意地悪な副社長との素直な恋の始め方
「時間切れか」
スマホのアラームを止めた朔哉は、ぐったりするわたしを解放し、さっさとベッドを出ていく。
(あ、朝から再起不能になるところだった……)
「どうした? 起きないのか?」
ニヤリと笑ってわたしを見下ろす朔哉は、本当に憎たらしい。
けれど、痛みに苦しんでいる様子がないことにホッとし、よろよろと起き上がった。
「だ、れのせいだと……」
「先にバスルームを使え。ひどい顔だ」
泣き腫らした瞼が腫れているのは鏡を見なくてもわかる。
意地悪な口調はいつものもの。
昨夜の――優しく慰めてくれた朔哉は、別人だったとしか思えない。
(でも、ずっとあの調子でいられても、調子が狂うんだけどね……って、優しい朔哉に落ち着かないとか、わたし、いつからMになったわけ?)
まさかのM疑惑に愕然とし、洗面台の鏡に映る己の顔に落ち込む。
むくんだ顔、腫れあがった瞼が、直視に堪えない。
(これじゃ、百年の恋もいっぺんに冷めるわ。朔哉相手にいまさら取り繕ってもしようがないんだけど……)
諦めて顔を洗い、寝乱れた髪をどうにかしようと一つにまとめかけ、うなじにキスマークをつけられたことを思い出した。
鏡で確認すれば、鮮やかな内出血の痕が、髪を上げると襟の高い服でも着なければ隠せない位置にある。
(もう! なんでこんなところにつけるのよっ! 朔夜のバカっ!)
しかたなく髪はハーフアップにし、リビングへ戻ると、朔哉が冷蔵庫の前にしゃがみこんでいた。
「どうしたの?」
具合が悪いのではと焦ったが、朔哉は眉根を寄せて溜息を吐いた。
「かろうじてコーヒーはあるが、食料が一つもない。帰国したばかりで、何も買っていなかった」
「近くにコンビニは?」
「ある。が、評判のいいパン屋があるから、そっちに買いに行く」
「えっ! わたしが行くっ!」
「重症患者じゃないんだ。買い物くらい……」
朔哉は、大げさだと顔をしかめたが、片手が使えなければ、商品を選ぶのも支払いをするのも大変だし、昨夜の麻酔の効果がいつ切れるかわからない。
十センチに五センチ。
小さい、とは言えない傷だ。
大昔、公園のブランコから落下して三センチほどおでこを縫った時、麻酔が切れた瞬間からものすごく痛かった。
朔哉の場合、あの時のわたしの比じゃないくらい、痛くなるにちがいない。
「いいから、わたしが行くってばっ! 朔哉、まだ着替えてもいないでしょ?」
そう宣言し、お財布だけを持って玄関へ向かい、ハッとした。
お財布の中には、なけなしの一万円から目減りして、千円札が一枚入っているだけ。
食パンくらいなら買える……と思いたいけれど、セレブ御用達のパン屋の相場がどれくらいのものなのかわからない。
(やっぱり千円じゃ、心もとない……)
恥を忍んでリビングへ引き返そうとしたら、目の前に一万円札を突き出された。
「え……」
「偲月の財布に入っている金じゃ、足りないだろ?」
「……うん」
恥ずかしい話だが、事実だった。
「いま、十分な現金の持ち合わせはないが、あとで用意しておく」
「お給料が入ったらちゃんと折半させて」
当然のごとく、生活費をくれようとする朔哉にそう言ったら、むっとした表情で睨まれた。
「いらない。家事をする分の対価だと思え」
「でも!」
「あそこのパン屋は人気なんだ。早く行かないと売り切れる」
「…………」