意地悪な副社長との素直な恋の始め方
失恋で、泣き暮らしている場合じゃない
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日が沈むまで、しばし間のある土曜日の夕方。
駅前の繁華街はそれなりに人出があるが、いわゆる飲み屋街と言われるエリアは未だ閑散としている。
地図アプリに導かれ、駅から歩くこと約十分。
ゴーストタウンのような飲み屋街のど真ん中、黒を基調としたシックな外観の店に行きついた。
壁に埋め込まれたシルバーのプレートには、控えめに『ラウンジ・バー 風見』の文字が刻まれている。
指定された時間の三分前であることを確認し、ごくりと唾を飲み込んで、しっかりした造りの扉へ手を伸ばそうとしたところひとりでに開いた。
「いらっしゃい! さあ、入って」
出迎えてくれたのは、白いシャツにジーンズというカジュアルな装いをした年齢不詳の美女。
彼女が待ち合わせの相手、この店のオーナー京子ママだと思われる。
「お、はようございます、お世話になります。明槻 偲月です」
「ご丁寧にありがとう。でも、堅苦しいのは抜きにしましょ。京子ママって呼んで? 偲月ちゃん」
「は、はぁ……」
明るい笑い声を上げる彼女に促され、おずおずと薄暗い店内へ足を踏み入れた。
店の中は、静まり返っている。
開店まであと二時間ほどあるため、スタッフはまだ出勤してきていないようだ。
シックな装いの店内は、ボックス席の間隔が広く、カウンター席もひとりで落ち着いて飲めるよう配慮された席数だった。
フロアを横切り、キッチン横の扉を潜れば、飾り気のないバックヤードに繋がっていた。
「ナツから連絡は……ないわよね?」
「ないです。行き先にも心当たりはなくて……」
全財産をナツに持ち逃げされ、茫然として座り込んでいた昨夜。
見知らぬ番号から電話が架かってきた。
ナツかもしれないと思い応答したら、彼女が働いていた店のオーナー、京子ママからだった。
京子ママは、こちらが説明するまでもなく、ナツがわたしの全財産を持って男と逃げたことを言い当てた。
というのも、ナツと逃げた男の年上彼女(たぶん一番付き合いが長く、一番貢いでいたと思われる)が店にやって来て、ひと騒動あったから。
わたし同様、ナツの駆け落ち騒動のとばっちりを受けた京子ママは、財布に一万円しかないわたしの現状を聞くなり、「ナツの代わりに店で働いてくれるなら、お給料を前借させてあげる」と言ってくれた。
短期間で大金を稼ぐには、おのずと選択肢は限られる。
肉体労働か、夜の接客業か。