偽装結婚のはずが、天敵御曹司の身ごもり妻になりました
「――話にならないな」


「なんでそんな言い方をするの? 櫂人さんはあの記事についてなにひとつ教えてくれなかったでしょう? あのとき、私がどんな気持ちだったと思うの?」


「教える価値がないものを、なぜ伝える必要があるんだ」


低く不機嫌な声で言い渡され、ひゅっと息を呑んだ。


私には噂ひとつ伝える価値がないの? 


「そもそも白坂さんには決まった相手がいるだろ」


「それでも、好きだったんじゃないの……?」


畳みかけるような私の声に彼が眉間に皺を寄せる。


「想いが届かないから、似ている私を選んだんじゃないの? それと櫂人さんのビジネスに都合がよかったからでしょ?」


「藍!」


彼が厳しい声で私の名を呼ぶ。

こんなにも不機嫌な表情は初めて目にする。

きっと本気で怒ってる。

これ以上、口にすべきではない。

踏み込んではいけない。

完全に嫌われる。

わかっているのに、暴走した私の心は止まらなかった。


「婚姻届を出したくないのは櫂人さんでしょ? 私を……好きじゃないから」


櫂人さんが綺麗な目を見開く。


「そんな風にずっと考えていたのか?」


「……本当に好きな人と、幸せになってください」


問いかけの答えになっていないが、今はこれしか伝える言葉が見つからない。

ギュッと膝の上で拳を握りしめる。

視線だけは逃げないように彼を捉え続ける。


泣くな。


たとえ、心が壊れても今、この場で泣くのは絶対にダメだ。


涙が零れ落ちるのを阻止するように指に力を入れる。

皮膚に食い込む爪の感触がこれは現実なのだと私に教えてくる。
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