【11/25書籍発売予定】契約外溺愛 ~呪われ猫伯爵に溺愛宣言されたが、勘違いする乙女心は既にない。……いえ、取り戻さなくて結構です!~
42 取り戻した乙女心
気まずそうに目を伏せるフレッドの手を押しのけて、ジェシカが一歩前に出る。
自信満々に瞳をきらめかせているが、フレッドの視線は険しく、グレンは更に冷たい。
気付いているのかいないのか、何とも肝の据わった少女である。
「そのステラという女性は、ザカリー伯父様を殺した疑いがある上に、複数の貴族邸宅に通っていて、愛人という噂もあります。グレン様には相応しくありません。だから、実家に引き取ってもらおうと思って、わたくしが連絡しましたの」
なるほど、情報源はジェシカか。
フレッドはステラを見憶えていたから、家族に話したのだろう。
イヴェットはそこでステラがウォルフォード伯爵夫人になっていることを知って、伯爵家にやってきたわけだ。
余計なことをしてくれたものだが、つい先ほどまでフレッドはステラが実家で暮らしていると思っていたのだから、当然ジェシカも同様のはず。
まさかイヴェットが金の無心のために訪問するとは思っていなかっただろうから、仕方がない。
「……フレッド。君との話は今度にしよう。まずは、その恥も礼儀も知らない女を遠ざけろ」
「はい」
グレンの低い声に弾かれるように、フレッドが動く。
腕をつかまれたジェシカだけが事態を理解できていないらしく、グレンとフレッドを交互に見ながら慌てている。
「え? そんな。グレン様は騙されているのですわ!」
「黙れ。俺の名を呼ぶな」
静かだが力のある声に、ジェシカも言葉に詰まる。
そのままフレッドに引きずられるようにして連れ出されたが、何事かと周囲の視線が突き刺さる。
「ステラ、もう帰ろう。……大丈夫か?」
ステラの背に回された手も、かけられる声も、優しい。
だからこそ、申し訳なくて泣きたくなる。
「大丈夫です。私がいては、好奇の目で見られるでしょう。先に失礼しますので、グレン様はどうぞゆっくり楽しんでいらしてください」
どうにか笑みを浮かべたつもりだったのだが、グレンは深いため息を返してきた。
「馬鹿を言うな。妻を侮辱されて放っておく夫がどこにいる」
吐き捨てるようにそう言うなり、ステラを抱え上げて会場を出ると、そのまま馬車に押し込んだ。
抵抗したいが、声を上げれば悪目立ちしてしまう。
黙ったままなら、体調の悪い妻を気遣う夫に見えなくもないだろう。
とにかく、グレンへの負の影響を少しでも軽減したかった。
隣に座ったグレンは、何も言わずにステラの手を握っている。
その手が温かくて安心すると同時に、自分が情けなくなってきた。
「グレン様。申し訳ありませんでした」
「何故、ステラが謝るんだ。何も悪いことはしていないだろう」
「私のせいで、ご迷惑をおかけしました」
ジェシカの言葉には棘があったが、言っている内容は概ね当たっている。
契約上の仮初めの存在だとしても、グレンの隣に相応しくないのは明白だ。
ステラ個人を貶すのは構わないが、それでも今はウォルフォード伯爵夫人という立場にいる。
公の場でステラが貶されるのは、グレンが貶されたのと同じことなのだ。
「それを言うなら、フレッドを治癒院に連れて行き、ステラに会わせたのは俺だ。ステラが嫁いだのがモンクトン伯爵家だと知っていたが、六年前の一夜だけだというから、フレッドが憶えているとは思わなかった。おかげでコーネル男爵家にステラの所在がばれた。全部、俺のせいだ」
「そんなことはありません。グレン様はフレッド様を助けようとしただけです」
グレンは何も悪くないと伝えたくて顔を向けると、紅玉の瞳が優しく細められる。
「ありがとう。でも、それはステラも一緒だ。モンクトン伯爵と結婚したのも、伯爵が亡くなったのも、勘当されたのも、ステラのせいじゃない」
そう言うと、グレンの腕が伸び、ステラはその中にすっぽりと収まってしまった。
抱きしめられて、優しく声をかけられて……それに安心している自分がいる。
――ああ、駄目だ。もう誤魔化せない。
今までだって散々、殺人だの愛人だのと言われてきた。
傷つかないと言えば嘘になる。
でも、すべて飲み込んで、受け流して、笑顔で強くあろうとしてきたのに。
それができないのは、グレンのせいだ。
グレンに迷惑をかけるかもしれない、嫌われるかもしれないと思うからだ。
ジェシカに何を言われても、王立図書館の司書に対するように笑顔で流せばいい。
それが、グレンはどう思うか気になって、心配で。
嫌われたくないから――好きだから。
……何ということだろう。
グレンは宣言通り、ステラの乙女心を取り戻してしまった。
今なら何故自分がそれを押しこめたのか、よくわかる。
ひとつひとつの言葉に傷つき、好意や悪意に敏感なままでは、とても生きていけなかった。
結婚してすぐに死別して追い出され、勘当されて平民になった、あの時。
乙女心を持ち合わせていたら、とっくに心が壊れて生きていけなかっただろう。
強く――そのために、鈍く。
それが、生きる術だったのだ。
グレンは、優しい。
でもそれは契約上の夫婦だからで、呪いの中和に対してのお礼の行動だからだ。
この心地良い関係も、じきに終わる。
そうすればグレンとは話すどころか、顔を合わせることもなくなるだろう。
その事実にぞっとして震えると、ステラの様子に気付いたらしいグレンが頭を撫でる。
優しいその手つきだけで、もう泣きそうだ。
どうにか耐えようとグレンの服をぎゅっと握りしめると、今度はステラの頭を抱き寄せる。
抵抗することなくその胸に頭を預けると、何故か頭上で微かに笑う声がした。
例え契約上の関係でも、こうして優しくされれば嬉しい。
少しはステラを好ましく思ってくれているのだろうかと、錯覚するくらいには。
ありえない夢物語ではあるが、グレンがステラに好意を持ってくれたとしよう。
それでも、結局は同じことだ。
グレンが好きだからこそ、迷惑をかけたくはない。
去り際に嫌な思いをさせたくない。
乙女心を取り戻してくれて……人を好きになるということを教えてくれて、ありがとう。
とても幸せで、とても苦しい。
だからもう一度、心の奥で深く眠って。
自信満々に瞳をきらめかせているが、フレッドの視線は険しく、グレンは更に冷たい。
気付いているのかいないのか、何とも肝の据わった少女である。
「そのステラという女性は、ザカリー伯父様を殺した疑いがある上に、複数の貴族邸宅に通っていて、愛人という噂もあります。グレン様には相応しくありません。だから、実家に引き取ってもらおうと思って、わたくしが連絡しましたの」
なるほど、情報源はジェシカか。
フレッドはステラを見憶えていたから、家族に話したのだろう。
イヴェットはそこでステラがウォルフォード伯爵夫人になっていることを知って、伯爵家にやってきたわけだ。
余計なことをしてくれたものだが、つい先ほどまでフレッドはステラが実家で暮らしていると思っていたのだから、当然ジェシカも同様のはず。
まさかイヴェットが金の無心のために訪問するとは思っていなかっただろうから、仕方がない。
「……フレッド。君との話は今度にしよう。まずは、その恥も礼儀も知らない女を遠ざけろ」
「はい」
グレンの低い声に弾かれるように、フレッドが動く。
腕をつかまれたジェシカだけが事態を理解できていないらしく、グレンとフレッドを交互に見ながら慌てている。
「え? そんな。グレン様は騙されているのですわ!」
「黙れ。俺の名を呼ぶな」
静かだが力のある声に、ジェシカも言葉に詰まる。
そのままフレッドに引きずられるようにして連れ出されたが、何事かと周囲の視線が突き刺さる。
「ステラ、もう帰ろう。……大丈夫か?」
ステラの背に回された手も、かけられる声も、優しい。
だからこそ、申し訳なくて泣きたくなる。
「大丈夫です。私がいては、好奇の目で見られるでしょう。先に失礼しますので、グレン様はどうぞゆっくり楽しんでいらしてください」
どうにか笑みを浮かべたつもりだったのだが、グレンは深いため息を返してきた。
「馬鹿を言うな。妻を侮辱されて放っておく夫がどこにいる」
吐き捨てるようにそう言うなり、ステラを抱え上げて会場を出ると、そのまま馬車に押し込んだ。
抵抗したいが、声を上げれば悪目立ちしてしまう。
黙ったままなら、体調の悪い妻を気遣う夫に見えなくもないだろう。
とにかく、グレンへの負の影響を少しでも軽減したかった。
隣に座ったグレンは、何も言わずにステラの手を握っている。
その手が温かくて安心すると同時に、自分が情けなくなってきた。
「グレン様。申し訳ありませんでした」
「何故、ステラが謝るんだ。何も悪いことはしていないだろう」
「私のせいで、ご迷惑をおかけしました」
ジェシカの言葉には棘があったが、言っている内容は概ね当たっている。
契約上の仮初めの存在だとしても、グレンの隣に相応しくないのは明白だ。
ステラ個人を貶すのは構わないが、それでも今はウォルフォード伯爵夫人という立場にいる。
公の場でステラが貶されるのは、グレンが貶されたのと同じことなのだ。
「それを言うなら、フレッドを治癒院に連れて行き、ステラに会わせたのは俺だ。ステラが嫁いだのがモンクトン伯爵家だと知っていたが、六年前の一夜だけだというから、フレッドが憶えているとは思わなかった。おかげでコーネル男爵家にステラの所在がばれた。全部、俺のせいだ」
「そんなことはありません。グレン様はフレッド様を助けようとしただけです」
グレンは何も悪くないと伝えたくて顔を向けると、紅玉の瞳が優しく細められる。
「ありがとう。でも、それはステラも一緒だ。モンクトン伯爵と結婚したのも、伯爵が亡くなったのも、勘当されたのも、ステラのせいじゃない」
そう言うと、グレンの腕が伸び、ステラはその中にすっぽりと収まってしまった。
抱きしめられて、優しく声をかけられて……それに安心している自分がいる。
――ああ、駄目だ。もう誤魔化せない。
今までだって散々、殺人だの愛人だのと言われてきた。
傷つかないと言えば嘘になる。
でも、すべて飲み込んで、受け流して、笑顔で強くあろうとしてきたのに。
それができないのは、グレンのせいだ。
グレンに迷惑をかけるかもしれない、嫌われるかもしれないと思うからだ。
ジェシカに何を言われても、王立図書館の司書に対するように笑顔で流せばいい。
それが、グレンはどう思うか気になって、心配で。
嫌われたくないから――好きだから。
……何ということだろう。
グレンは宣言通り、ステラの乙女心を取り戻してしまった。
今なら何故自分がそれを押しこめたのか、よくわかる。
ひとつひとつの言葉に傷つき、好意や悪意に敏感なままでは、とても生きていけなかった。
結婚してすぐに死別して追い出され、勘当されて平民になった、あの時。
乙女心を持ち合わせていたら、とっくに心が壊れて生きていけなかっただろう。
強く――そのために、鈍く。
それが、生きる術だったのだ。
グレンは、優しい。
でもそれは契約上の夫婦だからで、呪いの中和に対してのお礼の行動だからだ。
この心地良い関係も、じきに終わる。
そうすればグレンとは話すどころか、顔を合わせることもなくなるだろう。
その事実にぞっとして震えると、ステラの様子に気付いたらしいグレンが頭を撫でる。
優しいその手つきだけで、もう泣きそうだ。
どうにか耐えようとグレンの服をぎゅっと握りしめると、今度はステラの頭を抱き寄せる。
抵抗することなくその胸に頭を預けると、何故か頭上で微かに笑う声がした。
例え契約上の関係でも、こうして優しくされれば嬉しい。
少しはステラを好ましく思ってくれているのだろうかと、錯覚するくらいには。
ありえない夢物語ではあるが、グレンがステラに好意を持ってくれたとしよう。
それでも、結局は同じことだ。
グレンが好きだからこそ、迷惑をかけたくはない。
去り際に嫌な思いをさせたくない。
乙女心を取り戻してくれて……人を好きになるということを教えてくれて、ありがとう。
とても幸せで、とても苦しい。
だからもう一度、心の奥で深く眠って。