意地悪な副社長との素直な恋の始め方
「なっ……! ひとを変態みたいに言わないでよっ!」
「そんなに嫌がるのは、イヤラシいことをされると思っているからか? 期待に沿えず申し訳ないが、腕が完治するまでは、バスルームでセックスするのは無理だ」
「ば、バスルームっ!? そんなこと誰も期待してなっ……うぐぅ」
「喋ってないで、とっとと食べろ」
口にクロワッサンを押し込まれ、不本意ながらも黙る。
懐かしくて、でもどこか気恥ずかしいような朝のひと時。
食卓に落ちる沈黙は、心地悪いどころかむしろ心地いい。
ちょっと買い過ぎたかもしれないと思ったパンは、跡形もなくわたしたちの胃袋に収まって、香りのいいコーヒーを飲み干す頃には、心も身体もだいぶリラックスできた。
後片付けを終えて、朔哉の着替えを手伝い、正視に堪えない状態の顔を人前に出られるくらいまでメイクで整えて、タクシーで病院へ向かったのは九時ちょうど。
土曜診療もあるため、昨夜の閑散とした様子とはちがい、院内は混雑していた。
外科の診察室前にも多くの患者さんがいて、だいぶ待たされることを覚悟したが、受付して十分と経たないうちにあっさり名前を呼ばれた。
テキパキとわたしと朔哉に質問し、体調に変化がないことを確かめて、自画自賛したのは、本物の医者(のように見える)、立見さんだ。
「問題ねーな。我ながら完璧な縫合だ。抜糸するまで、無茶なことをして俺の神業的な仕事を台無しにすんじゃねーぞ?」
あっという間に診察は終わり、会計を経て薬局で処方された抗生物質と痛み止め、包帯の替えなどを受け取って、病院をあとにしたのは十時過ぎ。
思いのほか早く解放されてタクシー乗り場へ向かう途中、夕城社長から朔哉に電話が架かってきた。
警察署で、弁護士同席のもと簡単な事情聴取を受けなければならないとのこと。
昨夜の恐ろしい体験をもう一度思い返すなんて気が進まないが、避けては通れない。
病院からタクシーで直行した警察署では、すでに自首した彼女が罪を全面的に認めていることもあり、事実確認だけで済んだ。
とは言え、やっぱり緊張はするもので、タクシーに乗った途端、どっと疲れを感じて溜息がこぼれ落ちた。
「あとは、弁護士に任せておけばいい」
「うん」
「どこか、寄りたいところはあるか? なければまっすぐ帰るが……」
そう訊ねられ、真っ先に思い浮かんだのはからっぽの冷蔵庫だ。
ホッとしたら、何だかお腹も空いてきた。
「スーパーマーケット! 高級レストランレベルを期待されても困るけど、ランチ……作る」
「外食でいいだろ」
「でも、家で食べるほうが落ち着くし」
外食は、右手が不自由な朔哉には億劫なだけだろう。
自慢できるほどの料理の腕ではないけれど、そこそこ食べられるものは出せる……と思う。
「何か食べたいもの、ある?」
てっきり、和食か高級フランス料理でも注文されるかと思いきや、朔哉のリクエストは予想外の一品だった。
「カレーが食べたい」