どこまでも
 優希は立ち上がって近づき、明日美の足元へひざまずく。彼はそっとおなかへ震える手を当てた。自然に涙がこぼれ落ちる。

 それは妊娠を喜んであげる夫のものではなく、悲しみに近いもの。優希がはらむことのできない禄朗の命。

 たっぷりと奥まで注がれたが、無為に排出されてしまった命のかけらが悲しかった。誰かを必死に好きになると、人は愚かになってしまうのだろうか。

 幸せにしてあげたい、幸せになりたいと誓い合ったのに、一瞬にしてすべてを(くつがえ)(さら)って行ってしまう。常識とか、優しさとか、情とか、そういう人としての感情が嵐に巻き込まれて前も後ろもわからなくなってしまうような。

 禄朗との関係はまさにそのものだった。





 明日美の妊娠を喜べない。うらやましいとさえ感じてしまった自分の心の闇に、優希は恐ろしさを覚えた。自分はこんなに冷たく非道な人間だったのだろうか。今まで気がつかなかっただけで、弱気で人の目を気にして自信のない優希の奥に、冷酷な魔物が住んでいる。

 自分の子供を成した明日美より、禄朗との未来を手にしたい。父親として、夫として守っていかなきゃいけない常識。そんなものを捨て去ってもいいと思うくらい、禄朗に溺れていた。多分、ずっと昔から。

「そうか」

 優希はそうつぶやくと、ひそやかな涙を流し続けた。
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