託宣が下りました。
 何事かとわたくしが周囲を見渡すと、猫が一匹のんびりと前庭を歩いて行くところでした。最近修道院に居着いてしまった猫で、みんなが餌をやるためとても人なつっこいのです。

「カイ様、大丈夫です。あの猫は恐くありませんよ」
「わ、わかっているんですが……ヒイッ!」

 にゃー、と猫が一声鳴くと、カイ様は木の幹にしがみつきました。カイ様の動きで木ががさがさと揺れます。どちらかというと猫より木の揺れかたのほうが恐いです。

「ねねねねこここここ恐いですううううう」
「大丈夫です。何かあってもわたくしがいますから。ね」
「あああああうううううう」
「……」

 言葉で励ましても効果がなさそう。わたくしは少し考えてから、猫のほうを動かすことにしました。

 逃げ出さないよう抱き上げ、前庭のずっと向こうのほう――とりあえずカイ様の視界に入らないところ――まで移動させひとりで戻ってくると、カイ様はまだ半泣きでした。

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
「いいんですよ」

 わたくしは笑って、気の小さな魔術師様に言いました。

 カイ様は人間や猫だけではなく、動く生き物全般が苦手なのだそうです。自分の力で動くものがとにかく恐いとか。

 それなのによく勇者様一行として働けたものだと思いますが、魔物が動くことに対する恐怖が、彼の魔術の威力をアップさせるのだそうです。

 彼は幼いころから、恐がりだと周囲に笑われたり怒られたりしてきたとか。魔術師として頭角を現してからは、さすがにそういった声も減ったようですが……ゼロになったわけでもありません。

 でも、理由なく何かが恐いというのは、わたくしにもあります。だから少なくともわたくしは、カイ様を情けないだなんて思いません。

「恐いときはいいですよ。でも触ってみたくなったら言ってくださいね。とても気持ちがいいですよ、猫を撫でるのは」
「……はい……」

 こくこくとカイ様は長い前髪を揺らしてうなずきます。そんなところもかわいいと思います。

 元はと言えば、町中でカイ様が犬に吠えられていたところを助けてあげただけの縁。けれどカイ様はそれ以来、暇があればわたくしを訪ねてきてくれます。

 声変わりのしていない声で「お姉さん」と呼ばれるのは、弟のいないわたくしには少し楽しい経験です。
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