蛍月夜恋夢譚
 ひと仕事を終えたある夜の帰り道。暗闇の路地から黒装束の男がふいに現れて『これから少なくとも三月は動かないほうがいい』と告げたという。

 実際その通りになった。三月ほど夜の京を警備に回る検非違使(けびいし)が増えたらしい。
 男は闇烏と名乗ったと母は言っていた。

 どうみても貴族のこの男が闇烏なのだろうかと考え込んでいると、男はくすくすと笑いだした。

「というのは伝言です」
「伝言?」

「ええ」

 男は相変わらず扇で顔を隠したまま、文を差し出した。

「牡丹と蝶の柄の衣を着た姫に、これを渡してくれと頼まれました。闇烏と言えばわかると。急ぎ伝えたいことが書いてあるそうですよ」

 文は橘の枝に結び付けられている。
 枝が橘なのは偶然なのだろうか? 闇烏は、小雀が橘家の者とわかっていてこの枝を使ったとしたら、間違いなく自分に宛てた手紙だろう。

 小雀は悩んだ。

「あの、闇烏とは、どのような方でしたか?」

「声だけで、姿を見せなかったのでよくわかりません。声のあとに、この文が残されいたもので」

 急ぎとは何なのか。気にはなるけれど、受け取ってしまえば闇烏などいう訳のわからない男との関係を疑われそうで怖い。

「私で間違いないのですか?」
「ええ、この宿坊にその柄の着物の姫は他にいませんし」

「ですが……」
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