私だけを愛してくれますか?
『夏・京都』の準備は順調に進み、仕事がきりよく終わった日は、早めに上がれる日もあった。
『いわくら』の志乃さんはとにかく一生懸命で、アレコレとアイデアを思いついては提案してくる。若女将として、初めての大仕事なんだろう。熱意がすごい。
瑠花ちゃんと同じで、このイベントが最初の成功体験になってくれたらいいな。
上から目線で恐縮だが、ちょっと学校の先生のような気分だった。
ずっと職場と家の往復だけだったので、今日は久しぶりに寄り道をしようという気になった。明日はお休みだし。
職場を出て、駅とは反対の方に向かい、烏丸通から路地に入った所の雑居ビルの地下に降りていく。
『蓮華(れんげ)』
黒墨で控え目に名が書かれている、白いのれんをくぐってお店の戸を開けた。
「いらっしゃいませ」
相変わらずの太い声だ。お店の雰囲気に合わせて、もう少し柔らかい声を出せって言ってるのに。
「なんや、美織か」
「なんやって何よ。失礼な」
熊のような風貌の男が、目の前に立ちはだかる。
デカい体に、癖のある髪はオールバック。後ろ姿は相当厳ついのに、童顔の男。
森野蓮(もりの れん)だ。
そのデカい図体の奥をヒョイと覗くと、カウンターの向こう側の調理場が見える。
真っ白の調理衣と帽子を身につけた女性の板前に手を振った。
「華(はな)、久しぶり」
化粧をしていなくても美しい、凛とした華が、微笑んで会釈を返してくれた。
ここ、割烹『蓮華』は、高校の頃からの友人、森野蓮と華夫妻の営むお店だ。
華は有名料亭で修行を積み、昨年念願のお店を開いた。それを機に、長年付き合っていた蓮と結婚したのだが、蓮は勤めていた会社を辞め、華を支えることにしたのだ。
妻が板前で、夫が接客というのは珍しく、蓮の両親からは渋い顔をされた。
だから、開店にたどりつくまで、二人が悩み、時には喧嘩をし、苦労を重ねたことを知っている。
最終的に二人でお店をやっていくことが決まり、『お店の名前は〝蓮華〟にした』と恥ずかしそうに報告してくれた時、二人の覚悟を思って涙が出そうになったのだ。
接客を担当している蓮の顔はいつ来ても穏やかだ。今が充実した毎日だということがよくわかる。
私は二人の親友として、心底嬉しかった。
『蓮華』はカウンター席が主で、テーブル席は個室が一つあるだけの、こじんまりとしたお店だが、華の作る繊細な料理が売りの隠れた名店だ。
熊のような大男の蓮と、百合の花のように美しい華は、まさに美女と野獣。でも、それがこのお店にいい味を出していた。