マリアージュ・キス
忘れ物よ、ありがとう
そもそも私はこの逢坂くんに、今の今まで「来海さん」などと呼ばれたことは一度もない。彼が入社してきて、教育係を担当してからずっと「大原さん」と私を呼び続けてきたはずだ。
なにがどうしてそうなったのかは知らないが、あたかも前からそう呼んでいるように当たり前に「来海さん」と呼んだ。
そこでハッと気づく。
あぁ、これは私の夢かもしれない…と。
仕事で疲れすぎて、きっともう耳とか目とかやられていて、幻覚幻聴が私を惑わせているのだ。
そうでなければ納得しがたいほどの急展開である。
漫画やアニメで昔よく見たことのある、夢かどうかを確認する方法。もちろん二十九年の人生で試したことなどないが、躊躇いなく自分の右頬を力いっぱいつねってみた。
「―――――あれ?」
どうしたことか。状況は何も変わらない。
目の前に、逢坂くんが変わらずにぷるぷると震えた手で指輪を掲げている。
「どうなってんの、これ…」
思わず声が漏れる。
持てる限りの力でつねった右頬がものすごく痛い。それだけは事実として残ってしまった。
「あ、あの…」
言いかけると、逢坂くんが鼓膜が破れるかと思うほどの大声で「はいっ!」と返事をする。
「ちょっと確認してもいいかな」
「もちろんです!」
「結婚を申し込む相手、間違えてるよね?」
しん…と部屋が静まる。
文字通り目が点になった逢坂くんに、私はほらねと両手を広げる。
「ちゃんと見えてる!?大原だよ!大原来海!新規開拓事業部営業課の大原来海!」
「ちゃんと見えてます!間違えてません!僕がプロポーズしたのは新規開拓事業部営業課の大原来海さんです!」
呆然とする私に、今度はこちらからと言わんばかりに逢坂くんが力強く立ち上がった。
「入社して一目見た時から僕はこの人だと思ったんです!そして来海さんと結婚することだけを考えて生きてきたんです!なんでこのタイミングでプロポーズしたのかって?そんなの決まってるじゃないですか!」
誰も聞いていないのに彼は自らしゃべり続け、そして素早く私の両手を握った。
「ひぃっ」という小さな私の悲鳴は彼の耳には届いてなどいないだろう。
「今日は…あなたに出会ってちょうど三年目なんです」
「逢坂くん、いったん落ち着いて」
「僕は落ち着いてます!」
私の手を握る力がいっそう強まる。
もはやただただ怖い。
なにがどうしてそうなったのかは知らないが、あたかも前からそう呼んでいるように当たり前に「来海さん」と呼んだ。
そこでハッと気づく。
あぁ、これは私の夢かもしれない…と。
仕事で疲れすぎて、きっともう耳とか目とかやられていて、幻覚幻聴が私を惑わせているのだ。
そうでなければ納得しがたいほどの急展開である。
漫画やアニメで昔よく見たことのある、夢かどうかを確認する方法。もちろん二十九年の人生で試したことなどないが、躊躇いなく自分の右頬を力いっぱいつねってみた。
「―――――あれ?」
どうしたことか。状況は何も変わらない。
目の前に、逢坂くんが変わらずにぷるぷると震えた手で指輪を掲げている。
「どうなってんの、これ…」
思わず声が漏れる。
持てる限りの力でつねった右頬がものすごく痛い。それだけは事実として残ってしまった。
「あ、あの…」
言いかけると、逢坂くんが鼓膜が破れるかと思うほどの大声で「はいっ!」と返事をする。
「ちょっと確認してもいいかな」
「もちろんです!」
「結婚を申し込む相手、間違えてるよね?」
しん…と部屋が静まる。
文字通り目が点になった逢坂くんに、私はほらねと両手を広げる。
「ちゃんと見えてる!?大原だよ!大原来海!新規開拓事業部営業課の大原来海!」
「ちゃんと見えてます!間違えてません!僕がプロポーズしたのは新規開拓事業部営業課の大原来海さんです!」
呆然とする私に、今度はこちらからと言わんばかりに逢坂くんが力強く立ち上がった。
「入社して一目見た時から僕はこの人だと思ったんです!そして来海さんと結婚することだけを考えて生きてきたんです!なんでこのタイミングでプロポーズしたのかって?そんなの決まってるじゃないですか!」
誰も聞いていないのに彼は自らしゃべり続け、そして素早く私の両手を握った。
「ひぃっ」という小さな私の悲鳴は彼の耳には届いてなどいないだろう。
「今日は…あなたに出会ってちょうど三年目なんです」
「逢坂くん、いったん落ち着いて」
「僕は落ち着いてます!」
私の手を握る力がいっそう強まる。
もはやただただ怖い。