【11/25書籍発売予定】契約外溺愛 ~呪われ猫伯爵に溺愛宣言されたが、勘違いする乙女心は既にない。……いえ、取り戻さなくて結構です!~
48 だからハゲるんだ
何を言われたのかよくわからないまま、手を引かれてもう一度ベッドに腰を下ろす。
グレンはじっとこちらを見つめているが、今の言葉は一体どういう意味なのだろう。
「……ああ。手続きか何かですか? わかりました。では、後日ウォルフォード邸を訪ねますので、書類を用意していただければ」
「違う、そうじゃない」
てっきり離婚の手続きでサインがいるのだと思ったのだが、違うらしい。
「では、慰謝料でしょうか。あいにく、たいした額は用意できませんが」
「何でステラが支払うんだ」
「グレン様を騙したようなものですし、元実家のことでご迷惑をおかけしましたし、今もここまで助けに来ていただきました」
これだけ手間を取らせてしまったのだから、お詫びは必要だろう。
グレンはいつの間にか眉間に皺を寄せていたが、がっくりとうなだれる。
深いため息をついたかと思うと、ゆっくりと顔を上げ、紅玉の瞳がステラを見つめた。
「――ステラ、聞いてくれ」
「はい」
ついに正式な契約終了の通告か。
グレンと顔を合わせるのもこれで終わりなのだろうと思うと、声を聞けるだけでも嬉しかった。
「確かに、呪いをかけた魔女がステラの師匠だというのは、驚いた。作為をまったく疑わなかったと言えば、嘘になる。でも、すぐにそんな愚かな考えは消えた。毎日一生懸命勉強して、働いて、呪いを中和しようと頑張っていたステラを、俺は見ている」
ステラの手を包み込むように握りながらも、グレンは視線を外さない。
「部屋を荒らされて今まで書いていたノートを失った時、ステラは涙を浮かべてもそれを隠そうとしただろう。今まで俺の周囲に来るのは、涙も武器にして見せつけてくるような女性ばかりだった。……俺は、理不尽にも耐えて前を向くその姿に惹かれたんだ」
ということは、泣いたのを見られていたのか。
隠せたと思っていたのに、恥ずかしい。
いや、待て。
それよりも気になる言葉があった気がする。
「……惹かれた?」
あまりにも場にそぐわない単語にステラが首を傾げると、グレンが微笑む。
「最初は、呪いの中和が目的だった。『ツンドラの女神』と呼ばれる不毛の大地に救いをもたらす魔女ならば、この呪いを弱められるかもしれないと藁にも縋る気持ちだった。……まさか、毛生え薬の魔女だとは思わなかったが」
それはそうだ。
ステラだって、魔法の効果を知ってかなりショックを受けた。
普通に考えれば、魔女が毛を生やすなどと思いつくはずもない。
「俺は、小さい頃に初恋の人に酷く振られたことがある。たまたま使用人と服を取り換えて遊んでいたから、彼女は俺を使用人だと思ったらしい。身の程知らずと、罵られたよ。それだけならただの失恋で終わったが、後日伯爵令息として会った時に、彼女は俺に媚を売ってきた。それ以来、すっかり女性を信用できなくなったんだ」
「それは……わかります」
ステラもまた、色々あったせいで男性を信用できない。
仕事上の関わりなら問題ないが、個人として男女としてというのは、とても考えられなかった。
「ステラは、俺が伯爵だからと媚びない。俺が与えるものにも執着しない。ただ閲覧権が欲しくて、魔女として中和しているだけ。俺が望んだ通りに仕事をこなしてくれた。でも、いつからか俺は、それでは物足りなくなって……ステラに、仕事以外で俺を見てほしくなっていた」
「え?」
ぽかんと口を開けるステラを見て、グレンが困ったように笑みを浮かべた。
「中和のお礼の『溺愛』というのも、ただの口実。俺がステラに構いたかっただけだ。……この契約期間中、とても楽しかった。このままの生活が続けばいいと願うほど、俺の中でステラの存在が大きくなっていたんだ」
そこまで言うと、ふとグレンの表情が曇る。
麗しい伯爵は憂いを帯びた顔も美しいなと、ぼんやりと眺めた。
「でも、あの手紙を読んで。俺が贈ったものをすべて置いていった部屋を見て。のんきな自分に腹が立った。……もっと早くに、きちんと伝えれば良かったと」
「グレン様?」
先程から、何だかおかしなことを言っているが、どうしたのだろう。
困惑するステラの手を、グレンの両手が包み込んだ。
「俺はこのまま、ステラとの結婚を継続したい」
「え? ああ。契約更新ですか?」
「違う」
グレンはステラの手を放してひざまずくと、もう一度手をすくい取る。
何事かと戸惑っている間に、紅玉の瞳がまっすぐステラをとらえた。
「ステラ。――君に、俺の人生のすべてを捧げる。だから、俺に君のすべてをくれないか」
「……その内容だと、契約終了がいつなのか、よくわからないのですが」
首を傾げるステラに、グレンが笑みを返す。
「死ぬまで」
「へ?」
「死んでも、ずっと」
「は?」
「――愛している」
「ええ⁉」
気が動転して、まったく事態が理解できない。
固まったままのステラの手に、グレンがそっと唇を落とす。
その柔らかな感触に我に返ったステラは、慌てて手を引っ込めた。
「自分でも勝手なことを言っているのは、わかっている。でも、俺はステラが好きだ。愛している。君と共にいたい。願わくば――ずっと」
まさかの言葉に、今度こそステラは動けなくなった。
暫し流れる沈黙。
さすがに耐えられなくなったらしいグレンが、心配そうにステラの顔を覗き込む。
「……おい。聞いているのか?」
至近距離の顔と声に、ようやくステラの呪縛が解ける。
「ああ、すみません。盛大な空耳に襲われまして」
「空耳じゃないぞ」
「では、白昼夢でしょうか」
「違う」
言うが早いか、グレンはステラの手を取り、指先にキスをした。
「ひゃあっ⁉」
驚いて手を引こうとするが、今度はグレンが放してくれない。
「俺の、本当の妻になってほしい」
「い、いえ、でも。私は平民です」
「俺と結婚しているから、伯爵夫人だ」
それはそうなのだが、あくまでも契約上の夫婦だったはず。
ステラが平民出であることに何ら変わりはないのだが、何だか口を挟めない謎の圧を感じる。
「私には、『ツンドラの女神』としての仕事があります。秘密を守る都合上、どうしても変な噂が立ちますし。それに薬師の勉強を続けたいので、伯爵夫人なんて、とても……」
魔女や薬師云々の前に相当気になることはあるが、今は思考が混乱してそちらを考えられない。
とにかく、ステラは魔女で、薬師で、平民で、グレンの隣には相応しくない。
自分に言い聞かせるように、心の中で反芻する。
「薬師の勉強は、続けてもらって構わない。それから、カークランド公爵がステラの治療を公表するそうだ」
「ええ⁉」
せっかく人が心を落ち着けようとしているのに、更なる爆弾が投下された。
ステラの治療を公表するということは、ステラが毛生え薬の効果を持つ魔女だと知られるわけで、結果的に薄毛人達の薄毛が白日の下に晒されるわけだが。
一体、どういうことだろう。
「もともと公爵は公表しても良かったが、他の客が乗り気ではなかったらしい。そこにステラの師匠とサンダーソン侯爵夫人が掛け合ったらしい。ステラも既婚だし、いつまでも甘えるな、とね。特に侯爵夫人が事情を共有したことで夫婦仲が更に良くなったとアピールしたのが大きいようだ。それから、夫人の一言も効いたようだよ」
確かに薄毛人がそれを隠すのは、羞恥心であり見栄だ。
伴侶がそれを認め、更に夫婦仲が良くなるとなれば、無用な憶測を生む今の状態よりもいいと思う人が出てもおかしくはない。
だが、それを後押しする一言とはいかなるものなのか。
興味津々で待っていると、グレンが苦笑した。
「『ハゲは堂々とハゲるか、堂々と治療しろ。だから、ハゲるんだ』だそうだよ」
上品な侯爵夫人からのまさかの言葉に、唖然として開いた口が塞がらない。
別に隠していたからハゲたわけではなくて、ハゲたから隠したわけで……いや、そこはどうでもいいか。
何にしても、やはり公爵と侯爵夫人の影響力というものは凄まじいものだ、と感心してしまう。
「今後は公爵が窓口となって相談を受け、堂々と治療ができるよ。……まあ、俺が心配だから同行者はつけるけどね。でも、これで事情は知られるから、愛人なんて噂も落ち着くだろう」
何という、まさかの展開だ。
サンダーソン侯爵夫人はステラの治療を認めてくれたばかりか、ステラを思って公爵に訴えてくれたのだ。
ジェマも公爵もステラのために尽力してくれていたが、どうしても超えられなかったものを、薄毛人の伴侶という特殊な立場の夫人が叩き壊してくれた。
もうこれで、無理に秘密を守る必要はない。
それだけで、肩の荷がすっと下りた気がした。
ほっと息をつくステラを見て、グレンが嬉しそうに微笑む。
「だから、安心して俺の妻になって」
グレンはじっとこちらを見つめているが、今の言葉は一体どういう意味なのだろう。
「……ああ。手続きか何かですか? わかりました。では、後日ウォルフォード邸を訪ねますので、書類を用意していただければ」
「違う、そうじゃない」
てっきり離婚の手続きでサインがいるのだと思ったのだが、違うらしい。
「では、慰謝料でしょうか。あいにく、たいした額は用意できませんが」
「何でステラが支払うんだ」
「グレン様を騙したようなものですし、元実家のことでご迷惑をおかけしましたし、今もここまで助けに来ていただきました」
これだけ手間を取らせてしまったのだから、お詫びは必要だろう。
グレンはいつの間にか眉間に皺を寄せていたが、がっくりとうなだれる。
深いため息をついたかと思うと、ゆっくりと顔を上げ、紅玉の瞳がステラを見つめた。
「――ステラ、聞いてくれ」
「はい」
ついに正式な契約終了の通告か。
グレンと顔を合わせるのもこれで終わりなのだろうと思うと、声を聞けるだけでも嬉しかった。
「確かに、呪いをかけた魔女がステラの師匠だというのは、驚いた。作為をまったく疑わなかったと言えば、嘘になる。でも、すぐにそんな愚かな考えは消えた。毎日一生懸命勉強して、働いて、呪いを中和しようと頑張っていたステラを、俺は見ている」
ステラの手を包み込むように握りながらも、グレンは視線を外さない。
「部屋を荒らされて今まで書いていたノートを失った時、ステラは涙を浮かべてもそれを隠そうとしただろう。今まで俺の周囲に来るのは、涙も武器にして見せつけてくるような女性ばかりだった。……俺は、理不尽にも耐えて前を向くその姿に惹かれたんだ」
ということは、泣いたのを見られていたのか。
隠せたと思っていたのに、恥ずかしい。
いや、待て。
それよりも気になる言葉があった気がする。
「……惹かれた?」
あまりにも場にそぐわない単語にステラが首を傾げると、グレンが微笑む。
「最初は、呪いの中和が目的だった。『ツンドラの女神』と呼ばれる不毛の大地に救いをもたらす魔女ならば、この呪いを弱められるかもしれないと藁にも縋る気持ちだった。……まさか、毛生え薬の魔女だとは思わなかったが」
それはそうだ。
ステラだって、魔法の効果を知ってかなりショックを受けた。
普通に考えれば、魔女が毛を生やすなどと思いつくはずもない。
「俺は、小さい頃に初恋の人に酷く振られたことがある。たまたま使用人と服を取り換えて遊んでいたから、彼女は俺を使用人だと思ったらしい。身の程知らずと、罵られたよ。それだけならただの失恋で終わったが、後日伯爵令息として会った時に、彼女は俺に媚を売ってきた。それ以来、すっかり女性を信用できなくなったんだ」
「それは……わかります」
ステラもまた、色々あったせいで男性を信用できない。
仕事上の関わりなら問題ないが、個人として男女としてというのは、とても考えられなかった。
「ステラは、俺が伯爵だからと媚びない。俺が与えるものにも執着しない。ただ閲覧権が欲しくて、魔女として中和しているだけ。俺が望んだ通りに仕事をこなしてくれた。でも、いつからか俺は、それでは物足りなくなって……ステラに、仕事以外で俺を見てほしくなっていた」
「え?」
ぽかんと口を開けるステラを見て、グレンが困ったように笑みを浮かべた。
「中和のお礼の『溺愛』というのも、ただの口実。俺がステラに構いたかっただけだ。……この契約期間中、とても楽しかった。このままの生活が続けばいいと願うほど、俺の中でステラの存在が大きくなっていたんだ」
そこまで言うと、ふとグレンの表情が曇る。
麗しい伯爵は憂いを帯びた顔も美しいなと、ぼんやりと眺めた。
「でも、あの手紙を読んで。俺が贈ったものをすべて置いていった部屋を見て。のんきな自分に腹が立った。……もっと早くに、きちんと伝えれば良かったと」
「グレン様?」
先程から、何だかおかしなことを言っているが、どうしたのだろう。
困惑するステラの手を、グレンの両手が包み込んだ。
「俺はこのまま、ステラとの結婚を継続したい」
「え? ああ。契約更新ですか?」
「違う」
グレンはステラの手を放してひざまずくと、もう一度手をすくい取る。
何事かと戸惑っている間に、紅玉の瞳がまっすぐステラをとらえた。
「ステラ。――君に、俺の人生のすべてを捧げる。だから、俺に君のすべてをくれないか」
「……その内容だと、契約終了がいつなのか、よくわからないのですが」
首を傾げるステラに、グレンが笑みを返す。
「死ぬまで」
「へ?」
「死んでも、ずっと」
「は?」
「――愛している」
「ええ⁉」
気が動転して、まったく事態が理解できない。
固まったままのステラの手に、グレンがそっと唇を落とす。
その柔らかな感触に我に返ったステラは、慌てて手を引っ込めた。
「自分でも勝手なことを言っているのは、わかっている。でも、俺はステラが好きだ。愛している。君と共にいたい。願わくば――ずっと」
まさかの言葉に、今度こそステラは動けなくなった。
暫し流れる沈黙。
さすがに耐えられなくなったらしいグレンが、心配そうにステラの顔を覗き込む。
「……おい。聞いているのか?」
至近距離の顔と声に、ようやくステラの呪縛が解ける。
「ああ、すみません。盛大な空耳に襲われまして」
「空耳じゃないぞ」
「では、白昼夢でしょうか」
「違う」
言うが早いか、グレンはステラの手を取り、指先にキスをした。
「ひゃあっ⁉」
驚いて手を引こうとするが、今度はグレンが放してくれない。
「俺の、本当の妻になってほしい」
「い、いえ、でも。私は平民です」
「俺と結婚しているから、伯爵夫人だ」
それはそうなのだが、あくまでも契約上の夫婦だったはず。
ステラが平民出であることに何ら変わりはないのだが、何だか口を挟めない謎の圧を感じる。
「私には、『ツンドラの女神』としての仕事があります。秘密を守る都合上、どうしても変な噂が立ちますし。それに薬師の勉強を続けたいので、伯爵夫人なんて、とても……」
魔女や薬師云々の前に相当気になることはあるが、今は思考が混乱してそちらを考えられない。
とにかく、ステラは魔女で、薬師で、平民で、グレンの隣には相応しくない。
自分に言い聞かせるように、心の中で反芻する。
「薬師の勉強は、続けてもらって構わない。それから、カークランド公爵がステラの治療を公表するそうだ」
「ええ⁉」
せっかく人が心を落ち着けようとしているのに、更なる爆弾が投下された。
ステラの治療を公表するということは、ステラが毛生え薬の効果を持つ魔女だと知られるわけで、結果的に薄毛人達の薄毛が白日の下に晒されるわけだが。
一体、どういうことだろう。
「もともと公爵は公表しても良かったが、他の客が乗り気ではなかったらしい。そこにステラの師匠とサンダーソン侯爵夫人が掛け合ったらしい。ステラも既婚だし、いつまでも甘えるな、とね。特に侯爵夫人が事情を共有したことで夫婦仲が更に良くなったとアピールしたのが大きいようだ。それから、夫人の一言も効いたようだよ」
確かに薄毛人がそれを隠すのは、羞恥心であり見栄だ。
伴侶がそれを認め、更に夫婦仲が良くなるとなれば、無用な憶測を生む今の状態よりもいいと思う人が出てもおかしくはない。
だが、それを後押しする一言とはいかなるものなのか。
興味津々で待っていると、グレンが苦笑した。
「『ハゲは堂々とハゲるか、堂々と治療しろ。だから、ハゲるんだ』だそうだよ」
上品な侯爵夫人からのまさかの言葉に、唖然として開いた口が塞がらない。
別に隠していたからハゲたわけではなくて、ハゲたから隠したわけで……いや、そこはどうでもいいか。
何にしても、やはり公爵と侯爵夫人の影響力というものは凄まじいものだ、と感心してしまう。
「今後は公爵が窓口となって相談を受け、堂々と治療ができるよ。……まあ、俺が心配だから同行者はつけるけどね。でも、これで事情は知られるから、愛人なんて噂も落ち着くだろう」
何という、まさかの展開だ。
サンダーソン侯爵夫人はステラの治療を認めてくれたばかりか、ステラを思って公爵に訴えてくれたのだ。
ジェマも公爵もステラのために尽力してくれていたが、どうしても超えられなかったものを、薄毛人の伴侶という特殊な立場の夫人が叩き壊してくれた。
もうこれで、無理に秘密を守る必要はない。
それだけで、肩の荷がすっと下りた気がした。
ほっと息をつくステラを見て、グレンが嬉しそうに微笑む。
「だから、安心して俺の妻になって」