意地悪な副社長との素直な恋の始め方
唖然とするわたしの目の前で、曇りガラスのドアが閉まった。
置き去りにされたのは、まだ朔哉の香りが濃厚に漂うバスルーム。
「…………」
(その気にさせといてこの仕打ち……)
怒るべきか、それともホッとすべきか。
複雑な心境で、熱いシャワーを頭から浴びる。
それで、心も体もすっきりリセットできるはずが、シャンプーやコンディショナー、ボディソープは朔哉のものを借りたため、まるで彼に包み込まれているようだ。
朔哉と離れ、たったひと月でもう欲求不満なのかと、自分にうんざりする。
可能な限り手早く髪と身体を洗い、髪を乾かすのは諦めた。
洗面台の鏡の前でひとまとめにしようとしたところで、いままで見逃していた事実に気づく。
(わたし、メイクいつ落とした……?)
鞄に入れたポーチには、化粧直し用にクレンジングシートを常備している。
記憶にない中、ちゃんと肌のお手入れをしなければと思ったのだろうか。
(でも、その可能性は限りなく低い気がする……ということは、朔哉が?)
寝落ちしたわたしのメイクを落とし、髪を解き、着替えさせ……という一連の面倒な酔っ払いの世話を大企業の副社長にさせてしまったのだと思うと……。
(穴があったら入りたい。こんなの、ただの酔っ払いじゃないの……枕営業の方が、まだマシなような……)
シゲオには、来た波に乗ってみろと言われたけれど、これでは波に呑まれて溺れたようなものだ。
できれば、昨夜犯したかもしれない失態の数々を含め、全部なかったことにしたいが、それではただの失礼で恩知らずな人間に成り下がってしまう。
「朔哉、シャワーありがとう。それと昨夜は……」
迷惑をかけたことを謝ろうとして、リビングにただよういい匂いに嗅覚を奪われる。
パンの香ばしい匂いとコーヒーの薫り。
何かが焼けるジュージューという音。
朔哉が料理をするなんて、知らなかった。
「何、作ってるの?」
キッチンに立つ彼の背後から、その手元を覗き込もうとして……思わず叫んだ。
「ちょっと待って! 何する気っ!?」