意地悪な副社長との素直な恋の始め方

これから二度寝する気らしい、大きなアクビをするナツに見送られて、玄関を出た。

ナツと再びルームシェアを始めたマンションは、玄関ドアに自動施錠機能付きだ。鍵をかけずに出かけても何の問題もない。エントランスもオートロック。このマンションの住人以外は、居住者に招かれない限り、入ることができない仕組み。

以前のオンボロアパートと比較するのが申し訳なくなるぐらい、セキュリティは万全だった。

当然のことながら、家賃も倍以上ちがう。

しかし、そんなマンションに、わたしとナツはタダ同然の家賃で住んでいる。

なぜなら、退職と同時に、月子さん宅での居候を解消し、かつてのオンボロアパートに戻ろうとしたわたしに、夕城社長が大反対したからだ。

夕城社長には、部課長、人事部長に退職の希望を申し出たその日のうちに、呼び出された。

ある程度の事情は月子さんから聞いているはずなので、簡単に説明し、申し訳ないと謝って、それで終わると思っていたのだが、そう簡単には済まなかった。

洗練されたオーダーメイドのスーツに身を包み、重厚さと上品さを兼ね備えた社長室で待っていた夕城社長は、一社員の退職に対して、笑顔で思いきり私情を挟んできたのだ。


『僕も、偲月ちゃんの夢を応援したいし、退職は認めるよ。でもね、あんな事件に巻き込まれたアパートに戻るのは、認められない。うちが所有している物件で、偲月ちゃんが住むのに良さそうなところを探すから。そこへ引っ越そうか』

『そんなわけにはいかない? どうして? 僕、これでも社長なんだけどなぁ。そんなに渋るようなら……朔哉に相談……ん? それでいい? うん、よかった』

『え? 単身用で十分? そんなわけないでしょう。モデルのお仕事するなら、服飾品も増えると思うし。暗室も作ろうか? え? いらない? 遠慮することないのに……』

『家賃? そんなものいらないよ! 家族からは貰えない。家族でも、働いていたら普通は家にお金を入れるものだって……? うーん、どうしてもって言うなら貰うけど……。うん、お得意様価格にしよう。それならいいよね?』

『あ、念のため、連絡先教えてもらえるかな。え? 人事に訊けばわかる? そうは思わないな。どういうわけか、数日前から偲月ちゃんに連絡がつかないんだよねぇ……あ、朔哉なら知って……。スマホを変えたんだ? これから新しい連絡先をみんなに教えるつもりだったんだ? そうだよね?』


ニコニコ笑いながら追い詰められて、逆らえなかった。

そういうわけで、高級感溢れる部屋に引っ越すことになったのだけれど、あまりにも広すぎる部屋にひとりで住むのはもったいない。ナツにルームシェアしないかと持ち掛けた。

わたしがあのアパートに戻らないとなれば、ナツひとりでは家賃を払うのは厳しいし、ルームメイトを探すのも大変だろう。深夜まで働くナツにとって、繁華街にも近い駅前に建つマンションは都合がいいはずだ。

すっかりシゲオに甘やかされていたナツも、そろそろ自立しなければと考えていたところらしく、二つ返事でルームシェア再開を了承してくれ、いまに至る。

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