意地悪な副社長との素直な恋の始め方
荒い呼吸を整えながら、憧れのレストランについキョロキョロしてしまう。
小ぢんまりしたレストランは、一階と二階にそれぞれ個室が一つずつあるだけで、いまのところ同時に二組までしか対応していないらしい。
洋風古民家の風情を漂わせているのは、外観ばかりではなかった。
床や柱、梁は木製で、壁は温かみのある淡いクリーム色。
そこかしこに、桜の花のモチーフが散りばめられている。
以前、雑誌で読んだオーナーシェフのインタビュー記事では、お店の名前を『SAKURA』にしたのは彼が一番好きな花だから。フランスで修行中、とある公園の桜を見ては、日本を懐かしく思い出していたと書かれていた。
「お連れ様がいらっしゃいました」
案内されたのは、二階の個室。
ドアの向こう、手にしたタブレットを眺めていた朔哉が顔を上げ、ほっとしたように微笑んだ。
「こんばんは」
「こ、んばんは」
正しい挨拶をしているだけなのに、落ち着いたばかりの心臓が再び忙しなく鼓動を速める。
「このまま注文しても?」
わたしが椅子に腰を下ろすのを待って、朔哉が訊ねた。
「え、は、はい、大丈夫、です」
黒い瞳とまともに目が合うと一気に緊張が高まり、声が掠れてしまう。
これはデートではなく、接待のようなものだ。
あくまでも、ビジネスの一環。
勘違いしてはいけない。
あのキスを思い出したりしては、いけない。
そう自分に言い聞かせながら、さりげなく目を逸らそうと試みるが、続けて質問される。
「何か食べたいものは?」
「い、いえ、特には……」
「好き嫌いも、アレルギーもなかったと記憶しているが……いまも?」
「は、はい。なんでも食べられます! だから、お任せします」
こんな高級レストランで何を頼むべきかわからない。全部朔哉にお任せするのが正しい選択だろう。
わたしが勢いよく返事をすると、朔哉は目だけを細めて笑った。
「じゃあ、俺の独断と偏見で……。シェフのお任せで頼む。食前酒はキール、ワインは料理に合う白をボトルで。メニューで赤の方が合うものがあれば、そちらはグラスでもらおうか」
「かしこまりました」
注文を終え、二人きりになったところで、改めて遅刻を詫びる。