【11/25書籍発売予定】契約外溺愛 ~呪われ猫伯爵に溺愛宣言されたが、勘違いする乙女心は既にない。……いえ、取り戻さなくて結構です!~
40 怖いのは、何でしょう
「大丈夫?」
優しく声をかけられれば、波立っていた心が少し落ち着くような気がした。
自分でも単純だとは思うが、いつまでもこんな感情を抱えていたくはないので、ありがたくその効果を享受する。
「平気です。少し、びっくりして。勘当されてから六年、一度も見かけることもなく、連絡もなかったのですが」
勘当されて領地を出た上に、コーネルの名を捨て、ステラ・ナイトレイとして生きてきた。
向こうも探す気などなかっただろうが、仮に探そうにもかなり難しいはずだ。
魔力を持っているのは知られていなかったので、当然魔女としてのステラを知るはずもない。
ウォルフォード伯爵夫人となったステラに会いに来たわけだが、夜会で見かけたことはないので、直接会って知ったわけでもないはず。
ステラは社交界デビュー前だったので、貴族の中でステラ・コーネル男爵令嬢の顔を知る者もいない。
本当に、一体どうやってステラのことを知ったのだろう。
ウォルフォード伯爵夫人が平民出で、ステラという名前だと知ったとしても、それだけでこんな行動をとれるものだろうか。
……いや、イヴェットの考えなしの浪費ぶりからして、ありえなくはない。
何にしても今更だし、図々しいにも程がある。
「グレン様にも、皆さんにも、大変なご迷惑をおかけしてしまいました」
頭を下げようとすると、グレンがそれを手で制した。
「だから、謝らなくていい。ステラも被害者だ。それよりも、本当に顔色が悪い。少し横になるか?」
そっと背に添えられた手が、温かくて気持ちがいい。
これはつまり、ステラの体が冷えているということなのだろう。
すると扉をノックする音が響き、シャーリーが紅茶を運んできた。
「あの、シャーリーさん」
「先程の女狐のことは、どうぞお気になさらず。ステラ様のお好きな紅茶を用意いたしました。まずは体を温めてくださいませ」
シャーリーはそう言ってにこりと微笑むと、ちらりとグレンに視線を移す。
「ステラ様を、お願いいたします」
うなずくグレンを見ると、シャーリーはそのまま部屋から出て行った。
用意された紅茶は、確かにステラの好きな花の香りの紅茶だ。
一度もこれが好きだと伝えたことはないはずなのに、何故知っているのだろう。
不思議に思いつつも、せっかく用意してくれたのでカップを手に取り、口に運ぶ。
湯気を浴びながら一口飲みこめば、鼻に抜ける香りとその温かさで、少し心が落ち着いてきた。
「あれは、ステラの父親の後妻か?」
「はい。母が亡くなった十五歳の時から一年間だけ、一緒に暮らしました」
先妻の子であるステラを罵り、使用人のように扱った継母。
父は見て見ぬふりで、義弟と義妹には避けられていたが、暴力がなかっただけマシだったのかもしれない。
「虐げられていた……のか?」
ゆっくりとカップを置くと、ステラは笑みを浮かべる。
こういう時に、営業スマイルを習得しておいて良かったと思う。
「そうですね。あの頃に偶然師匠に出会って、将来自立して生きていくためにと薬を学び始めなければ、どうなっていたかわかりません」
十六歳の元貴族令嬢など、どこで働くにも使い物にならない。
薬師見習いとして働けたのは師匠の助力のおかげだし、見習い期間の乏しい収入を支えてくれたのもまた、師匠に教わった魔法のおかげだ。
魔力があることに気付き、それを隠すように言われたが、あれはステラの力を悪用させないためだったのだろう。
もし知られていれば、恐らく実家に戻された後にもお金になるところへ売られていただろうから、師匠には感謝しかない。
「そうか。師匠と院長とカークランド公爵は信用できると言っていたな。その師匠は……旅に出ているのだったか」
「はい。よくあることです。師匠はお金が大好きなので、ちょっとアレな依頼でも受けますし。でも魔女としての腕前は確かですから、戻ったらすぐにグレン様を診てもらえるよう、お願いしますね」
「俺のことは、いいから」
グレンはステラの手に自身のそれを重ねる。
まだ少し震えているのを悟られたくなくて、ぎゅっと拳を握った。
「……怖かった?」
「どうでしょう。それよりも、怒りの方が強いかもしれません。あれだけ私を軽く扱っておいて、何て勝手なことを言うのか、と」
だが、それ以上にこうして面倒な実家があると知られ、実際に迷惑をかけて。
屋敷の人間にもグレンにも、愛想を尽かされるのではないかと思ったら、確かに怖かった。
……怖い?
自分の思考に、ふと疑問が湧く。
もともと一年間の契約であり、仮初めの夫婦だ。
グレンが優しいのは本人の性質であり、妻という存在に対してであり、溺愛というのも呪いの中和のお礼でしかない。
だから愛想も何も、もともと何も存在しないというのに。
失うものなど何もないのに、何故怖いのだろう。
何が、怖いのだろう。
――駄目だ、これ以上考えてはいけない。
「グレン様」
返事を待たずにその顔に手を伸ばし、耳に触れる。
「抱っこさせてください」
「それは、いいが……」
黒髪の美青年から姿を変えた黒猫を抱きかかえると、その頭から背中をひたすらに撫でた。
何だか以前よりも毛艶がいい気がするが、これはステラの魔力の影響だろうか。
艶を出しているぶんにはいいが、毛量や長さまで変わるようなら、人の姿にも変化が出てしまうかもしれない。
注意しながらとはいえ、モフモフの毛並みを撫で続ければ、少しずつ心が落ち着いていく。
ふわふわして温かい生き物というのは、本当に素晴らしい癒しの存在なのだと身に染みる。
無言でひたすら撫で続けること暫し。
ふと手を止めると、膝の上の黒猫がステラを見上げた。
「もう、いいのか?」
「え? ああ、すみません。つい、夢中で」
一体どれだけの時間が経過したのかよくわからないが、突然猫姿にされて無言で撫で続けられるなんて、グレンにとってはいい迷惑だろう。
「いや、いい。ステラの気が済むまで、こうしている」
「はい」
「もう、屋敷には近付けさせないから、安心して。ステラは何も気にしなくていい」
「すみません」
「だから、謝らなくていいよ。大切な妻を守るのは、当然だろう?」
尻尾を揺らしながら黒猫に告げられた言葉に、ステラは乾いた笑みを返すのがやっとだ。
このまま、この屋敷でグレンや使用人達と一緒に暮らすわけではない。
一年の契約を終えれば無関係になり、『大切な妻』でもなくなる。
いずれ離れるのだから、迷惑をかけるのなら……早々に、ここから出ていくべきなのかもしれない。
優しく声をかけられれば、波立っていた心が少し落ち着くような気がした。
自分でも単純だとは思うが、いつまでもこんな感情を抱えていたくはないので、ありがたくその効果を享受する。
「平気です。少し、びっくりして。勘当されてから六年、一度も見かけることもなく、連絡もなかったのですが」
勘当されて領地を出た上に、コーネルの名を捨て、ステラ・ナイトレイとして生きてきた。
向こうも探す気などなかっただろうが、仮に探そうにもかなり難しいはずだ。
魔力を持っているのは知られていなかったので、当然魔女としてのステラを知るはずもない。
ウォルフォード伯爵夫人となったステラに会いに来たわけだが、夜会で見かけたことはないので、直接会って知ったわけでもないはず。
ステラは社交界デビュー前だったので、貴族の中でステラ・コーネル男爵令嬢の顔を知る者もいない。
本当に、一体どうやってステラのことを知ったのだろう。
ウォルフォード伯爵夫人が平民出で、ステラという名前だと知ったとしても、それだけでこんな行動をとれるものだろうか。
……いや、イヴェットの考えなしの浪費ぶりからして、ありえなくはない。
何にしても今更だし、図々しいにも程がある。
「グレン様にも、皆さんにも、大変なご迷惑をおかけしてしまいました」
頭を下げようとすると、グレンがそれを手で制した。
「だから、謝らなくていい。ステラも被害者だ。それよりも、本当に顔色が悪い。少し横になるか?」
そっと背に添えられた手が、温かくて気持ちがいい。
これはつまり、ステラの体が冷えているということなのだろう。
すると扉をノックする音が響き、シャーリーが紅茶を運んできた。
「あの、シャーリーさん」
「先程の女狐のことは、どうぞお気になさらず。ステラ様のお好きな紅茶を用意いたしました。まずは体を温めてくださいませ」
シャーリーはそう言ってにこりと微笑むと、ちらりとグレンに視線を移す。
「ステラ様を、お願いいたします」
うなずくグレンを見ると、シャーリーはそのまま部屋から出て行った。
用意された紅茶は、確かにステラの好きな花の香りの紅茶だ。
一度もこれが好きだと伝えたことはないはずなのに、何故知っているのだろう。
不思議に思いつつも、せっかく用意してくれたのでカップを手に取り、口に運ぶ。
湯気を浴びながら一口飲みこめば、鼻に抜ける香りとその温かさで、少し心が落ち着いてきた。
「あれは、ステラの父親の後妻か?」
「はい。母が亡くなった十五歳の時から一年間だけ、一緒に暮らしました」
先妻の子であるステラを罵り、使用人のように扱った継母。
父は見て見ぬふりで、義弟と義妹には避けられていたが、暴力がなかっただけマシだったのかもしれない。
「虐げられていた……のか?」
ゆっくりとカップを置くと、ステラは笑みを浮かべる。
こういう時に、営業スマイルを習得しておいて良かったと思う。
「そうですね。あの頃に偶然師匠に出会って、将来自立して生きていくためにと薬を学び始めなければ、どうなっていたかわかりません」
十六歳の元貴族令嬢など、どこで働くにも使い物にならない。
薬師見習いとして働けたのは師匠の助力のおかげだし、見習い期間の乏しい収入を支えてくれたのもまた、師匠に教わった魔法のおかげだ。
魔力があることに気付き、それを隠すように言われたが、あれはステラの力を悪用させないためだったのだろう。
もし知られていれば、恐らく実家に戻された後にもお金になるところへ売られていただろうから、師匠には感謝しかない。
「そうか。師匠と院長とカークランド公爵は信用できると言っていたな。その師匠は……旅に出ているのだったか」
「はい。よくあることです。師匠はお金が大好きなので、ちょっとアレな依頼でも受けますし。でも魔女としての腕前は確かですから、戻ったらすぐにグレン様を診てもらえるよう、お願いしますね」
「俺のことは、いいから」
グレンはステラの手に自身のそれを重ねる。
まだ少し震えているのを悟られたくなくて、ぎゅっと拳を握った。
「……怖かった?」
「どうでしょう。それよりも、怒りの方が強いかもしれません。あれだけ私を軽く扱っておいて、何て勝手なことを言うのか、と」
だが、それ以上にこうして面倒な実家があると知られ、実際に迷惑をかけて。
屋敷の人間にもグレンにも、愛想を尽かされるのではないかと思ったら、確かに怖かった。
……怖い?
自分の思考に、ふと疑問が湧く。
もともと一年間の契約であり、仮初めの夫婦だ。
グレンが優しいのは本人の性質であり、妻という存在に対してであり、溺愛というのも呪いの中和のお礼でしかない。
だから愛想も何も、もともと何も存在しないというのに。
失うものなど何もないのに、何故怖いのだろう。
何が、怖いのだろう。
――駄目だ、これ以上考えてはいけない。
「グレン様」
返事を待たずにその顔に手を伸ばし、耳に触れる。
「抱っこさせてください」
「それは、いいが……」
黒髪の美青年から姿を変えた黒猫を抱きかかえると、その頭から背中をひたすらに撫でた。
何だか以前よりも毛艶がいい気がするが、これはステラの魔力の影響だろうか。
艶を出しているぶんにはいいが、毛量や長さまで変わるようなら、人の姿にも変化が出てしまうかもしれない。
注意しながらとはいえ、モフモフの毛並みを撫で続ければ、少しずつ心が落ち着いていく。
ふわふわして温かい生き物というのは、本当に素晴らしい癒しの存在なのだと身に染みる。
無言でひたすら撫で続けること暫し。
ふと手を止めると、膝の上の黒猫がステラを見上げた。
「もう、いいのか?」
「え? ああ、すみません。つい、夢中で」
一体どれだけの時間が経過したのかよくわからないが、突然猫姿にされて無言で撫で続けられるなんて、グレンにとってはいい迷惑だろう。
「いや、いい。ステラの気が済むまで、こうしている」
「はい」
「もう、屋敷には近付けさせないから、安心して。ステラは何も気にしなくていい」
「すみません」
「だから、謝らなくていいよ。大切な妻を守るのは、当然だろう?」
尻尾を揺らしながら黒猫に告げられた言葉に、ステラは乾いた笑みを返すのがやっとだ。
このまま、この屋敷でグレンや使用人達と一緒に暮らすわけではない。
一年の契約を終えれば無関係になり、『大切な妻』でもなくなる。
いずれ離れるのだから、迷惑をかけるのなら……早々に、ここから出ていくべきなのかもしれない。