何にもなれない今日だから
 

 アオが止まる。

 一瞬、よそを見ていた瞳が明らかに揺れたのに、それでもなんでもないみたいに私を見て、それで、それから、笑っている。

 いつもみたいな、やさしい笑みで。




 十五年前、この煙草屋にある一家の車が突っ込んだ。

 それは派手にアクセルとブレーキを間違えた父親のミステイクで、今じゃ事故の名残の欠片もなく店は復活しているけれど、その日いつもいた店主の代わりに、番台代行をしていた大学生の孫が犠牲になった。

 大学生。可能性に満ちた未来ある、まだ青い。



 青山聡介という青年が。



 父と母は即死だった。それじゃあ、あの時頻りに泣き喚く私にずっと声をかけたのは。

 大丈夫、と血だらけになりながら声をかけ続けたのは。


「呪ってやろうと思ったんだ」

「…」
「はじめてあんたのこと見たときさ。
 …ほんとは夢があったんだ。叶えるつもりだった。叶えない理由なんてないとずっと思ってきた。それなのに突然損なわれて、それから十五年もここに縛られて。あんたがここに来たのは奇跡的、やったラッキー、復讐の始まりだ、って追い詰めてやろうと思ってたのに。一眼見て削がれたよ、おれより死んだみたいな目してんだもん」



 だから見届けたくなったのは単なるおれの気まぐれ、と顔を傾けるアオを前に全てがパズルのピースみたいに埋まっていく。

 触れても熱のない冷たい手。
 初夏なのに暑苦しい長袖。

 ここから動けないと言った理由。




 それでも、私の手を取ったんだ。確かにこの手が掴んだんだ。

 もうここにいない、存在を。



「…あの時さあ」

「…」
「自分なりに思ったよ。あー神様、なんで俺がこんな目にって。
 どうしてくれんだ世界、まだまだ俺の人生これからなのに、どう責任取ってくれんだクソ野郎、って」

「アオ」

「でもさちゃんと良心も生きてた。どうか、神様どうかこの子だけは生かしてやってくださいって。お前、すっげー泣くんだもん。痛てーし死にかけで泣きたいのはこっちなのにさ」


 遠くを見ながら笑っている。それは昔の記憶を手繰り寄せたアオ、青山聡介で。おいで、と促されて一歩前に出たらぽん、と頭に手が乗った。

 あの日と同じ、冷たくてあたたかい手のひらだった。


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