意地悪な副社長との素直な恋の始め方
わたしが止める間もなく、月子さんはマネージャーの彼に、わたしの手から奪ったキャリーケースを押し付けた。
「いや、でも、もうすぐ撮影が始まります」
「演技をするのはわたし。マネージャーは撮影中、やることないでしょ? 大至急、お願いね。あ、ついでにスタッフへの差し入れも買って来てくれるかしら?」
「…………」
にっこり微笑む美しすぎる月子さんに、逆らえる人間がいるとは思えない。
抜群の演技力で、いかにも遠慮しているように見えて、実際は自分の要求を押し通す。
まちがいなく朔哉の母親だと思った。
そんな彼女をよく知るマネージャーは、逆らうだけ無駄とわかっているのだろう。「わかりました」と呟いて立ち去った。
「それから、一くん。ちょうどいいところにいてくれたわ。偲月さんとは同じ会社だし、顔見知り……なのよね? わたし、これから本番に入るから、彼女に撮影のアレコレを教えてあげてくれる?」
「それはかまいませんけど……偲月と月子さんって、どういう関係なんですか?」
流星の当然とも言える問いに、月子さんは長いまつげをはためかせ、驚きをあらわにする。
「あら。監督から聞いてなかったの? ハジメくんがお勤めの会社の社長……夕城はわたしの元夫で、副社長の朔哉はわたしの息子なの。偲月さんは、夕城の再婚相手の娘さんでね。その人とわたしは面識もあって……説明すると長くなるんだけど、大雑把に言えば『家族』同然ってところね」
「は? 朔哉が月子さんの息子? 冗談でしょう? あんなデカイ息子がいるわけ……しかも、偲月と元兄妹? 嘘だろ……」
「冗談なんかじゃないし、嘘でもないわよね? 偲月さん」
「は、はい」
「…………」
絶句する流星に、月子さんはくすりと笑う。
「やぁねぇ、いったいわたしをいくつだと思っていたの? 流星監督と同い年なんだから、朔哉くらいの年齢の息子がいても、ちっとも不思議じゃないわよ?」
「はは、ですね……」
「偲月さん、今日のわたしの撮影はワンシーンだけなんだけど、長回しでね。途中でトラブルやミスがあれば、最初から撮り直しになるから、時間が掛かってしまうかもしれないわ。ただし、上手くいけば逆に一発で終わる。もちろん、そのつもりで頑張るから、ちょっと待っててね? それじゃハジメくん、偲月さんをお願いね?」
「了解です」