意地悪な副社長との素直な恋の始め方
「朔哉も写真、好きなの?」
「写真に限らず、絵画や書、銅像や映画、視覚を刺激するものを見るのが好きだ。その反面、音楽にはあまり興味がない」
「ふうん?」
「幼い頃、欧州を連れ回されて、美術館や博物館巡りをさせられた影響だろうな」
本物を見せるために海外へ連れて行くとか、さすがセレブはちがう。
「そんなに好きなら、そっちの道に進もうとは思わなかったの?」
「母親は、たぶんそう思っていたんだろうが、芸術系の才能は皆無だったから、理系に進んだんだ」
「そう言えば……朔哉のお母さんって、いま……どうしてるの?」
夕城社長と朔哉の母親が離婚したのは、朔哉がまだ幼い頃だったと聞いている。ずいぶん昔の話だが、亡くなったと聞いた覚えはない。
「やりたいことをやって、生きたいように生きて、元気にしている」
「朔哉と似てる?」
「そうだな。オヤジより、母親に似ていると自分でも思う」
「じゃあ、美人なんだね」
「美人……かどうかは、見る人に依るだろうが、こんなデカイ息子がいるようには見えないな」
「よく会ってるの?」
「年に何度かは。仕事でも、多少かかわりがあるしな」
「仕事?」
「いわゆる芸術関係の仕事をしているんだ」
「芸術関係……」
会ってみたい、と思ったけれど、親子の仲がどんな風なのかわからないのに、気軽には言えない。
そんなわたしの気持ちを感じ取ったのか、朔哉は気乗りしない様子ではあるものの、近々会う機会を設けると言った。
「気まぐれな人だから、振り回されると覚悟しておけ。むこうも仕事の都合があるからな。とりあえず、来月のどこかで都合をつけられるか確認しておく」
「うん。その……急がなくて、いいから」
毎年、六月までは、忙しい日々が続くことはわかっている。
婚約を公表しているわけでもなく、具体的に結婚の話が進んでいるわけでもない。無理をしてまで、急ぐ理由はなかった。
都心を離れ、ベッドタウンを通り過ぎればぐっと交通量が少なくなる。
人工物よりも緑が多くなり始めてしばらくすると、視界が開け、青い海に行き当たった。
陽光に輝く海面を見ただけで、テンションが上がる。
「ねっ、窓開けてもいい?」
「ああ。気になる場所があったら止めるから、言え」
ほどなくして、海へ下る道を見つけた朔哉がハンドルを切り、十分ほど走っただろうか。
やがて、素っ気なく、荒々しく、それが清々しくさえ感じられるほど、海と岩、そしてその上に広がる空しかない空間へ辿り着いた。
日曜日で漁は休みなのか、小ぢんまりした漁港に人影はなく、作りもののように身じろぎもしないカモメが一羽、岩の上で佇んでいるだけだ。
浅瀬の海は透明に透き通り、光の加減によってはエメラルドブルーにも見える。
「あの、朔哉……」
「好きなだけ撮ってくればいい。レストランの予約時間まで、十分余裕はある」
「たぶん、一時間くらいで気が済むと思うから!」
寛大な朔哉の言葉に甘え、さっそくカモメの姿を一枚撮る。
その後、埠頭を歩き回って、カメラとスマホの両方で海や岩場を撮影し、三十六枚撮りのフィルムを二本使いきったところで、一時間以上経っていることに気がついた。