託宣が下りました。
「ふん」

 しかし騎士は片腕で軽く伯爵の動きをいなしました。
 同時に腰の剣を抜き放ち、伯爵の体を打ち据えます。伯爵が廊下に崩れ落ちるまで、あっという間の出来事……

 低く、独り言のように騎士はつぶやきました。その程度で――

「……その程度で俺に勝てると思うな」

 伯爵は悶絶して廊下を転がります。シェーラがもう一度悲鳴を上げて立ち上がり、部屋を飛び出しました。わたくしは慌てて後を追いました。伯爵はいったい――。

「お、お父様。お父様!」

 シェーラは駆け寄ろうとして立ちすくんでいました。悶絶している伯爵の動きに合わせて、長い爪があちこちに跳ねます。

 騎士が一歩進み出ました。

「爪か」

 そう言い、暴れる爪を踏みつけて、そのまま剣で爪を切り落とし始め――。

 バキン! バキン! バキン……ッ!

 それはあまりにも異様な光景でした。シェーラもわたくしも呼吸を忘れるほど緊張したまま、何もできませんでした。

 やがて――十本目の爪が切り落とされたとたん、伯爵の体が大きく跳ね上がり、

 グオオオォォォォォ!

 まるで断末魔の叫びのように伯爵の口から獣の咆哮が飛び出しました。
 やがてそれは尻すぼみになり、空気に消えていきます。
 廊下に散らばっていた爪が煙となって消えました。そしてすべての獣の気配がなくなり――

「う……」

 伯爵が身じろぎしました。
 体を幾度かけいれんさせたあと、ゆっくりと瞼が上がります。

「……な、んだ……?」
「お父様!」
 シェーラは今度こそお父上に駆け寄り、その体を抱き起こしました。「お父様、しっかり!」
「シェーラ? なぜここにいるんだ?」

 頭痛がしているのか頭に手をやっているブルックリン伯爵は、訝しそうにシェーラを見ました。

「なぜって……覚えていないの?」
「覚えて? 何をだ?」

 ますます眉間にしわを寄せて、ブルックリン伯爵は考え込むしぐさをしました。けれどすぐにつらそうに顔をしかめます。

「今は深く考えずに休んだほうがいいぞ。魔物に体を乗っ取られて平気だったやつはいない」

 騎士が軽い口調で言いました。
 伯爵は騎士を見上げ、驚きに目を見張ったようでした。

「ヴァイス殿……!? 今、何と? 私が魔物に?」
「その通り」
「……ああ、そうか。何か……うっすら覚えている気がする」
< 69 / 485 >

この作品をシェア

pagetop