偽装結婚のはずが、天敵御曹司の身ごもり妻になりました
そのとき、カチャリとドアが開いて、ひとりの女性が顔を出した。


「斎田さん、栗本副社長から様子を見に行ってほしいと言われたんだけど、具合が悪いの?」


「白坂、さん?」


この場の切羽詰まった状況に気づいていないのか、白坂さんはゆっくりと足を進める。


「上田さん、ですよね? 初めまして、白坂と申します」


「……初めまして、上田です」


のんびりとした邪気のない口調に、上田さんは怪訝な表情を浮かべながらもきちんと挨拶を返す。

すでにハンドソープからは手を離している。

一瞬で体裁を整える姿はさすがだ。


「おふたりはお知り合いなのかしら? ここでなにか深刻なお話でも?」


「偶然こちらで一緒になりましたので、ご婚約のお祝いを申し上げていただけですわ。……失礼します」


とってつけたような笑顔で、上田さんが退出しようとする。

張り詰めていた空気が緩み、小さく息を吐く。

上田さんに抗議すべきなのかもしれないが、鼓動が落ち着かない。


「……そうですか。斎田さんに万が一なにかあれば栗本副社長がきっと黙っておられないでしょうから、ご無事でよかったわ。今もヤキモキして待ってらっしゃるわ」


にこやかに口元を緩めて話す白坂さんだが、その目はまったく笑っていない。

上田さんは一瞬、グッと唇を噛みしめて、カツンと力強く足を踏み出した。

上田さんが出て行った後、白坂さんはふうっと小さく息を吐いた。
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