私だけを愛してくれますか?

*◇*◇*


吉木が出て行ったあと、入れ替わりに秘書が入ってきた。

「『いわくら』にお願いすることになってよかったですね」

コーヒーを片付けながら、結城がホッとしたように言う。

「他の店にしたいと言われたら、うまく話をまとめられるかわからんかったからな」

ソファーの背にもたれ、息を深く吐きながら答えた。

結城は元々気心の知れた後輩だ。とても優秀なやつなので、副社長に就任する時に、迷わず秘書に抜擢した。仕事中は副社長と秘書という間柄だが、誰もいないときには、ただの先輩後輩に戻って気楽に接している。

「吉木さんは自分で交渉する気満々でしたけど、仁さんとの関係のことは話したんですか?」

「いいや。言ってない。友だちやと話したら怒りそうやろ」

顔をしかめながら答えると、結城はクスクス笑った。

呉服屋『いわくら』の若旦那、岩倉仁(いわくら しのぶ)は中学校時代からの親しい友人だ。

本人が今忙しいことも勿論知っていたが、吉木の話を聞いてピピっときた。

仁は去年結婚をして、『いわくら』には、いま修行中の若女将がいるのだ。
今回の『夏・京都』は、仁の妻である若女将の志乃(しの)ちゃんに引き受けてもらったら面白くなるんじゃないか。

今回のイベントのターゲットが若い女性なので、二十代半ばの彼女ならぴったりだ。


「それにしても、吉木さんは相変わらずニコリともしませんでしたね」

結城は遠慮がちに口を開いた。

「こっちが軽口をたたいても、型通りの返事しか返さへんからな」

吉木のことを口にするのは、何となくお互い避けている。俺たちを拒絶するような態度も、致し方ないと思える事情があるので、安易に触れることができずにいた。

「こちらで何かできることがあればいいのですが…」

お盆を手にしたまま、結城は考え込むように言った。


ムスッとした吉木の顔を思い出して、ため息が出る。

入社試験の時の、花が咲いたように微笑む顔は、遠い昔に見た陽炎のようになっていた。


「午後から出かけるなら、さぼってる暇はないな」

立ち上がってデスクに向かう俺に何か言いたげではあったが、諦めたように結城は部屋を出て行った。
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