書類にさっと目を通すと、そのまま封筒に入れる。
書類はステラの作った魔法薬の報告書であり、この書類が通れば本格的な運用に一歩近づくのだ。
期待に満ちた眼差しを書類に注ぐステラに気付いた院長は、微笑むと書類をカウンターの上に置いた。
「ステラは、最初の結婚やその後の色々なことで、女性としての自分を押し込めているけれど。もう、それを開放してもいいころだと思いますよ」
押し込める、というのは以前にも聞いたことのある言葉だ。
「グレン様も、同じようなことを言っていました。私が乙女心を押し殺している、と」
押し殺すも何も、乙女心はとうの昔に消えているのだが……それを取り戻すと言って、日々ステラを構ってくるのだから、困ったものだ。
馬車での送迎、毎日の花束はもちろん、一緒に食事をとり、優しく笑いかけてくれる。
ありがたいのだが、頑張りすぎだと思うし、すべてステラの乙女心を取り戻すためなのだろうから、もう少し手を抜いてほしいくらいである。
「それが、生き抜くために必要だったのでしょう。あなたが頑張った証ですから、一概に悪いとは言いません。でも、そろそろ力を抜いてもいいのです。思ったことを、思った通りに伝えてごらんなさい」
思った通りに伝えると『乙女心を取り戻そうとするのを、やめてください』なのだが……何故か、それを強く訴える気にもなれない。
どうにもすっきりしないモヤモヤを抱えたまま過ごしているが、それも別に嫌ではないのだから、本当に困ってしまう。
「あなたが、ステラね?」
「は、はい」
サンダーソン侯爵邸を訪問したステラを侯爵と共に出迎えたのは、壮年の貴婦人だ。
身なりなどから察するに侯爵夫人なのだろうが、いったい何故ここにいるのだろう。
治療のために何度も侯爵邸を訪れたことはあるが、もちろん今まで顔を合わせたことはない。
もしかして、侯爵夫人もステラのことを愛人だと思っているのだろうか。
夫に隠れて治癒院やステラの部屋に嫌がらせをするのではなく、屋敷で夫と共に迎え撃とうというのは、さすが侯爵夫人といったところか。
何もやましいことなどしていないのに、その迫力に押されて背筋を正していると、侯爵と夫人は顔を見合わせて笑い出した。
「そんなに緊張しないで、ステラ。実はね、妻に事実を打ち明けたんだ」
少し恥ずかしそうに告げる侯爵を見て、ステラは文字通り目を丸くした。
侯爵がステラの治療を受け始めた理由は、薄毛で妻に嫌われたくないというものだ。
それだけ夫人には知られたくなかったはずなのに、いったいどういう風の吹き回しなのだろう。
「せっかくの治療だが、それで誤解されては元も子もないからね」
ということは、やはり誤解されたのか。
そこまでは良くあることだが、それならばと正直に打ち明けたのは侯爵が初めてかもしれない。
「夫のせいで、あらぬ噂を立てられたのでしょう? 聞けば新婚だというし、何という失礼なことをしているのかしら。まったく、正々堂々とハゲてしまえばいいものを」
「そ、そんな」
上品な貴婦人の口からまさかのハゲ宣告に、ステラも返す言葉が見つからない。
「まあ、私のために見目を良くしたいというのは、ちょっと嬉しいけれど……」
「君に嫌われたら、生きている意味がないからね」
侯爵と夫人は二人の世界に入って、見つめ合っている。
急なラブラブ展開に、ステラの心がまったく追いつかない。
「確かに、髪がある方が似合っているのは否めないのよね。ステラ、これから屋敷に来る時には、私がお茶会に招待した形にするわ。夫の治療のためではあるけれど、ついでに私にも付き合ってくれると嬉しいわ。……今までありがとう、可愛い魔女さん」
「い、いえ。こちらこそ、お気遣いいただき、ありがとございます」
夫人の優しい笑みに涙が浮かびそうになり、ステラは慌てて頭を下げる。
今まで、顧客の伴侶には愛人と罵られ、嫌がらせを受けるのがほとんどだった。
顧客である薄毛人はステラを庇ってくれていたが、肝心の薄毛について明かせない以上は限界があり、それがもとで更に誤解されることも多かった。
こうして理解され、気遣いをされ、感謝をされたのは初めてで、胸の奥がじんわりと温かくなっていくのがわかる。
――『ツンドラの女神』として、ハゲ治療をして良かった。
満たされた心と共に、口元が緩み、笑みがこぼれる。
それを見た侯爵夫妻も、優しい笑みを浮かべた。
「あなたの夫は寛大ね。でも、噂を聞いていい気持ちはしないだろうから、せめて我が家だけでも心配せずに来てちょうだい。美味しいものを食べて、たくさん話をして。そうすれば、私達のように、夫婦仲良くいられるわよ」
そう言うと、今度は手を取り合って見つめ合っている。
もはやただの惚気だし、ステラがいない方がいいような気もする。
だが、何だか見ているだけでこちらも幸せな気持ちになって、ステラはにこにこと微笑んでいた。
満たされた気持ちのままウォルフォード邸に戻ると、何だか玄関ホールが騒がしい。
扉に手をかけて少し開くと、場に似合わぬ大きな声が漏れてきた。
「――だから、ステラを出しなさい! 私はあれの母親よ!」
聞いたことのある……聞きたくもないその声に、ステラの肩がびくりと震えた。