我が町のヒーローは、オレンジでネイビーで時々グレー
ぽちゃん……
温かな湯船に身を沈めると、心が幾分落ち着いた。

これからどうしよう、これから何しよう……。

新たに生まれた不安と園長の優しさに触れて、胸の中で思いがない交ぜになって、また目頭が熱くなる。

怖い、怖い、怖い。
助けて、助けて、助けて。

よみがえる、幼い頃の恐怖。
それは、私が生きてきた証なのに。

燃え盛る炎の中、唯一射した希望の光。
二度も助けられた、オレンジ色の腕。

「うう……」

少しの声も風呂場では大きくこだます。
だから、声を押し殺して泣くことしかできない。

──どのくらいそうしていただろう。
手足がしわしわになって、からだの水分もおおよそ奪われていった頃。

ガラガラ。

脱衣場の引き戸が開く音がした。

私、人様の家でなんて長風呂を!

「ごめんなさい! 今出ますね!」

慌てて湯船から飛び出し、脱衣場に続く扉を少し開いて、足元に置いていたタオルに手を伸ばした。

「今出るなって!」

聞こえたのは、野太い男性の声。
……男性の、声?

おそるおそる顔をあげる。

湯気の間から覗いたのは、広く逞しい背中。


……広く、逞しい、背中。


………


「キャーーーーー!!!」

バタン!

慌てて扉を閉めると、私は手にしていたタオルを胸に抱き締めた。

誰? 誰? 誰?
聞いてない、聞いてない、聞いてない!

「俺の名誉のために言っておく。何も見てないからな!」

先程と同じ声が聞こえて、ガラガラと引き戸の閉まる音がした。
どうやら、“彼”は出ていったらしい。

おそるおそる扉を開ければ、なるほどもうそこには誰もいない。
ほう、と安堵の息をつき、さっと体を拭くと、園長が用意してくれたピンクの花柄のパジャマに身を包んだ。



風呂から上がると、先程の居間の座卓は立てられていて、代わりに布団が一組敷いてあった。
布団の上には、手書きのメモが置いてある。

 紅音先生へ
 先に寝ますね。
 この布団使ってね。
 明日の仕事はお休みにしたので、
 一日ゆっくりしてください。
 おやすみなさい。

「園長……」

彼女の優しさが胸に沁みる。
止まったはずの涙がまた溢れてきそうで、私はそれをごまかすように慌てて布団に潜り込んだ。

それでも、鼻の奥がツンとした。
ぐっと唇を噛めば、体がどんどん強ばっていく。
時折家の前を通る車の音がする以外には、何も聞こえない。

「うう……」

溢れたむせび泣く声が、静寂の中奇妙に響く。

ああ、嫌だ。
こんなの……嫌だ。

「……起こしちまったか?」

不意に男性の声がして、ピクリと体が震えた。

「わりい。すぐ済むから」

彼の気配が遠ざかって、私はおそるおそる顔を布団から覗かせた。
声の主は、仏壇の前で手を合わせている。

Tシャツ越しでも大きな逞しい背中は、おそらく先程の彼と同一人物だ。

しばらくしてから視線に気づいたらしい彼は、こちらに向かって歩いてくる。思わず布団を頭に被ると、クックッと喉を鳴らす音が聞こえる。

「……何もかも失った女に手出すほど、飢えてねーから」

布団越しに彼の纏う優しい空気を感じて、少しだけ頭を出した。
あれ、この人どこかで……。

「……お会いしたこと、あります?」
「さっき会ったばっかだろ」
「お、お、お風呂で、じゃなくてですね!」

体温が急上昇していく。
彼はクックッと喉を鳴らして笑った。

「分かってんよ、そんなこと。お前、あれだろ? 不死身女」
「え……?」
「貴重品は手にしてたのに、最後取り乱して過呼吸だもんな。しっかりしてんのか、そうじゃないのか。ま、ヤケドひとつない丈夫な身体は褒めてやる」

思い出す、逞しい腕。
彼、もしかして……。

「消防士さん?」
「今さら。ま、防護服にマスクしてたから分かんねーか」

ああ、そうか、どうりで鍛えられているわけだ。

身を起こし、布団の上に正座した。
彼はそんな私の前に立ったまま、キョトンとしていた。

「その節は、どうもお世話に……」

頭を下げようとすると、文字通り手で制された。大きな手が、頭をがしっと掴んだのだ。

「そういうの、いい。仕事だから」

そう言うと彼は私の頭から手を離す。

「起こして悪かったな、おやすみさん」

そう言って彼は、居間から出ていってしまった。
< 3 / 24 >

この作品をシェア

pagetop