【11/25書籍発売予定】契約外溺愛 ~呪われ猫伯爵に溺愛宣言されたが、勘違いする乙女心は既にない。……いえ、取り戻さなくて結構です!~
45 シュテルン・ナイトレイ
街はもう暗くなり始めており、今から向かっても治癒院は閉まっていて院長もいない。
夜の街をうろつくわけにもいかないので、ステラは宿に泊まることにした。
一人で今後の予定を考えたかったというのもある。
宿はすぐに見つかったが、宿帳に名前を何と書くべきか少し悩んだ。
もうウォルフォードではなくなるし、貴族の名を市井の宿で使うのは良くない。
かといって、ステラ・ナイトレイという名前は悪い意味でそれなりに知られている可能性がある。
どうしたものかと考えるステラの脳裏に、ふと赤い瞳の黒猫の姿が浮かんだ。
……ああ、本当に乙女心は未練がましい。
苦笑しながら、ステラはペンを走らせた。
「シュテルン・ナイトレイ様ですね。夕食には間に合いませんが、後でパンと水をお届けしましょうか?」
「お願いします」
宿の主人との会話を終えると、前金を支払って部屋に入る。
ベッドと椅子があるだけの簡素な部屋だが、ウォルフォード邸の美しい部屋よりもよほどステラに似合っている。
「さて。明日は治癒院に行って、求人の紹介状をもらって、預けていた推薦状とお金を受け取って。公爵に事情を説明する手紙を書いて。隣国への国境を超えるのなら手続きがありますよね。それから、最低限の着替えと食料に……」
用意するものも、することも山積みだ。
ステラは深い息を吐くと、窓を開け放った。
冷たくて心地よい夜風が、ステラの金の髪を揺らす。
見上げれば紺碧の夜空にはいくつもの星が、まるで宝石のように輝いていた。
「綺麗ですね」
ステラの名前も星という意味だが、こうも違うと笑いたくなってくる。
「……いっそ、本当にシュテルンに名前を変えてしまいましょうか」
ただ、シュテルンという名前で思い浮かぶのは、あの黒猫になってしまっている。
そういう意味では、もっと別の名前にした方がいいのかもしれない。
「別の名前……すぐには浮かびませんね」
星を眺めながらどうしようか考えていると、背後から扉をノックする音が聞こえた。
「ステラさん、失礼します」
男性の声が聞こえるが、恐らくは先程言っていたパンと水だろう。
窓辺から扉に向かいドアノブに手をかけたステラは、ふと違和感に気付いた。
宿帳にはシュテルン・ナイトレイと書いたのに……何故、ステラの名前を知っているのだろう。
危険に気付いて扉を閉めようとするが、それよりも早く隙間に足がねじ込まれ、あっという間に扉が開かれる。
見知らぬ男性とイヴェットの笑みが見えたと思った次の瞬間には、部屋に侵入されていた。
「ようやく、一人になったわね」
「……何の用ですか」
イヴェットの背後の扉は閉ざされ、逃げ道はない。
とにかく距離を取ろうと少しずつ後退りするステラを見て、イヴェットは楽しそうに微笑んだ。
「前にも言ったわよね。伯爵夫人なら、妹のドレス代くらい出せるでしょう?」
まさかとは思ったが、本当にそれが用件なのか。
あまりのことに、ステラの口からため息が漏れた。
「その男性を雇うお金があるのなら、ドレス代に回せばいいではありませんか。それに、もう私は伯爵夫人ではありません」
「それなら、稼いでくれればいいわよ。魔女だったとは知らなかったけれど、それなりの腕ならお金になるはずよね。何なら、娼館に売ってもいいわよ」
相変わらずの勝手な訴えに、ステラはイヴェットを睨みつけた。
「金、金と、しつこいですね。きちんと領地経営をして普通に暮らしていれば、生活に困るようなことはないはずでは?」
もともと、コーネル男爵家は裕福ではなくとも貧しくはなかった。
それを浪費で財政を傾かせたのはイヴェット自身だというのに、何を勝手なことを言っているのだろう。
「大切な娘の社交界デビューよ? ドレスは華やかであればあるほどいいし、お金はいくらあっても困らないわ。妹の役に立てるのだから、ありがたく思いなさい」
さも当然のようにそういうイヴェットに、ステラの中の何かがぷちんと切れた。
「――嫌です。私の人生は、私のものです。あなたの道具じゃありません。自分が浪費しか能がないからって、人のお金をあてにして。――みっともない!」
「何ですって⁉」
イヴェットの視線を受けた男性が動き、あっという間にステラを捕まえた。
腕をつかまれて頭を床に押し付けられ、体のあちこちが痛い。
それでも屈したくなくてどうにか顔を上げると、イヴェットがステラの首のネックレスに手伸ばして引きちぎった。
「高価な宝石なら売ろうと思ったけれど……たいしたことはなさそうね。結局、伯爵にも捨てられたんでしょう? みっともないのはどちらよ」
吐き捨てるようにそう言うと、ネックレスを床に叩きつけ、それを靴で踏みにじった。
唯一持ってきたグレンとの思い出の品に、何ということを。
ステラの中に怒りが生まれたと同時に、イヴェットの前髪がゆらりと震え、次の瞬間から勢いよく伸び始めた。
「うん? え? 何、いやあああ!」
最初は前髪をかきあげていたが、何度やっても目にかかるどころか顔を覆う勢いで伸びる髪に、悲鳴を上げ始めた。
「――ステラ、いるのか⁉」
その時、ノックと共に男性の声が室内に響いた。
夜の街をうろつくわけにもいかないので、ステラは宿に泊まることにした。
一人で今後の予定を考えたかったというのもある。
宿はすぐに見つかったが、宿帳に名前を何と書くべきか少し悩んだ。
もうウォルフォードではなくなるし、貴族の名を市井の宿で使うのは良くない。
かといって、ステラ・ナイトレイという名前は悪い意味でそれなりに知られている可能性がある。
どうしたものかと考えるステラの脳裏に、ふと赤い瞳の黒猫の姿が浮かんだ。
……ああ、本当に乙女心は未練がましい。
苦笑しながら、ステラはペンを走らせた。
「シュテルン・ナイトレイ様ですね。夕食には間に合いませんが、後でパンと水をお届けしましょうか?」
「お願いします」
宿の主人との会話を終えると、前金を支払って部屋に入る。
ベッドと椅子があるだけの簡素な部屋だが、ウォルフォード邸の美しい部屋よりもよほどステラに似合っている。
「さて。明日は治癒院に行って、求人の紹介状をもらって、預けていた推薦状とお金を受け取って。公爵に事情を説明する手紙を書いて。隣国への国境を超えるのなら手続きがありますよね。それから、最低限の着替えと食料に……」
用意するものも、することも山積みだ。
ステラは深い息を吐くと、窓を開け放った。
冷たくて心地よい夜風が、ステラの金の髪を揺らす。
見上げれば紺碧の夜空にはいくつもの星が、まるで宝石のように輝いていた。
「綺麗ですね」
ステラの名前も星という意味だが、こうも違うと笑いたくなってくる。
「……いっそ、本当にシュテルンに名前を変えてしまいましょうか」
ただ、シュテルンという名前で思い浮かぶのは、あの黒猫になってしまっている。
そういう意味では、もっと別の名前にした方がいいのかもしれない。
「別の名前……すぐには浮かびませんね」
星を眺めながらどうしようか考えていると、背後から扉をノックする音が聞こえた。
「ステラさん、失礼します」
男性の声が聞こえるが、恐らくは先程言っていたパンと水だろう。
窓辺から扉に向かいドアノブに手をかけたステラは、ふと違和感に気付いた。
宿帳にはシュテルン・ナイトレイと書いたのに……何故、ステラの名前を知っているのだろう。
危険に気付いて扉を閉めようとするが、それよりも早く隙間に足がねじ込まれ、あっという間に扉が開かれる。
見知らぬ男性とイヴェットの笑みが見えたと思った次の瞬間には、部屋に侵入されていた。
「ようやく、一人になったわね」
「……何の用ですか」
イヴェットの背後の扉は閉ざされ、逃げ道はない。
とにかく距離を取ろうと少しずつ後退りするステラを見て、イヴェットは楽しそうに微笑んだ。
「前にも言ったわよね。伯爵夫人なら、妹のドレス代くらい出せるでしょう?」
まさかとは思ったが、本当にそれが用件なのか。
あまりのことに、ステラの口からため息が漏れた。
「その男性を雇うお金があるのなら、ドレス代に回せばいいではありませんか。それに、もう私は伯爵夫人ではありません」
「それなら、稼いでくれればいいわよ。魔女だったとは知らなかったけれど、それなりの腕ならお金になるはずよね。何なら、娼館に売ってもいいわよ」
相変わらずの勝手な訴えに、ステラはイヴェットを睨みつけた。
「金、金と、しつこいですね。きちんと領地経営をして普通に暮らしていれば、生活に困るようなことはないはずでは?」
もともと、コーネル男爵家は裕福ではなくとも貧しくはなかった。
それを浪費で財政を傾かせたのはイヴェット自身だというのに、何を勝手なことを言っているのだろう。
「大切な娘の社交界デビューよ? ドレスは華やかであればあるほどいいし、お金はいくらあっても困らないわ。妹の役に立てるのだから、ありがたく思いなさい」
さも当然のようにそういうイヴェットに、ステラの中の何かがぷちんと切れた。
「――嫌です。私の人生は、私のものです。あなたの道具じゃありません。自分が浪費しか能がないからって、人のお金をあてにして。――みっともない!」
「何ですって⁉」
イヴェットの視線を受けた男性が動き、あっという間にステラを捕まえた。
腕をつかまれて頭を床に押し付けられ、体のあちこちが痛い。
それでも屈したくなくてどうにか顔を上げると、イヴェットがステラの首のネックレスに手伸ばして引きちぎった。
「高価な宝石なら売ろうと思ったけれど……たいしたことはなさそうね。結局、伯爵にも捨てられたんでしょう? みっともないのはどちらよ」
吐き捨てるようにそう言うと、ネックレスを床に叩きつけ、それを靴で踏みにじった。
唯一持ってきたグレンとの思い出の品に、何ということを。
ステラの中に怒りが生まれたと同時に、イヴェットの前髪がゆらりと震え、次の瞬間から勢いよく伸び始めた。
「うん? え? 何、いやあああ!」
最初は前髪をかきあげていたが、何度やっても目にかかるどころか顔を覆う勢いで伸びる髪に、悲鳴を上げ始めた。
「――ステラ、いるのか⁉」
その時、ノックと共に男性の声が室内に響いた。