偽装結婚のはずが、天敵御曹司の身ごもり妻になりました
「答えて、藍。じゃなきゃ離せない」


いくら裏通りとはいえ、ここはいつ誰が通るかわからない。

しかも今はまだ作業中で、私たちが戻らないと迷惑をかける。

とはいえ、好きだと自覚したからだなんて、恥ずかしすぎて正直に口にできない。

今気づいたばかりの気持ちを自分の中で、うまく処理できてさえいないのに。


「……誰のことを、考えてた?」


答えない私に焦れたのか、櫂人さんの声が一段と低くなる。

不機嫌さが滲んだ声に、背中に嫌な汗が流れる。


「お前の婚約者は俺だ。絶対に誰にも譲らない」


迷いなく言い切るその声に、心が甘く疼く。

たとえそこに、本心が込められていなかったとしても。

小さな独占欲の欠片が嬉しいなんて、私は自分で思うよりずっと、この人が好きみたいだ。


ふいに腕の力が緩んで、彼が骨ばった長い指で私の顎を掬い上げる。

伏し目がちの綺麗な二重の目には微かなイラ立ちが滲んでいる。

思わず見惚れていると、そのまま唇を塞がれた。

毎朝の、挨拶代わりの口づけとはまったく違う熱さに混乱する。

まるで嚙みつくようなキスに息ができない。

強く、声さえも奪われそうな長いキスに、身体の力がどんどん抜けていく。


「お前は、俺のものだ」


唇が離れた僅かな隙間で、彼が呟く。

頬に微かに触れる櫂人さんの髪がくすぐったい。

激しくなる鼓動を制御できない。
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