意地悪な副社長との素直な恋の始め方
再び俯こうとした顎に指を添えて阻止する。
忙しなく瞬きするまつげが涙に濡れていた。
「……いいお母さんになれないかも」
「どうしてそう思うんだ?」
「だって……フツーの母親ってどういうものなのか、イマイチわかってないし」
偲月が、自分の家庭環境を負い目に感じているとは思わないが、紗月さんは世間一般の「母親」のイメージから遠い。
義母にあたる俺の母親も、紗月さんよりは多少母親らしいところがあるが、それにしたって「母親業」より「女優業」を選んだ人間だ。
映画や漫画の中で描かれているような母親なんて、現実にはなかなか存在しないということも、偲月にはわからないのだろう。
母親もひとりの人間で、女性。
疲れもするし、イライラしたり負の感情を抱くことだってあるのが、普通だ。
「フツーじゃなくても、偲月らしい母親でいればいいだろ」
「ちゃんとした家庭がどんななのかも、わからないし」
「俺だって、わからない。だから、俺たちらしい家庭でいいだろ」
「なんか、いろいろテンパって、パニックになってる自分が想像できるし」
「そんなのどの親も一緒だ。初めての子どもで、いきなり育児のプロになれるわけない」
「でも、」
「偲月。子どもを身体の中で育てて、産むのは偲月にしかできない。俺は、何もしてやれない。でも、それ以外で偲月ができないこと、してほしいことを代わりにすることはできる。もし、俺にもできないことなら、オヤジや母さん、紗月さん、プロ、それができるひとの手を借りる。何もかもひとりでやる必要はないし、何かを我慢する必要もないんだ」
「……うん」
ここまで言っても、たぶん偲月は甘えることも、頼ることもせずに、何とか頑張ろうとするだろう。
そうしたくないからではなくて、どうすればいいのかわからないから。
取り敢えずは言い聞かせたが、いざとなれば有無を言わさず、実行に移すまでだ。