意地悪な副社長との素直な恋の始め方
「許せない、というのとは、ちょっとちがうわね。信頼できない、と言った方が近いかしら。愛していなくても、せめて誠実でいてほしかった。ただ……わたしを母親にしてくれたことには、感謝している」
月子さんは清々しい笑みを浮かべ、言い切った。
「わたしはいい母親にもいい妻にもなれなかったけれど、朔哉を産んで、後悔したことは一度もないわ」
凛とした横顔は、美しかった。
それは、大勢のファンを魅了する「女優」の美しさではなく、いろんなことを乗り越えてきた「ひとりの女性」としての美しさだった。
その美しさは、何もかもを呑み込んで、それでもなおまっすぐにあろうとする姿勢から来るのだと思った。
華やかな経歴、巧みな演技、美貌――そんな「女優」の仮面を剥ぎ取った彼女を撮りたいと思った。
自分でも驚くほどの強い欲求が湧き起こる。
――『新井 月子』という、ひとりの女性を撮ってみたい。
「長い昔話だったでしょ?」
くすりと笑った月子さんは、無邪気な少女のようでいて、憂いを帯びたまなざしには色香が漂う。
その魅力に、クラクラする。
「いえ……あの、話してくださって、ありがとうございます。きっと、朔哉も夕城社長も訊いたところで、教えてはくれなかったと思うので……」
「あの二人は、言うべきことを言わず、言わなくてもいいことを言いがちね。モテるくせに、ううん、モテすぎるせいね。女心をちっともわかろうとしない。イケメンほど、女性の扱いをわかっていないと思うわ」
「……ですね」
頷き合い、二人並んで「コ、コ、コ」とリズミカルに鳴くニワトリの声を聞きながら、甘いプリンとほろ苦いカラメルソースを一緒に味わう。
心地よい風に衝動を煽られながら、黙々とプリンを食べていると、独り言のような呟きが聞こえた。
「最近、年を取ったせいなのか、時々無性にお節介したくなるのよね」
「……お節介、ですか?」
「ええ。劣等感に苛まれ、自分で自分をダメにしていた、あの頃のわたしに言ってあげたくなるの。わたしは、わたし。他の誰にもなれないし、ならなくていい。自分が一番輝ける場所で生きていけばいい。それが、いつか自信となって自分を支えてくれる。だから、いまの自分にないものばかりを数えなくてもいい。いまの自分が持っているものを大事にしなさい。そう言ってあげたいと思うのよ」
優しい笑みが、労わるようなまなざしが、本当に彼女が伝えたかった相手は、過去の自分ではないのだと教えていた。
今日、月子さんがわたしをデートに誘い出し、辛い過去も包み隠さず話してくれたのは、そのお節介のためだった。
熱い塊が喉を塞ぎ、苦しさと胸の痛みで涙が滲む。
月子さんは、みっともなく鼻を啜りながらプリンを食べるわたしを黙って待っていてくれた。
甘く、ほろ苦いプリンを食べ終えて、丸々と太ったニワトリたちを撮るついでに、「すっぴんなのに!」と唇を尖らせる月子さんも、一枚撮らせてもらった。
店内に戻ってどちらがお代を払うかでひと揉めしたものの、月子さんに押し切られ。
穏やかで平和な時間とずっしりとした美味しそうなパウンドケーキを受け取って、わたしたちは小さな楽園をあとにした。