偽装結婚のはずが、天敵御曹司の身ごもり妻になりました
「――なんだ?」


「こういうのは好きな人に、するものじゃ……?」


口から零れ落ちた返答は質問になってしまった。

少なくとも私は誰にでも簡単にキスはできないし、たかがキスと割り切りもできない。

いい年をして真面目過ぎると、渚が聞いたらきっと呆れるだろう。


「ああ、そうだな」


それは肯定? 


それともただの相槌?


意気地なしな私はその先を聞き出せない。


「降りて」


気がつけば大きなビルの中にある地下駐車場にいた。

助手席に回り込んだ彼が少し前と同じようにドアを開けてくれる。


「あ、ありがとう」


「どういたしまして」


ほんの少し眦を下げた彼が、降車した私の手を取る。

絡められた指の力強さに、思わず隣に立つ副社長を見上げる。


「行こう」


促され、歩き出す。

広いエレベーターホールには誰もおらず、ふと視線を向けると、壁に大きく刻まれた世界的に有名な高級ブランドのロゴが目に入った。


まさか、ここでドレスを購入するつもりなの?


こんな場所に足を踏み入れた経験なんかない。

乗り込んだエレベーター内で副社長は口を開かず、声をかけるのが憚られた。

そっと盗み見た横顔は相変わらず彫刻のように整っていて、表情が読めない。
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