正しい『幸せ』保証致します。
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「アンタ、黒岩に乗り換えたんでしょ?」
「うっ……!!ゴホッゲホッ」
「おーおー、図星だから焦ってる」
「何それ誰情報?」



 酎ハイが変なところに入り、むせる私を見て、唯一会社に残っている営業部の同期、美穂子は心底楽しそうにこちらを指差し笑う。本当に良い性格してるわ、男勝りな性格してるくせに美人で余計にムカつく。


 美穂子の住むマンションにお呼ばれし、楽しい宅飲みのはずが、上司の愚痴、美穂子がセフレの本命彼女に刺されそうになった話、その次に出た話題のせいで、せっかくアルコールでふわふわ楽しくなっていた思考が一気に急降下していく。



「黒岩の片想いが叶ったって噂で持ちきり。相手がアラサーのオバさんだから、黒岩の趣味も疑われ」
「後半のそれは美穂子の偏見でしょ」
「バレた?だって羨ましいんだもん。いいなぁ黒岩となんて」
「乗り換えてないし、優斗と続いてます」
「あ、確かに。燻んだ指輪してたわ」



 ガラステーブルの上に乗った私の手を見て、美穂子はつまらなさそうにウイスキーを煽る。燻んだって……確かに燻んでるな。いつからだろう、この指輪を磨かなくなったのは。嵌めることが億劫になったのは。


 暗く沈みそうになった気分を上げるために、私は大好きなスモークチーズを口に放り込み、レモンサワーの缶をプシュッと開ける。美穂子はそんな私を見て、心底面倒くさそうに溜息を吐いた。



「何そのため息。本当美穂子って顔だけだよね」
「結婚したいが為に、家事も碌にできない仕事しか脳のないテク無し短小早漏男の言う事を淡々ときいてつまらなく生きてるアンタには言われたくない。つーか由紀乃って、彼氏のママになりたいの?」
「うわ〜〜めっちゃ言うじゃん……テクはそこそこだよ……その他は黙秘」



 結婚したいが為、グサリとその言葉が胸に刺さる。


 うまく反論できず曖昧な返事しかできない自分に嫌気がさす。優斗とは、大学の友人の紹介で知り合い、意気投合し恋人になった。


 同棲する前、ただ付き合っている時は、優斗のことが本当に好きだった。


 のんびりした優しい性格も、二人きりだと甘えたになるところも、落ち込んでいるとすぐに察知して、甘いデザート片手に訪ねてきてくれて、相談を聞いてくれるところも、テレビを見て子供みたいに笑うところも。一緒に眠る温かなベッドも。本当に、本当に好きだった。


 けれど、年月は人を変える。結婚を前提に同棲をしたはずなのに、好きだったはずなのに。気付けば、相手の粗ばかりが目に付く、私が居て当たり前で、私にして貰って当たり前なその態度に、疲れと呆れを感じる。


 結婚できたら『幸せ』なはずだったのに。


 何でだろう、どうしても明るい未来が見えない。


 言葉を詰まらせる私に、美穂子は追い討ちをかける。




「アンタの言う『幸せ』は私にとってはゴミ以下。丸めて捨てることに戸惑いはないなぁ」
「……だってうちら、アラサーなんだよ?現実見ないと」
「そんな現実クソ喰らえなんだけど。出掛ける度に無理くり指輪させて安心させてる男とか本当に反吐が出るわ」
「口悪……」



 こちらに断りもせず、男物の重いタバコに火をつけた美穂子は、そのサッパリとした性格から自分の信念は曲げないし、自分に不必要なものは戸惑いなく切り捨てる。


 そして、仕事命の彼女は、この先自分の理想の男が現れない限り結婚なんてしないらしい。だからセフレが途切れない。

 
 だから、そんな気の強い美穂子は、優斗に言われるがまま指輪をしてノコノコやってきた私が気に食わないんだと思う。



「大体、そんなのしてないと安心できないとか自分に自信がないだけじゃん。他の男が入る隙がないくらい愛情与えてみろっての」
「今日は随分言うね、美穂子」
「言うでしょ。私は黒岩を応援してんだから」
「は?」
「結婚=『幸せ』じゃない。目を覚ませ」



 黒岩くんを、応援してる?理解が追いつかない。


 美穂子はタバコを深く吸い込む。ジリジリとそれは短くなり、灰皿に押し付けられた。



「良い子だよ、黒岩」
「へぇ、そうなんだ」
「気が利くし、上の奴らに臆さず意見も言える、ぶっきらぼうだけど優しいし、仕事もできる」
「うん」
「デカイしカッコいい。運動も多分できるでしょ」
「…………」
「うちからそっちに持ってく書類、絶対に他の奴に持っていかせないし」
「……そっか」
「アタックされ始めて一か月。なんだかんだアンタ、黒岩に揺れてるでしょ」

 

 美穂子の言葉に、私は反応を返すことができなかった。ぬるくなったレモンサワーの缶を見つめ、私はなんだか泣きたくなる。


 そう、多分、きっと、私は黒岩くんに揺れている。イイな、と思ってしまっている。


 会話をするようになって分かったことは、彼は意外に生意気で、少しだけ意地悪だということ。私の方が年上なのに、相変わらず逃げる私を捕まえては、自分のペースに持ち込み、私の反応を見ては、あの真面目そうな固い表情を崩し、満足そうに柔らかく口角を上げる。


 すれ違う時に向けられる静かで熱い視線も、出張の度に渡される、私好みの美味しいお土産も、相変わらず手渡される連絡先の書かれた付箋のついた書類も、何故か強く拒否できない。


 黒岩くんからのアタックは、ただ『幸せ』を求め、燻んだ日々を過ごしていた私に潤いを与えた。


 けど、彼に恋なんてしたら、積み重ねた時間、結婚までの道、例え燻んでいても安定した日々、全てを失ってしまう。


 ────だからこれは、私が求めるものではない。



「揺れてるけど、私は今のままでいい」
「うわ〜〜無理。理性的なふりしてる女、無理だわ」
「私はね、主役じゃなくていいの、誰かの脇役でいい」
「何の話?けど、その考えも無理」
「それにさ、黒岩くんなんて、こんなアラサー相手にしなくても引くて数多でしょ」
「……それは黒岩に失礼でしょ。アイツは本気なんだから」
「失礼かな?私は思わせぶりな行動はしないもん……」



 まずい、急に酔いが回ってきた。私が大きな欠伸をすると、美穂子がテーブルに頬杖をつき、こちらを見つめる。

 
 眠くて美穂子の表情から考えが読み取れない。



「由紀乃さぁ、結婚したら恋はもうできないんだよ?分かってんの?」
「……わかってる」
「これでいいのかな?って思いながらする結婚なんて、後の祭りだと思うんだけど。その後の人生ドブに捨ててるのと同じ」
「きびしいなぁ」
「じゃあさ、聞くけど」



 私はテーブルに突っ伏し、落ちそうな瞼をなんとか堪えながら、美穂子の話に頷く。



「結婚、幸せ、抜きにして、アンタが今会いたいのはどっち?」
「……ずるいしつもん」
「いいから」



 あぁダメだ、瞼が落ちる。眠ってしまう。アルコールでふわふわした思考で、私が本能のまま読んだ名前は────。





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