意地悪な副社長との素直な恋の始め方
なぜ、月子さんが昨夜の一件を知っているのだろうか。
(サヤちゃん、シゲオに続き、月子さんまで独自の情報網を持っているの……? 月子さんの場合、MI6のエージェントというよりはXXXガールの方が適役だと思うけれど……)
怪しむわたしに、月子さんはくすりと笑う。
「偲月さん、百面相してるわよ? 別に、手品でも何でもないわ。夕城が電話してきたのよ」
「夕城社長が……?」
「ええ。どうして、偲月さんがわたしのところにいるのだとか、偲月さんは朔哉に愛想を尽かしたのかとか、なんで久しぶりに映画に出演するのを教えてくれなかったのだとか……。それはもう、しつこくて。撮影中だから、あとで架け直すと言っても納得してくれないものだから、来週予定していた食事の約束を無理やり前倒しして、何とか電話を切ったわ」
うんざりした表情ではあるけれど、激怒してはいない月子さんの様子に、ホッとした。
わたしと朔哉のせいで、彼女と夕城社長の関係が悪化してほしくない。
「わたしのせいで、迷惑をかけてすみません……。食事の帰りに、イタリアンレストランから出て来た夕城社長と芽依……朔哉に、偶然行き合ってしまって。それで、いま、わたしが朔哉の家にいないとバレてしまって」
「そうみたいね。ハジメくんから、朔哉にお灸をすえてやるのに、わざとバラしたって聞いたわ」
「え、」
「ちょっとやり過ぎたかもしれないからって、報告してくれたの。あの子、ハジメくんに言われっぱなしだったそうね?」
月子さんは、頬をふと緩め、面白がっているような笑みを見せた。
「身をもって経験してみなければ、相手の気持ちや状況を本当に理解するのは難しいわ。朔哉は、相手のことを信じたくても信じられない、嫉妬と不安で疑心暗鬼になるとはどういうことか、思い知ったんじゃないかしら?」
「でも、わたしも流星さんも、そんな気はまったく……」
「ええ、わかってるわ。けれど、何もない、ただ食事をしただけだと言っても、何があったのかは、その場にいた人間にしかわからない。ましてや二人の心の中は誰も覗けないでしょう? 信じるか信じないかは、自分次第。信じたい、でも信じられない。好きだからこそ、気になって、苦しくて……。そういう気持ちを朔哉も味わうべきなのよ」
手厳しいことを言いながらも、月子さんの表情は優しい。
「あの子は無意識に、偲月さんはずっと自分のことを好きでいてくれると思っているの。何をしても、何をしなくても、変わらず想い続けてくれると思っている。自分がそうだから、偲月さんも同じだと思っているのね」
「でも、朔哉は……」
朔哉は、たぶんわたしを好きなのだと思う。
でも、だからといって、芽依を好きだった気持ちが消えてなくなったわけじゃない。
両想いだと知って、まったく揺らがないほどに、わたしを好きだなんて信じられなかった。
常識、家族、副社長という立場、企業イメージ――。
いろんな条件、状況を考えて、自分の本当の気持ちではなく、リスクの低い方を選んだだけかもしれない。
知らず、顔が強張っていたのだろう。
月子さんは、眉尻を下げ、自分のせいだと嘆いた。
「自分の気持ちをきちんと伝えずに、偲月さんを不安にさせるなんて……。不甲斐ない息子で、本当にごめんなさい。わたしが傍にいれば、もう少し女心のわかる男性に育ったかもしれないわ……」
「そんな! 月子さんのせいじゃ……」
「いいえ、わたしのせいよ。離婚していても、息子にもっと関わることはできたはずなの。夕城の背中を見て育ったら、どうなるかわかっていたのに……。どうして、父子って、どうして似てほしくないところばかり、似るのかしら」
溜息を漏らし、首を振る。
芝居がかったそんな仕草も、月子さんがやればとても自然で、よく似合う。
「取り敢えず、ハジメくんのお灸の効果がどれほどのものか、観察しましょう。わたしも、夕城に余計な口出し、手出しをしないよう、釘を刺しておくわ……あら、マネージャーが下で待っているみたい。大変! もう行かなくちゃ」
鞄と帽子を抱え、慌てて玄関へ向かう月子さんを追いかけた。
ストラップ付きのサンダルを履き、目深に帽子を被って玄関を出て行こうとする背に、「いってらっしゃい」と声をかけようとしたら、いきなりこちらを振り返る。
真剣な表情で、じっと見つめられるとドキドキしてしまう。
「あのね、偲月さん……」
「はい?」
月子さんは、少しためらったのち、とても控えめにあるお願いを口にした。
「……偲月さんにしてみたら、もう手遅れじゃないかと思うかもしれないけれど……親バカだと思われるのを承知で言わせてね? いまの朔哉は、偲月さんにとって『完璧な男性』ではない。けれど、そうなれる可能性はあると思うの。だから、もう少しだけ、愛想を尽かすのは待ってくれないかしら?」