偽装結婚のはずが、天敵御曹司の身ごもり妻になりました
「ああ、そうだな。お前の言う通りだ」


骨ばった長い指で自身の目を覆った彼がポツリと漏らす。

肯定する彼の声が私の心を容赦なく抉る。

身体中が、心が、引きちぎられるように痛む。 


これで、おしまいだ。


頬の内側をギュッと噛みしめて無言で立ち上がる。


「――藍?」


私の動作に気がついたらしい彼が、指を外して怪訝な表情で名を呼ぶ。

櫂人さんに名前を呼んでもらうのが好きだった。

好きな人に自分の名前を呼ばれる嬉しさを初めて知った。

櫂人さんは私にたくさんの幸せをくれた。

恋心を教えてくれた。

もう、充分だ。


「……婚約は、破棄してください。今までありがとうございました」


目を伏せて一礼する。


「ちょっと待て、なんで」


彼の問いかけに答える余裕はない。

踵を返し、玄関に向かう。

このままここにいたらみっともなく泣いてすがってしまう。

櫂人さんの本心を聞いた今、私がここにいるわけにはいかない。

むしろいられない。


立ち上がった彼に腕をとられそうになったとき、彼のスマートフォンが着信を告げた。

櫂人さんの意識が少しだけそれた瞬間に、もつれそうになる足で玄関まで走る。

そして勢いよくドアを開け、エレベーターホールへと向かう。
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