【11/25書籍発売予定】契約外溺愛 ~呪われ猫伯爵に溺愛宣言されたが、勘違いする乙女心は既にない。……いえ、取り戻さなくて結構です!~
5 仕事が早い伯爵は、自ら汚点を広げます
「……夜会、ですか」
「そう」
 この日も朝一番で治癒院にやってきたグレンは、個室に入ると早速用件を伝えてきた。

「まだ正式な婚約者ではないので、今回は……」
「正式な婚約者だよ? 既に教会に婚姻の書類を申請しているからね。あとは届いたらサインして提出。そうすれば、もう夫婦だ」
「は?」

 初めて会ったのは数日前だというのに、既に教会に書類を申請しているとは。
 仕事が早いのはいいことだが、今回に関しては別に急がなくてもいいのではないだろうか。

 ……いや、これは一刻も早く呪いの中和を本格的に始めたいという意味だろう。
 命には関わらないしステラに危害もないと言っていたが、グレン自身は何かが辛くて待ちきれないのかもしれない。


「あの、体調は平気ですか? 良ければ少しでも中和しましょうか?」
 結婚は、あくまでも継続的な治療をしやすくするための環境づくり。
 そしてステラの閲覧権のためのものだ。

 ここで一回中和してもそこまでの効果は期待できないだろうが、何もしないよりはいいはずだ。
 だが、グレンは不思議そうに目を瞬かせた。
「うん? 別に平気だが。……そういえば、中和というのはどうするものなんだ?」

「魔力を少しずつ流し込みます。一気に流せば対象が壊れますし、魔女も倒れます。なので、少しずつ頻回に、気長にやっていくしかありません。あとは相性もあるので、あまりに合わなくて具合が悪くなるようなら、他の人に変更した方がいいと思います」

「……なるほど。では、試してみようか」
 ステラはうなずくとグレンの手を取り、自身の手で挟むように重ねた。
 そのまま目を閉じ、手に意識を集中させる。

 何せ、ステラの魔力の本分は毛にまつわるもの。
 それを発動させずに魔力を少しだけ流すというのは、結構気を使うのだ。
 グレンの手が少し温かくなったところで目を開けると、紅玉(ルビー)の瞳が不思議そうにこちらを見ていた。


「どうかしましたか? 気分が悪いですか?」
「いや、そうじゃない。魔力を流されるのは初めてで……こんな風に温かいものなんだな」
 素直に感心する様子が面白くて、ステラも微笑む。

「では、相性はいいみたいですね。安心しました」
「そうなのか。これなら毎日でもいいな。気持ちがいい」

 にこりと微笑むグレンは今日も麗しい。
 これは数多の女性を虜にしていそうだ。
 本当に、誤解や嫉妬で治癒院に女性が来ないことを祈るばかりである。

「じゃあ、行こうか」

 グレンは立ち上がると、ステラに向かって手を差し出す。
 ひとつひとつの動きが見事に様になっているが、行動の意味がよくわからない。
 首を傾げるステラに、紅玉(ルビー)の瞳が楽し気に細められた。

「院長の許可は得ている。夜会のためのドレスを作りに行くぞ」



 グレンに連れられて入ったのは、王都でも有名な仕立て屋だ。
 ステラも外観は見たことがあったが、中に入るのはもちろん初めてである。

 どうやら馴染みらしいグレンは店員にステラを預けると、用があると言ってそのまま帰った。
 抵抗する間もなくあっという間に採寸を終えたステラは、美しい生地やドレスに囲まれて少し気まずい思いをしながら紅茶を口にしていた。

「……用があるのなら、わざわざ同行しなくても良かったのでは」

 慌ただしく店を出て行ったグレンを思い出し、ぽつりと呟く。
 ステラひとりで行ってこいという指示を伝えるか、使用人にでも案内させれば十分だろうに。

「まあ、奥様。時間がなくても一緒に行きたいという、伯爵のお気持ちをわかって差し上げてください」

 店員はそう言って微笑みながら、焼き菓子をテーブルに置いた。
 この奥様という呼び名をどうにかしてほしいのだが、店員は頑として譲らない。

 伯爵夫人となる人を初対面で名前で呼ぶのはどうかというのもあるし、正直いちいち名前を憶えるのも面倒なのだろうと思い、仕方なく受け入れることにした。

「まあ確かに、私ひとりでお店に来ても、何の冗談かと門前払いでしょうしね……」
 貴族御用達の有名店に対して、ステラは見事に地味な服の平民。
 恐らく店に入れず二度手間になるのを嫌って、グレンが案内したのだろう。


「……ところで、奥様。本当にこれでよろしいのですか?」
 店員はドレスの仕様を書きとめたメモを見て、難しい顔をしている。
 装飾はほぼゼロの地味なものなので、困惑しているのだろう。

「はい。本当は髪飾りなどもいらないのですが……さすがに何ひとつ身につけないのは、グレン様の立場が悪くなりますよね」

「それを言うならば、このドレスが既に……その、落ち着きすぎと言いますか……」
「地味ですね」
 言いにくそうな店員の言葉を察して伝えると、深くうなずかれた。

「伯爵は遠慮なく好きなものを仕立てるようにと仰せでしたのに、どうしてこんな……」
「ドレスに好きも何もありませんので」

 社交界デビューする間もなくスケベおやじに嫁いだステラには、華やかなドレスを仕立てた経験も、着た経験もない。
 ついでに、見る機会もほとんどない。
 その上、乙女心は消えているので、ドレスに対して憧れも好みも何も存在しなかった。


「今まで女性にドレスを贈るどころか、浮いた噂ひとつなかったウォルフォード伯爵がひとめぼれしたという、最愛の奥様です。伯爵のご希望もありますし、私共も全力で素敵なドレスを仕立てるつもりなのですが」

 またグレンが自分で自分の人生の汚点を広げている。
 ひとめぼれ設定はわかるが、いちいち最愛という形容詞をつけるのはやめた方がいいと思うのだが。

 それにしても、ドレスはともかく浮いた噂ひとつないというのは少々驚いた。
 ならば誤解で襲撃してくる女性は来ないだろうか。

 ……いや、結局グレンが美貌の伯爵であることに変わりはないので、女性達が狙っていることには違いないだろう。

「とりあえず、グレン様の立場が悪くならない程度に装飾はできる限り控えてください。素材や色は流行りも何もわからないので、お任せしたいのですが」

 それまで眉間に皺を寄せて困った様子だった店員は、その言葉に水を得た魚のようにいきいきとし始めた。

「かしこまりました。余計なものをすべて排除した、シンプルで上質な美しさ……必ず、実現してみせます」
「……お願いします」

 何となく意思の疎通ができていない気もしたが、相手は服飾のプロだ。
 ステラにこだわりはないし、どうにかいい感じにしてくれるだろう。
 そう結論を出すと、残りの紅茶を一気に飲み干した。
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