意地悪な副社長との素直な恋の始め方
「新メニュー……」
魅力的な響きに、ごくりと唾を飲み込む。
今日の『YU-KIホールディングス』全体の入社式は、傘下のとあるホテルで行われることになっていた。
最上級のおもてなしを提供することで有名な高級ホテルで、社割を使ってもおいそれとは泊まれない宿泊料。そのホテルの最上階にあるフレンチレストランは、宿泊客以外では予約がなかなか取れない人気の店だ。
「食い意地の張った偲月には、見逃せない機会だろう?」
(ごめん、サヤちゃんっ! 午後から、ちゃんと引き継ぎするからっ!)
食べ物の誘惑には抗えず、心の中でサヤちゃんに謝った。
「……詳しい引き継ぎは、午後にする」
「そうしろ」
偉そうに言う朔哉の顔には、毒気の抜けた穏やかで優しい笑みが浮かんでいる。
温かく包み込むような、とてもいい笑顔だ。
(撮りたい……)
いまなら、レンズを通して写し出されるものは、わたしが「見たくない」ものとはちがう気がした。
「どうした? 偲月。ぼーっとして。さっき朝食を食べたばかりのくせに、もう腹が減ったのか?」
「減ってないっ!」
「メイクで上手くごまかしているが、眠いのか?」
「ごまかしてないしっ!」
「見た目と中身のギャップがあり過ぎると、詐欺だと言われるぞ?」
「どういう意味よっ!」
「く、くくっ……」
いつもの朔哉とわたしの遣り取りに、助手席の夕城社長が笑い出す。
「昨夜は、二人が恋人同士だなんて信じられなかったけれど、猫を被らずに女性と接する朔哉なんて、初めて見た。芽依の前でも、『妹が自慢する兄』の姿を崩さないのに。偲月ちゃんには、本当に心を許しているんだな?」
心を許している、というよりは、扱いが雑なだけだと言いたい気持ちが湧き起こる。
しかし、横に座る朔哉の顏は、薄っすら赤みを帯びていた。
(まさか)
「朝っぱらから、気色悪いこと言うなよ! オヤジ」
「親の前で、イチャつくおまえが悪い」
「イチャついてなどいない!」
ムキになって言い返す朔哉を憐れみの目で見た社長が、トドメのひと言を放つ。
「自覚していないのか? かなりの重症だな」
「…………」