意地悪な副社長との素直な恋の始め方
腰から下はさすがに手を出せず、洗面器で足だけ洗い、続いて洗髪に取り掛かる。
「辛かったら、言ってね?」
「ああ。もって……十分だな」
洗面所は十分に広いが、背の高い朔哉は、屈みこんで髪を洗われるのがちょっと苦しそうだ。
それでも、文句を言うことはなく、器用とは言い難いわたしの手つきにも我慢してくれた。
リビングに移り、朔哉の髪をドライヤーで乾かしながら、シゲオのようにはいかない自分の不甲斐なさを反省する。
「ひとの髪を洗うって、思ったよりも大変。ちゃんと洗えてないかも」
「次からはバスルームで洗ってくれ。風呂に入るついでに洗う方が楽だろ」
「そうね……って、え? そ、それって一緒に入るってこと? そ、それはちょっと無理」
朔哉からの提案を聞き流しかけ、慌てて拒否する。
「今更恥ずかしがっても遅いだろ? 偲月の裸は見慣れている。人生でMAXの体重だった状態も知っている」
「そ、そうかもしれないけどっ! それとこれとはっ……」
数えきれないほどの夜、朔哉の前で一糸まとわぬ姿で過ごしている。
けれど、一緒にお風呂に入るのは話が別だ。
「怪我が治ったら、俺が偲月を洗ってやる」
「頼んでないしっ!」
「遠慮するな」
「してないっ! 何ともないのにひとに洗ってもらうとか、なんの羞恥プレイよ?」
「おまえにも羞恥心が備わってたんだな?」
「ちょっとっ!」
くすくす笑う朔哉の髪をぐしゃぐしゃにしてやりながら、こんな遣り取りに懐かしさを覚えた。
(何だか……すごく、久しぶりに朔哉と「会話」してる)
話題の映画について。テレビで流れるニュースについて。芸能人のスキャンダル、友人の恋バナ、学校での出来事。
一緒に暮らしていた頃は、朔哉といろんな話をして、いまみたいに他愛もないことで言い合ったりしていた。
朝夕の食卓で。兄妹として過ごすリビングで。
秘密を共有するベッドの上でも。
それが、いつからか、喧嘩腰の遣り取りをするだけで、抱き合うことで足りない言葉を埋めるだけになっていた。
見たくないもの、知りたくないものから目を逸らし続け、何も見ようとしなかった。
逃げ回るばかりで、向き合おうとしなかった。
自分の気持ちにも。
朔哉にも。