意地悪な副社長との素直な恋の始め方
(あ……)
「さ、先に、シャワー使わせてもらう!」
彼と会えない日々を数えていたのは、わたしだけ。
そう思い知らされて、ポーカーフェイスを維持できずに、バスルームへ逃げ込んだ。
(あんなひと言で動揺するなんて、わたし、メンタル弱すぎじゃない? って、あぁーっ!)
思い切り頭からシャワーを浴びたあとで、失態に気づく。
(汗を流すだけのつもりだったのに! 濡れた髪を乾かさずに帰れないじゃないの! ……しかもメイクまで落ちてる……)
朔哉は、一度眠りに入ると朝まで起きないタイプだ。
いつも、彼が寝ている間に帰ることにしていたから、泊まるつもりは端からなく、何の用意もしていなかった。
いくら終電でも、すっぴんで乗る勇気はないので、タクシーを使うしかないだろう。
(今日は給料日だったけど、いきなり予定外の出費……っていうか、お財布にお金入ってたっけ?)
帰りがけにATMに寄ろうと思っていたのに、すっかり忘れていた。
(何もかも、グダグダ……)
備え付けのクレンジングで潔く化粧を落とし、軽くドライヤーで髪を乾かしてからバスルームを出る。
「朔哉、次どう、……」
声をかけようとして、彼が電話中であることに気づき、口を噤んだ。
「いや。仕事じゃない。少し飲みたくなって。最近は、そうでもないよ……」
窓際に立つ朔哉は、柔らかな表情をし、ひどく優しい声で話している。
この瞬間を切り撮ったなら、きっとわたしが見たくないものが、くっきり、はっきり、写し出されることだろう。
彼がそんな風に応える相手は、この世でひとりしかいない。
彼の最愛で、けれどけっして結ばれることはなく、想いを伝えることすらできない相手。
朔哉は、報われない恋に燻る激情と欲望を「彼女」にぶつける代わりに、「わたし」で晴らす。
そうして、わたしには見せない微笑みを浮かべ、わたしには聞かせることのない甘い声で「彼女」に優しい囁きを落とすのだ。
「ああ、わかってる。芽依の誕生日を忘れるわけがないだろ? この間、行きたいと言っていたコンサートのチケットも手配した。もちろんプレゼントも買ってあるし……何を買ったかって? 芽依の欲しいものだよ」
朔哉の異母妹で、わたしにとっては血の繋がらない元義姉である芽依は、大学卒業後、『YU-KIホールディングス』に就職。希望どおりにホテル部門へ配属された。
現在、コンシェルジュになる夢を叶えるべく、業務提携先である海外の老舗ホテルで修行中だ。
朔哉は、海外出張するたびに彼女が勤めるホテルに立ち寄って、様子を確かめているらしい。