マリアージュ・キス
思い出したことがある。
かなり前のことだけど、相楽と私が社内で付き合ってるんじゃないかという信憑性の低い噂が一時期流れたことがある。
今思うと、それは私たちがよく二人で飲みに行ったりしていたのを目撃されていたからだ。
隠す必要もないほど、やましいこともなくただの仲のいい同期。
それがいつからか誘われなくなったのは、彼なりに私に彼氏がいるという事実に対しての配慮だったのかもしれない。
そう思うと、相楽はとても常識人で忍耐強く、そして、優しい。
日頃の仕事ぶりを見ていても、伝わる彼の性格。
いいところを見せなくちゃって頑張らなくても、今日はこんなことがあってへこんだって話しても、いや、そんなことを話さなくても察してくれそうな気がした。
「相性はいいと思うよ、俺たち」
わりと自信満々に笑う彼を見て、思わず私の頬も緩んだ。
「相性って、そんなすぐ分かるもの?」
「分かるでしょ」
相楽は着ていたジャケットを脱いで腕にかけると、私を連れて自販機に向かう。
どれを飲む?と指さすので、レモンティーにした。
彼はブラックの無糖缶コーヒー。
自販機から出てきたそれらを屈んで取り出した瞬間、相楽のジャケットが私の顔に覆いかぶさった。
なにがなんだか分からないうちに、耳元で囁かれる。
「嫌なら今のうち」
背中を抱き寄せられて、ああキスされるのか、と悟る。
でも、本当に不思議だけど、まったく嫌ではなかった。
サッと触れるようなキスをされて、ジャケットはあっという間に解かれた。
「なんだ、突き飛ばされるかビンタされるか、覚悟してたのに」
なぜか不満げな相楽から目が離せないまま、私は買ってもらったばかりのレモンティーと缶コーヒーをするりと手から離してしまい、見事にコンクリートにぶちまけた。
「あっ!!!!!」
青ざめてオロオロしていると、彼が大きな口を開けて笑った。
「ちゃんと動揺してるじゃん」
「不意打ちはひどいよ!」
「事前予告はしたつもりなんだけどなあ…」
ぺろりと舌を出した相楽は妙に色っぽかった。
会社ではまったく見せたことのない顔だ。
年甲斐もなく顔がほてり、ドキドキしてしまった。不覚だ。
いや…これは不覚でもなんでもないのでは?
はたと気づく自分の妙な感情に、もやっとした暗雲が立ちこめる。
すぐに分かった。恋愛に対して、たぶん、ちょっと不安感があるのだ。
なんとも言えない表情をしているであろう私に、落としてしまった缶コーヒーとレモンティーをなんてことない顔でゴミ箱に入れ、まったく同じものを購入した相楽が、それらを両手でポンポンお手玉のようにして遊び出した。
「俺はね、逢坂みたいに、“出会った時から決めてました”なんてかっこいいことは言えないんだけど」
片方のレモンティーを私にポンと投げてよこした。
「ずーっとそばで仕事してきたぶん、大原のちょっとした心の機微は…他のやつより少しはくみ取れる…と思う。支えるよ。大切にする、誰よりも」
レモンティーのパッケージに、ぽたりと何かが落ちた。
「あれ…」
涙だ。
相楽はすぐさま周りから私が見えないように身体を前にして微笑んでくれた。
「明確に弱みなんて見せなくても別にいいよ。なんとなく、俺に甘えてくれたらそれで」
ガバッと勢いよく、もう半分無意識に相楽の胸に飛び込んでいた。
自分でも、「なにこれ、なにこれ」を繰り返す。
もはや自分じゃないみたい。
「自惚れちゃってもいいのかな」
「自惚れちゃって、いいです。たぶん、ううん、私も…好き」
「急展開だね」
「相楽が他の誰かと付き合うのは嫌だって、直感で思っちゃったんだもん。仕方ない」
「相性いいね、俺たち」
抱き合ったまま、薄暗い曇り空の隙間から見える星たちを見上げた。
今宵も曖昧な光で私たちを照らしてる。
マリアージュキスは、それよりももっと私たちを強烈に照らした。
おしまい。
かなり前のことだけど、相楽と私が社内で付き合ってるんじゃないかという信憑性の低い噂が一時期流れたことがある。
今思うと、それは私たちがよく二人で飲みに行ったりしていたのを目撃されていたからだ。
隠す必要もないほど、やましいこともなくただの仲のいい同期。
それがいつからか誘われなくなったのは、彼なりに私に彼氏がいるという事実に対しての配慮だったのかもしれない。
そう思うと、相楽はとても常識人で忍耐強く、そして、優しい。
日頃の仕事ぶりを見ていても、伝わる彼の性格。
いいところを見せなくちゃって頑張らなくても、今日はこんなことがあってへこんだって話しても、いや、そんなことを話さなくても察してくれそうな気がした。
「相性はいいと思うよ、俺たち」
わりと自信満々に笑う彼を見て、思わず私の頬も緩んだ。
「相性って、そんなすぐ分かるもの?」
「分かるでしょ」
相楽は着ていたジャケットを脱いで腕にかけると、私を連れて自販機に向かう。
どれを飲む?と指さすので、レモンティーにした。
彼はブラックの無糖缶コーヒー。
自販機から出てきたそれらを屈んで取り出した瞬間、相楽のジャケットが私の顔に覆いかぶさった。
なにがなんだか分からないうちに、耳元で囁かれる。
「嫌なら今のうち」
背中を抱き寄せられて、ああキスされるのか、と悟る。
でも、本当に不思議だけど、まったく嫌ではなかった。
サッと触れるようなキスをされて、ジャケットはあっという間に解かれた。
「なんだ、突き飛ばされるかビンタされるか、覚悟してたのに」
なぜか不満げな相楽から目が離せないまま、私は買ってもらったばかりのレモンティーと缶コーヒーをするりと手から離してしまい、見事にコンクリートにぶちまけた。
「あっ!!!!!」
青ざめてオロオロしていると、彼が大きな口を開けて笑った。
「ちゃんと動揺してるじゃん」
「不意打ちはひどいよ!」
「事前予告はしたつもりなんだけどなあ…」
ぺろりと舌を出した相楽は妙に色っぽかった。
会社ではまったく見せたことのない顔だ。
年甲斐もなく顔がほてり、ドキドキしてしまった。不覚だ。
いや…これは不覚でもなんでもないのでは?
はたと気づく自分の妙な感情に、もやっとした暗雲が立ちこめる。
すぐに分かった。恋愛に対して、たぶん、ちょっと不安感があるのだ。
なんとも言えない表情をしているであろう私に、落としてしまった缶コーヒーとレモンティーをなんてことない顔でゴミ箱に入れ、まったく同じものを購入した相楽が、それらを両手でポンポンお手玉のようにして遊び出した。
「俺はね、逢坂みたいに、“出会った時から決めてました”なんてかっこいいことは言えないんだけど」
片方のレモンティーを私にポンと投げてよこした。
「ずーっとそばで仕事してきたぶん、大原のちょっとした心の機微は…他のやつより少しはくみ取れる…と思う。支えるよ。大切にする、誰よりも」
レモンティーのパッケージに、ぽたりと何かが落ちた。
「あれ…」
涙だ。
相楽はすぐさま周りから私が見えないように身体を前にして微笑んでくれた。
「明確に弱みなんて見せなくても別にいいよ。なんとなく、俺に甘えてくれたらそれで」
ガバッと勢いよく、もう半分無意識に相楽の胸に飛び込んでいた。
自分でも、「なにこれ、なにこれ」を繰り返す。
もはや自分じゃないみたい。
「自惚れちゃってもいいのかな」
「自惚れちゃって、いいです。たぶん、ううん、私も…好き」
「急展開だね」
「相楽が他の誰かと付き合うのは嫌だって、直感で思っちゃったんだもん。仕方ない」
「相性いいね、俺たち」
抱き合ったまま、薄暗い曇り空の隙間から見える星たちを見上げた。
今宵も曖昧な光で私たちを照らしてる。
マリアージュキスは、それよりももっと私たちを強烈に照らした。
おしまい。