硝子の琴
「すまぬ。痛かったろう」

 娘はすうと微笑む。

「わたくしは痛みなど感じませぬ、あなたさま」

 男は狂おしいほどの感情をのせた視線で、娘を愛撫するように見る。娘のまとう白い布を透かし、愛する者の全てを見る。
 頬を包み込んだ両手を離さぬまま。

 愛おしさに震える指先はやがて、娘の唇に触れる。花開く前のつぼみのように初々しいその場所。
 顔を近づける。娘は動かぬ。嫌がる気配も逃げる気配も微塵もない。

 けれど、その瞼を下ろすこともない。
 波紋の生まれぬ湖面のような眼差しを、男に向けたまま。

 唇をかすめる直前に、男は止まった。

 切なげな溜息を残し、体を離す。名残惜し気に娘の顔から両手を下ろしながら、

 なぜだ、と一言の呟き。

 その問いに答える言葉はない。代わりに、(けが)れを知らぬ娘の唇は夜露の響きを紡ぎ出す。

「わたくしはあなたさまのものにはなりませぬ。けれどあなたさまをけして恨みませぬ。わたくしも、わたくしの先代たちも、みな……この世が果てようとも、あなたさまだけを想いまする」

 男は娘の紅眼を覗き込む。
 その顔が、微苦笑に揺れた。

「残酷なことだ」

 娘はとろりと艶やかに微笑う。

「あなたさまの生み出したわたくしたちですゆえ」 
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