私だけを愛してくれますか?
「何買ってきた?」
今のカミングアウトは何でもなかったように、手元を覗き込まれる。
「朝食のパンです。ここのパンが大好きなので」
今出てきたばかりのパン屋さんを指さして答えた。
「そうなんか。このお店ではまだ買ったことないな。ちょっと待っててくれ。俺も買ってくる」
そう言うと、副社長は店の中に入って行った。
待っててってどういうこと?
一人にしてもらえてありがたいと思いながらも、あり得ないことの連続で、どうしてよいのかわからなかった。
ドンちゃんのリードを柵から外して副社長が戻るのを待つ。
「ドンちゃんが目立ち過ぎたんやって。もうちょっと小さかったら、目に留まらへんかったのに」
恨み言を言って聞かせても、ドンちゃんは『そんなこと知るか』という風に横を向くだけだった。
副社長が戻ってきて、何となく一緒に歩き出す。
「せっかく焼きたてのパンを買ったんや。ここで食べていこう」
公園を指差しながら提案された。
既にボロが出始めているので、本当は早く帰りたかったが、上司にそう言われて断ることはできない。
「はい」
公園に向かって歩き出す副社長の後ろに続く。
「猫ってそんな風に散歩させるもんなんか?」
「家の中で飼ってる場合は、させる人も多いんじゃないですか。運動不足になりやすいし」
「確かに、お前んとこの猫は運動が必要かもな。フワフワのでかい生き物がおると思ったら猫やった」
クスリと笑われた。
失礼な! でもその通りなので返す言葉がない。
「名前は?」
「ドンヒョクです」
「ドンヒョク?」
「母の好きな韓流ドラマの主人公の名前なんです。私たちはみんな『ドン』って呼んでますけど」
公園の奥には、東屋のようなテーブルとベンチがあり、そこに落ち着く。
ドンちゃんは日当たりのよい場所にうずくまって目を細めた。
何これ? ピクニックみたいになってきたけど。
「お前のとこの親はネーミングセンスがすごいな」
何かと思ったらドンちゃんの話の続きだ。
「子どもは『織人』と『美織』って何の捻りもない名前つけてるのに、猫には『ドンヒョク』って」
いきなり『美織』と呼ばれてドキッとする。
「織人は自分の名前をネタにしてたからな」
副社長は思い出したように、ハハッと笑った。
「コンパの自己紹介では必ず、『吉木織物』の『吉木織人』です。名前は『織る人』ですが、僕が織った物を売ってるわけではありません、って言ってたぞ」
兄の口調を真似て言うので、思わず笑ってしまった。
「妹の名前は『美織』で、どこまでもベタな名前の兄妹です、とも言うてたな」
「……」
お兄ちゃんめ! 自分がウケるために妹を利用したな。
「お前が入社試験の最終面接を受けに来た時、受付したのは俺や。あの当時は人事におったから。だから『吉木美織』って名前を聞いて、織人の妹やとすぐにわかった」
そんなに初期の段階に知られていたとは!