意地悪な副社長との素直な恋の始め方
「元気そうで、よかった」
一瞬、朔哉の黒い瞳に見慣れぬ光が過った気がしたが、少し声を落とした彼は、わたしの横に並び、背中に手を添えた。
深い意味のある行為ではなく、単なるエスコート。
触れているのは、手のひらだけ。
それなのに、緊張で強張っていたものが緩み、冷え切った指先まで勢いよく血が巡る気がした。
明確な理由などなくても、もう大丈夫だと思える。
そんな裏切り者で、正直な身体の反応に、頬が熱を帯びていく。
「実は、こうしてわざわざ会議室まで来てもらったのは、交渉に入る前に紹介とお礼をしておきたかったからだ」
朔哉はそう囁くと、居並ぶ人たちを見回し、少し大きめの声でわたしを紹介した。
「皆、知っていると思うが、改めて紹介する。ほんの一か月前まで、我が社の総務部に所属していた明槻さんだ。昨日発売された雑誌では、彼女が『Claire』のウエディングドレスのモデルを務めている。これまで、詳しい事情をオープンにはしていなかったが、実は撮影当日、予定していたモデルが手配できない不測の事態が起きた。極秘で来日していたデザイナー本人が現場を見学する予定があり、撮影中止となれば、彼女の機嫌を損ね、契約が白紙になる可能性もあり得る。そんな状況を救ってくれたのが、明槻さんだった。モデルの経験もないのに、ドレスを完璧に着こなして、デザイナーを満足させてくれただけでなく、こうして大きな反響を呼ぶほどの素晴らしい花嫁役を演じてくれた」
正面から、しかも朔哉からそんな風に言われると、どうすればいいのかわからなくなる。
習ったばかりの優雅な仕草や上品な微笑みで受け流すなんて余裕はなく、慌てて首を振った。
「あ、あれは、わたしの力ではなく、ドレス自体が素晴らしいからで。よく写っているのは、カメラマンの腕がいいからで……」
しどろもどろ、言い訳のような意味のない言葉を並べるわたしを遮って、朔哉は更なる爆弾を投下する。
「今回のプロジェクトは、もっと大々的に『Claire』のドレスを取り扱うためのものだ。デザイナーのクレアに、カラードレスも交え、シリーズ展開したいと言わしめたのは、君だ」
「え……」
「改めてお礼を言わせてほしい。明槻さん、ありがとう」