偽装結婚のはずが、天敵御曹司の身ごもり妻になりました
二基あるエレベーターの呼出ボタンを押すと、近いフロアで停止していたようですぐにやってきた。


早く早く!


心の中で足踏みをする。エレベーターに乗り込んだ瞬間、玄関のドアが荒々しく開いた。


「藍、待て!」


いつもと違う余裕のない表情と声、乱暴な物言いも初めて耳にする。


私を追いかける必要なんてないのに、なんで呼び止めるの?


お願いだから私に構わないでほしい。


中途半端な優しさなんていらない。


「勝手に納得するな! 俺の話をちゃんと聞けよ!」


叫ぶ彼の姿に小さく首を振って「閉」ボタンを連打する。

閉まる速度は変わらないとわかっているのに気持ちが急く。

扉が閉まって、エレベーターが下降を開始した途端、堰を切ったように涙があふれた。

いつ誰が乗ってくるかわからない。

それでも今この瞬間にひとりなのはありがたかった。

胸が痛くて苦しくて、息ができない。

こんな風に話したかったわけじゃない。

こんな結末をのぞんだわけじゃない。

それなのに、こんな形でしか別れを告げられなかった。

本当はずっとそばにいたかった。

あの人にとってたったひとり、愛される人になりたかった。


でももう、それは叶わない。



< 168 / 208 >

この作品をシェア

pagetop