意地悪な副社長との素直な恋の始め方
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勝手知ったる古巣とはいえ、社員として働くのと商談のために訪問するのとでは状況が真逆だ。
受付嬢の元同僚は、親しみを込めた笑顔を浮かべても、けして馴れ馴れしい態度は取らない。あくまでも訪問客としてわたしたちに接し、セキュリティーカードを手渡すと副社長室のある階へ行くよう告げた。
(ど、どうしよう……心の準備、まったく出来てないんだけど。緊張するなと言われても、無理)
いつか、どこかで、朔哉と会うことがあるかもしれないとは思っていたが、こんなに早くその機会が訪れるなんて予想外だ。
しかも、直々に指名してくるなんて、いったいどういうつもりなのか。
わたしにはモデルとして誇れるキャリアも能力もない。
それこそ、『YU-KIホールディングス』のような大企業が起用したがる理由は見当たらなかった。
(花夜さんには、自信なさげな言動はNGって言われたけど……いますぐ逃げ出したい)
両脇を花夜さんとシゲオに挟まれていなければ、エレベーターを止め、脱兎のごとく逃げ出すところだ。
(せめて、もう少しあとなら、ちょっとは自信を持てていたかもしれないのに……)
いま取り掛かっている『avanzare』の秋冬ものの仕事でモデルのタマゴくらいになれて、月子さんの自伝で使う写真もある程度撮り終えて、コンテストにいくつか応募して……。
目指す道をしっかり歩んでいると胸を張って言えるような状態なら、朔哉の前でも俯かずにいられただろう。
けれど、現実は、どれ一つとして形になっていないし、今後成功を収められるという保証もない。
宙ぶらりんなままだ。
どんな顔をして、どんな自分で彼と向き合えばいいのかわからないまま、エレベーターは副社長室のあるフロアに到着してしまった。
「さ、気合入れていくわよ!」
バシン、と花夜さんに背中を叩かれて、丸まっていた背筋が伸びる。
とりあえず、俯くことだけはしないでおこうと思い、顔を上げて開くドアの向こうに視線を向け、驚いた。
「お待ちしておりました」
「サヤちゃん……?」