意地悪な副社長との素直な恋の始め方
昨日、自分では完璧に荷造りしたつもりだったが、相当動揺していたのだろう。
朔哉に買ってもらったスーツは、全部置いてきてしまっていた。
シゲオのところに置きっぱなしになっている荷物を引き取れば何とかなったのだけれど、彼のアパートに立ち寄る時間はすでにない。
いま手元にあるのは、おしゃれダメージではなく、穿き潰した結果膝がすり切れたジーンズに、襟がのびのびのTシャツ。そんな恰好で出社すれば、いくら女子社員に甘い部長でも、即刻帰れと言うだろう。
「偲月さん、着替え終わった? ここから駅までの道がわからないだろうと思って、お迎えを頼んだのだけれど、そろそろ……あら、どうしたの?」
身支度に時間が掛かり過ぎていると思ったのか、月子さんが戸口から顔を覗かせ、ゆるゆるスウェット姿のままのわたしを見て首を傾げる。
「スーツを、荷物に入れ忘れて……」
「あら、大変」
目を丸くした月子さんは、しかしすぐに破顔した。
「わたしのスーツでよければ、貸すわよ? わたしたち、そんなに体型が変わらないから、みっともないことにはならないと思うわ」
「す、すみません……」
おんぶにだっこ状態で非常に恐縮ではあるが、背に腹は代えられない。
ありがたく、厚意に甘えることにした、のだが……。
「これ、偲月さんに似合いそう。ジャケットの絶妙なライン、ステキじゃない? シャ〇〇の最新作よ。あ、これも似合いそうね。アレキサンダーXXXXXXもいいわねぇ。XXXX ロンドンも……うーん、迷うわねぇ」
月子さんが次々とクローゼットから取り出すスーツのブランド名に、気が遠くなりかけた。
(〇〇ネル? XXXX ロンドン? アレキサンダーXXXXXX……こ、これにカレーなんかこぼした日には……きょ、今日のランチはコンビニのおにぎり。飲み物は水一択だわ。それに、資料室の整理とか、無理。全力で断る。社長命令でも、断る)
「靴のサイズは? あら、一緒なのね。よかった! じゃあ、これとか……こっちでもいいし……」
ずらりと並べられたパンプスもまた、高級ブランド。
水たまりをはじめ、靴にダメージを与えそうなシチュエーションは全力で避けようと心に誓う。
「偲月さん、スーツがほんと似合うわね」
「ありがとうございます……」
いまだかつてない総額で出来上がった自分の姿を鏡に映し、そこそこ似合っているのだけが救いだと思った。