【11/25書籍発売予定】契約外溺愛 ~呪われ猫伯爵に溺愛宣言されたが、勘違いする乙女心は既にない。……いえ、取り戻さなくて結構です!~
6 とりあえず、よろしくお願いしてみました
「ステラ、とても綺麗だ。似合っている」
ステラに視線を向けると、グレンはそう言って紅玉の瞳を細める。
正装に身を包んだ麗しの伯爵に褒められるという乙女なら歓喜の事態だが、ステラの表情は無に近い。
「……ありがとうございます」
雇われているという自覚がどうにか礼の言葉を紡いだが、表情に生気がないのはどうしようもない。
何度目かのやりとりを感慨もなく終えると、ステラは小さく息を吐いた。
約束の夜会の日、ステラはウォルフォード伯爵邸を訪ねた。
仕立てたドレスはウォルフォード邸に届いているし、夜会に相応しい装いや準備などもわからないからだ。
グレンに言い含められているのか、使用人達はステラに優しく、丁寧かつ迅速に支度をしていく。
そうして出来上がった姿を見て、ステラの眉間に皺が寄り……最終的に無に到達した。
ステラが身に纏っているのは、ごくシンプルなドレスだ。
いわゆるリボンやレース、フリルといった類は一切ない。
その代わりに生地のドレープを活かしており、流れるようなその形が上品だ。
肝心の生地は鮮やかな深紅で、光を受けて深みを増す赤は艶があり美しい。
そう、まるでグレンの紅玉の瞳のような、綺麗な赤である。
生地や色に関してはお任せしたが、まさかこんなことになるとは。
一応は婚約者という形だが、かたや美貌の伯爵、かたや愛人の噂がある立派な平民。
さすがに瞳の色のドレスはどうかと思う。
本来ならもう少し波風立てない無難な色にするべきだろうが、今更どうしようもない。
お任せしたということは、その決定に従うということであり、ステラに文句を言う権利などないのだ。
唯一この状況を打開できるとすれば、雇い主であり支払いをするグレンだけ。
ステラは表情のなくなった顔を軽く叩いて気合いを入れると、グレンを見つめる。
「グレン様、申し訳ありません。ドレスに詳しくないので、生地の色もお任せしたのですが……こんなことに」
「こんなこと? この色に問題が?」
麗しい笑みで儚い希望を打ち砕いたグレンと共に夜会会場に到着して、しばし。
予想通りグレンには女性達の熱い視線が注がれ、その隣にいるステラには嫌悪の眼差しが向けられた。
地味な装いだとしても嫉妬されること請け合いなのに、よりにもよって瞳の色のドレスを着ているのだから、当然だろう。
ステラが勝手に作ったのだとしても、グレンがそれをエスコートしている以上は、許容されているということになる。
面倒なことにならないとは思えなかった。
「……あなた、平民なのですって?」
グレンと離れた瞬間にすかさずやってきた女性達は、あっという間にステラを囲む。
はたから見れば親し気に挨拶をかわしているのだろうが、実際のところ包囲されて動けないだけだ。
本日何回目かわからない質問に、そろそろ返答するのも飽きてきた。
大体、ステラが平民なのはわかっているはずなのに、何のために確認するのだろう。
万が一にも高貴な御令嬢だった時のための保険だろうか。
「はい、その通りです」
一応返答すると、女性達は満足そうに笑みを浮かべ、そして蔑みの視線を向けてきた。
「平民がウォルフォード伯爵のおそばにいるなんて。図々しいとは思いません?」
「大体、婚約者だなんて。きっと伯爵は騙されておいでなのよ。汚らわしい女!」
「それにそのドレスの色。厚かましいにもほどがありますわ。自分の立場をわきまえてはいかが?」
上品なドレスの御令嬢とは思えぬ文句が絶え間なく飛んでくる。
真正面から邪魔だと言えばいいのに回りくどいものだ。
しかし、契約がある以上は無関係と言えないので婚約者を演じるしかない。
さて、この場合にはどういう対応が正解なのだろう。
ステラは頭に王立図書館の司書を思い浮かべた。
無視をしても駄目、反論すると面倒臭い、正論ではかえって機嫌を損ねる……となると、やはりあれだろうか。
「こんばんは。お声がけありがとうございます。今後もよろしくお願いいたします」
司書対応で培った笑みを浮かべてそう言うと、女性達の動きが止まった。
一瞬呆けたかと思うと、みるみるうちに表情が曇っていく。
「……調子に乗っていられるのも、今のうちですわよ」
「――誰が、調子に乗っているって?」
女性のひとりが低い声で呟いた瞬間、その背後からよく通る声が響いた。
女性達が口々に弁解をする中、グレンはステラの隣に立ったかと思うと、その肩を引き寄せる。
「俺がひとめぼれした、最愛の人だ。……よろしく頼むよ、お嬢さん方」
紅玉の瞳を細めて微笑むと、女性達は不満そうにしつつも抗えないらしく、最終的には笑みを返している。
さすがは美貌の伯爵、見事に美青年は正義を体現している。
感心してグレンを見上げると、少し困ったように笑った。
「さあ、ステラ。踊ろうか」
手を引いてその場から離れるのは、恐らくダンスのためというよりも、あの女性達から離れるためだろう。
おとなしくそれに従ったステラは、ある程度距離を取ったところでグレンの手を離した。
「どうした? 別に下手でも構わないぞ?」
「いえ、やめておきます。グレン様はどなたかと踊っていらしては?」
「婚約者のお披露目なのにか?」
「……それは、失礼いたしました」
確かにひとめぼれで最愛の婚約者を放って他の女性と踊っていたのでは、グレンの評判に関わる。
ここは顧客の世間体のためにも、一曲は踊るべきなのだろう。
少し緊張しながら差し出された手を取ると、グレンの紅玉の瞳が嬉しそうに細められる。
乙女心が消えたステラから見ても、その笑顔は眩いばかりだ。
おかげで周囲からの視線は再び鋭くなった気もするが、もうどうしようもない。
面倒なことにならないといいのだが。
ステラは小さく息をつくと、グレンと共にステップを踏み始めた。
「何だ。渋っていた割には、踊れるじゃないか」
「一応は男爵令嬢でしたので。社交界デビューに向けて、練習していました」
実際にはデビューすることもなくスケベおやじに嫁いで即日未亡人になり、追い出され勘当されて平民になったので、一度もこういった場では踊ったことはなかった。
グレンのリードが上手いのだろうが、それにしても意外と体は憶えているものである。
「何年も踊っていなくても、踊れるものですね」
あの頃は、幸せだった。
父と母がいて、裕福ではなくても借金もなくて。
社交界デビューして、いつかは素敵な出会いをして結婚するのだろうと夢を見ていた。
……もう、遠い昔のことだが。
自嘲の笑みを浮かべて俯くとグレンの動きが止まり、ステラの手を引いたまま会場から出ていく。
「グレン様?」
「もうお披露目はいいだろう。帰ろうか」
いいのかどうかはわからないが、その判断をするのはグレンだ。
ステラとしてはありがたいので、促されるままに歩き、馬車に乗る。
さすがに疲れたせいで、座ると同時に深いため息が漏れた。
「……顔色が悪いな。大丈夫か?」
「はい。夜会は初めてで、ドレスも窮屈で、ちょっと疲れただけです。申し訳ありません」
「何故、謝るんだ?」
「グレン様の婚約者という役目を、十分に果たせたかどうか……」
ある程度の人数に挨拶をした以外では、女性達に絡まれたのと少し踊っただけだ。
グレンの顧客満足度としては、決して満点とはいかないだろう。
別に満点を取らなくてもいいし、本来の仕事は呪いの中和だ。
そうわかっていても、やはり引き受けた以上はしっかりと務めたかった。
「役目、か。……もう遅い時間だし、着替えた後は馬車で送らせよう」
「いえ。たいした距離ではありませんので」
「夜道を婚約者ひとりで歩かせるような男だとでも?」
なるほど、確かにそうか。
ステラの安全というよりは、グレンの世間体のために必要な措置だ。
そういうことならば、これも業務の一環と言える。
「わかりました。お言葉に甘えます」
深く頭を下げたステラは、グレンの表情が少し曇ったことには気が付かなかった。
ステラに視線を向けると、グレンはそう言って紅玉の瞳を細める。
正装に身を包んだ麗しの伯爵に褒められるという乙女なら歓喜の事態だが、ステラの表情は無に近い。
「……ありがとうございます」
雇われているという自覚がどうにか礼の言葉を紡いだが、表情に生気がないのはどうしようもない。
何度目かのやりとりを感慨もなく終えると、ステラは小さく息を吐いた。
約束の夜会の日、ステラはウォルフォード伯爵邸を訪ねた。
仕立てたドレスはウォルフォード邸に届いているし、夜会に相応しい装いや準備などもわからないからだ。
グレンに言い含められているのか、使用人達はステラに優しく、丁寧かつ迅速に支度をしていく。
そうして出来上がった姿を見て、ステラの眉間に皺が寄り……最終的に無に到達した。
ステラが身に纏っているのは、ごくシンプルなドレスだ。
いわゆるリボンやレース、フリルといった類は一切ない。
その代わりに生地のドレープを活かしており、流れるようなその形が上品だ。
肝心の生地は鮮やかな深紅で、光を受けて深みを増す赤は艶があり美しい。
そう、まるでグレンの紅玉の瞳のような、綺麗な赤である。
生地や色に関してはお任せしたが、まさかこんなことになるとは。
一応は婚約者という形だが、かたや美貌の伯爵、かたや愛人の噂がある立派な平民。
さすがに瞳の色のドレスはどうかと思う。
本来ならもう少し波風立てない無難な色にするべきだろうが、今更どうしようもない。
お任せしたということは、その決定に従うということであり、ステラに文句を言う権利などないのだ。
唯一この状況を打開できるとすれば、雇い主であり支払いをするグレンだけ。
ステラは表情のなくなった顔を軽く叩いて気合いを入れると、グレンを見つめる。
「グレン様、申し訳ありません。ドレスに詳しくないので、生地の色もお任せしたのですが……こんなことに」
「こんなこと? この色に問題が?」
麗しい笑みで儚い希望を打ち砕いたグレンと共に夜会会場に到着して、しばし。
予想通りグレンには女性達の熱い視線が注がれ、その隣にいるステラには嫌悪の眼差しが向けられた。
地味な装いだとしても嫉妬されること請け合いなのに、よりにもよって瞳の色のドレスを着ているのだから、当然だろう。
ステラが勝手に作ったのだとしても、グレンがそれをエスコートしている以上は、許容されているということになる。
面倒なことにならないとは思えなかった。
「……あなた、平民なのですって?」
グレンと離れた瞬間にすかさずやってきた女性達は、あっという間にステラを囲む。
はたから見れば親し気に挨拶をかわしているのだろうが、実際のところ包囲されて動けないだけだ。
本日何回目かわからない質問に、そろそろ返答するのも飽きてきた。
大体、ステラが平民なのはわかっているはずなのに、何のために確認するのだろう。
万が一にも高貴な御令嬢だった時のための保険だろうか。
「はい、その通りです」
一応返答すると、女性達は満足そうに笑みを浮かべ、そして蔑みの視線を向けてきた。
「平民がウォルフォード伯爵のおそばにいるなんて。図々しいとは思いません?」
「大体、婚約者だなんて。きっと伯爵は騙されておいでなのよ。汚らわしい女!」
「それにそのドレスの色。厚かましいにもほどがありますわ。自分の立場をわきまえてはいかが?」
上品なドレスの御令嬢とは思えぬ文句が絶え間なく飛んでくる。
真正面から邪魔だと言えばいいのに回りくどいものだ。
しかし、契約がある以上は無関係と言えないので婚約者を演じるしかない。
さて、この場合にはどういう対応が正解なのだろう。
ステラは頭に王立図書館の司書を思い浮かべた。
無視をしても駄目、反論すると面倒臭い、正論ではかえって機嫌を損ねる……となると、やはりあれだろうか。
「こんばんは。お声がけありがとうございます。今後もよろしくお願いいたします」
司書対応で培った笑みを浮かべてそう言うと、女性達の動きが止まった。
一瞬呆けたかと思うと、みるみるうちに表情が曇っていく。
「……調子に乗っていられるのも、今のうちですわよ」
「――誰が、調子に乗っているって?」
女性のひとりが低い声で呟いた瞬間、その背後からよく通る声が響いた。
女性達が口々に弁解をする中、グレンはステラの隣に立ったかと思うと、その肩を引き寄せる。
「俺がひとめぼれした、最愛の人だ。……よろしく頼むよ、お嬢さん方」
紅玉の瞳を細めて微笑むと、女性達は不満そうにしつつも抗えないらしく、最終的には笑みを返している。
さすがは美貌の伯爵、見事に美青年は正義を体現している。
感心してグレンを見上げると、少し困ったように笑った。
「さあ、ステラ。踊ろうか」
手を引いてその場から離れるのは、恐らくダンスのためというよりも、あの女性達から離れるためだろう。
おとなしくそれに従ったステラは、ある程度距離を取ったところでグレンの手を離した。
「どうした? 別に下手でも構わないぞ?」
「いえ、やめておきます。グレン様はどなたかと踊っていらしては?」
「婚約者のお披露目なのにか?」
「……それは、失礼いたしました」
確かにひとめぼれで最愛の婚約者を放って他の女性と踊っていたのでは、グレンの評判に関わる。
ここは顧客の世間体のためにも、一曲は踊るべきなのだろう。
少し緊張しながら差し出された手を取ると、グレンの紅玉の瞳が嬉しそうに細められる。
乙女心が消えたステラから見ても、その笑顔は眩いばかりだ。
おかげで周囲からの視線は再び鋭くなった気もするが、もうどうしようもない。
面倒なことにならないといいのだが。
ステラは小さく息をつくと、グレンと共にステップを踏み始めた。
「何だ。渋っていた割には、踊れるじゃないか」
「一応は男爵令嬢でしたので。社交界デビューに向けて、練習していました」
実際にはデビューすることもなくスケベおやじに嫁いで即日未亡人になり、追い出され勘当されて平民になったので、一度もこういった場では踊ったことはなかった。
グレンのリードが上手いのだろうが、それにしても意外と体は憶えているものである。
「何年も踊っていなくても、踊れるものですね」
あの頃は、幸せだった。
父と母がいて、裕福ではなくても借金もなくて。
社交界デビューして、いつかは素敵な出会いをして結婚するのだろうと夢を見ていた。
……もう、遠い昔のことだが。
自嘲の笑みを浮かべて俯くとグレンの動きが止まり、ステラの手を引いたまま会場から出ていく。
「グレン様?」
「もうお披露目はいいだろう。帰ろうか」
いいのかどうかはわからないが、その判断をするのはグレンだ。
ステラとしてはありがたいので、促されるままに歩き、馬車に乗る。
さすがに疲れたせいで、座ると同時に深いため息が漏れた。
「……顔色が悪いな。大丈夫か?」
「はい。夜会は初めてで、ドレスも窮屈で、ちょっと疲れただけです。申し訳ありません」
「何故、謝るんだ?」
「グレン様の婚約者という役目を、十分に果たせたかどうか……」
ある程度の人数に挨拶をした以外では、女性達に絡まれたのと少し踊っただけだ。
グレンの顧客満足度としては、決して満点とはいかないだろう。
別に満点を取らなくてもいいし、本来の仕事は呪いの中和だ。
そうわかっていても、やはり引き受けた以上はしっかりと務めたかった。
「役目、か。……もう遅い時間だし、着替えた後は馬車で送らせよう」
「いえ。たいした距離ではありませんので」
「夜道を婚約者ひとりで歩かせるような男だとでも?」
なるほど、確かにそうか。
ステラの安全というよりは、グレンの世間体のために必要な措置だ。
そういうことならば、これも業務の一環と言える。
「わかりました。お言葉に甘えます」
深く頭を下げたステラは、グレンの表情が少し曇ったことには気が付かなかった。